1月22日付 産経新聞【正論】より
多様な中身持った「安倍談話」に 東洋学園大学教授・櫻田淳氏
http://www.sankei.com/column/news/150122/clm1501220001-n1.html
本年の全国紙各紙の年頭社説には「戦後70年」の意義に着目する文言が踊った。本年には、例年以上に「歴史認識」に国際政治の焦点が当てられることになる。実際、中国政府は、露韓両国を巻き込む体裁で「歴史認識」を梃子(てこ)にした「反日」共闘を演出しようとしているもようである。日本では、20年前の「村山談話」や10年前の「小泉談話」に続く「安倍談話」が今夏に発出されると伝えられる。国際政治の世界での対外優位を確保するために、自らの「説得性」を賭した闘争が展開されているのである。
≪緻密さが求められる評価≫
そもそも、「歴史認識」を軸とした国際政治の世界では、第二次世界大戦の敗戦国である日本は、常に「守勢」の立場に置かれてきた。そうした立場であればこそ、「村山談話」に象徴されるように、日本は、折に触れ「反省と謝罪」を要求されてきた。
しかしながら、明治以降の日本の対外進出は、一体、何れが「反省と謝罪」の対象になるのか。
たとえば、台湾、千島列島・南樺太、南洋諸島に対する進出は、その是非が議論されることは今では稀(まれ)であろう。朝鮮半島に対する進出は、帝国主義期の支配的な作法に則(のっと)ったものである以上、それ自体は「反省と謝罪」の対象にならない。朝鮮半島との関係で問われるのは、そこでの植民地統治が優秀であったか拙劣であったかということでしかない。
中国本土に関していえば、日清戦争や北清事変(義和団の乱)に代表される第一次世界大戦以前に行われた進出もまた「反省と謝罪」の対象にはならない。むしろ、第一次世界大戦以降、対華二十一カ条要求、満州事変を経て日中戦争勃発に至る過程での対中進出の有り様にこそ「反省と謝罪」の如何(いかん)を検証する材料はある。
一方、第二次世界大戦勃発前後の東南アジアへの進出は、それを「アジア解放」の文脈で評価する向きがあるけれども、そうした評価は客観的には無理の多いものである。それは、明白な「反省と謝罪」の対象になるのである。近代以降の対外進出の評価は、その「場所」と「時期」に即して緻密に行われるべきではないか。
≪何が「批判」に値するか≫
このように考えれば、近代以降の日本の対外進出における「反省と謝罪」の対象として、明白な検証の材料となるのは、第一次世界大戦後の対中進出であり、第二次世界大戦勃発前後の対東南アジア進出であるということになる。
第一次世界大戦以前の日本の対外進出は、帝国主義期の冷酷な国際「常識」に則った結果である。21世紀に至っても、英国がインドやエジプトのような国々に対して、さらにはフランスがアルジェリアや他のアフリカ諸国に対して、「反省と謝罪」を表明しているのでなければ、この件で日本が特段の非難を浴びる謂(いわ)れはないという弁明は十分に可能である。
しかし、その一方では、第一次世界大戦後、「民族自決」原則と「戦争違法化」思潮が擡頭(たいとう)し、それまでの国際「常識」が変わっていく中で、たとえば満州における「帝国主義」権益に固執し、そうした変化に適応できなかった往時の日本政府の対応は、批判に値しよう。
「過去の一時期、国策を誤り、…アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」という「村山談話」の認識は、その限りでは決して誤ってはいないのである。
≪「村山談話」の最大の瑕疵≫
ただし、「村山談話」における曖昧さは残る。韓国では、現在は自衛隊旗として使用されている「旭日旗」を「戦犯旗」と呼んで、それをスポーツ・イベントを含む国際場裡から排除しようという動きがある。これは、日本が第二次世界大戦において敗北した事実に半ば便乗して、近代以降の日本の歩みのすべてを断罪しようという心理の反映であろう。
日本国内にも、第二次世界大戦という「近代以降に一度、敗けただけの対外戦争」の敗北に拠(よ)って、近代日本の歩みそれ自体が一つの「成功物語」である事実を否定しようとする論調がある。
しかしながら、既に述べたように、近代日本の対外進出が「場所」と「時期」によって多様な相貌を持つものである以上、こうした心理や論調に反映された「十把一絡げ」の評価は、却(かえ)って近代日本の歩みの意味に対する正確な理解を妨げる。「村山談話」における最大の瑕疵(かし)は、そうした「十把一絡げ」の評価を実質上、追認したことにあろう。
そうであるとすれば、今夏に発出されると伝えられる「安倍談話」は、「村山談話」のような単一の文書というよりは、米国、英蘭両国を含む欧州諸国、中国、朝鮮半島、東南アジア諸国、そして豪州を含む太平洋諸国との関係を扱った複数の文書の「総体」として策定されるのが、相応(ふさわ)しかろう。戦後70年に際して、各々の国々に対して日本が語るべき「談話」の中身は、決して同じではないのである。(さくらだ じゅん)
