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ニッポンのゆる~い日常

多様な中身持った「安倍談話」に

2015-01-22 10:17:53 | 正論より
1月22日付    産経新聞【正論】より


多様な中身持った「安倍談話」に   東洋学園大学教授・櫻田淳氏

http://www.sankei.com/column/news/150122/clm1501220001-n1.html


 本年の全国紙各紙の年頭社説には「戦後70年」の意義に着目する文言が踊った。本年には、例年以上に「歴史認識」に国際政治の焦点が当てられることになる。実際、中国政府は、露韓両国を巻き込む体裁で「歴史認識」を梃子(てこ)にした「反日」共闘を演出しようとしているもようである。日本では、20年前の「村山談話」や10年前の「小泉談話」に続く「安倍談話」が今夏に発出されると伝えられる。国際政治の世界での対外優位を確保するために、自らの「説得性」を賭した闘争が展開されているのである。




 ≪緻密さが求められる評価≫


 そもそも、「歴史認識」を軸とした国際政治の世界では、第二次世界大戦の敗戦国である日本は、常に「守勢」の立場に置かれてきた。そうした立場であればこそ、「村山談話」に象徴されるように、日本は、折に触れ「反省と謝罪」を要求されてきた。


 しかしながら、明治以降の日本の対外進出は、一体、何れが「反省と謝罪」の対象になるのか。

 たとえば、台湾、千島列島・南樺太、南洋諸島に対する進出は、その是非が議論されることは今では稀(まれ)であろう。朝鮮半島に対する進出は、帝国主義期の支配的な作法に則(のっと)ったものである以上、それ自体は「反省と謝罪」の対象にならない。朝鮮半島との関係で問われるのは、そこでの植民地統治が優秀であったか拙劣であったかということでしかない