多様な中身持った「安倍談話」に 東洋学園大学教授・櫻田淳氏
http://www.sankei.com/column/news/150122/clm1501220001-n1.html
本年の全国紙各紙の年頭社説には「戦後70年」の意義に着目する文言が踊った。本年には、例年以上に「歴史認識」に国際政治の焦点が当てられることになる。実際、中国政府は、露韓両国を巻き込む体裁で「歴史認識」を梃子(てこ)にした「反日」共闘を演出しようとしているもようである。日本では、20年前の「村山談話」や10年前の「小泉談話」に続く「安倍談話」が今夏に発出されると伝えられる。国際政治の世界での対外優位を確保するために、自らの「説得性」を賭した闘争が展開されているのである。
≪緻密さが求められる評価≫
そもそも、「歴史認識」を軸とした国際政治の世界では、第二次世界大戦の敗戦国である日本は、常に「守勢」の立場に置かれてきた。そうした立場であればこそ、「村山談話」に象徴されるように、日本は、折に触れ「反省と謝罪」を要求されてきた。
しかしながら、明治以降の日本の対外進出は、一体、何れが「反省と謝罪」の対象になるのか。
たとえば、台湾、千島列島・南樺太、南洋諸島に対する進出は、その是非が議論されることは今では稀(まれ)であろう。朝鮮半島に対する進出は、帝国主義期の支配的な作法に則(のっと)ったものである以上、それ自体は「反省と謝罪」の対象にならない。朝鮮半島との関係で問われるのは、そこでの植民地統治が優秀であったか拙劣であったかということでしかない。
中国本土に関していえば、日清戦争や北清事変(義和団の乱)に代表される第一次世界大戦以前に行われた進出もまた「反省と謝罪」の対象にはならない。むしろ、第一次世界大戦以降、対華二十一カ条要求、満州事変を経て日中戦争勃発に至る過程での対中進出の有り様にこそ「反省と謝罪」の如何(いかん)を検証する材料はある。
一方、第二次世界大戦勃発前後の東南アジアへの進出は、それを「アジア解放」の文脈で評価する向きがあるけれども、そうした評価は客観的には無理の多いものである。それは、明白な「反省と謝罪」の対象になるのである。近代以降の対外進出の評価は、その「場所」と「時期」に即して緻密に行われるべきではないか。
≪何が「批判」に値するか≫
このように考えれば、近代以降の日本の対外進出における「反省と謝罪」の対象として、明白な検証の材料となるのは、第一次世界大戦後の対中進出であり、第二次世界大戦勃発前後の対東南アジア進出であるということになる。
第一次世界大戦以前の日本の対外進出は、帝国主義期の冷酷な国際「常識」に則った結果である。21世紀に至っても、英国がインドやエジプトのような国々に対して、さらにはフランスがアルジェリアや他のアフリカ諸国に対して、「反省と謝罪」を表明しているのでなければ、この件で日本が特段の非難を浴びる謂(いわ)れはないという弁明は十分に可能である。
しかし、その一方では、第一次世界大戦後、「民族自決」原則と「戦争違法化」思潮が擡頭(たいとう)し、それまでの国際「常識」が変わっていく中で、たとえば満州における「帝国主義」権益に固執し、そうした変化に適応できなかった往時の日本政府の対応は、批判に値しよう。
「過去の一時期、国策を誤り、…アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」という「村山談話」の認識は、その限りでは決して誤ってはいないのである。
≪「村山談話」の最大の瑕疵≫
ただし、「村山談話」における曖昧さは残る。韓国では、現在は自衛隊旗として使用されている「旭日旗」を「戦犯旗」と呼んで、それをスポーツ・イベントを含む国際場裡から排除しようという動きがある。これは、日本が第二次世界大戦において敗北した事実に半ば便乗して、近代以降の日本の歩みのすべてを断罪しようという心理の反映であろう。
日本国内にも、第二次世界大戦という「近代以降に一度、敗けただけの対外戦争」の敗北に拠(よ)って、近代日本の歩みそれ自体が一つの「成功物語」である事実を否定しようとする論調がある。
しかしながら、既に述べたように、近代日本の対外進出が「場所」と「時期」によって多様な相貌を持つものである以上、こうした心理や論調に反映された「十把一絡げ」の評価は、却(かえ)って近代日本の歩みの意味に対する正確な理解を妨げる。「村山談話」における最大の瑕疵(かし)は、そうした「十把一絡げ」の評価を実質上、追認したことにあろう。
そうであるとすれば、今夏に発出されると伝えられる「安倍談話」は、「村山談話」のような単一の文書というよりは、米国、英蘭両国を含む欧州諸国、中国、朝鮮半島、東南アジア諸国、そして豪州を含む太平洋諸国との関係を扱った複数の文書の「総体」として策定されるのが、相応(ふさわ)しかろう。戦後70年に際して、各々の国々に対して日本が語るべき「談話」の中身は、決して同じではないのである。(さくらだ じゅん)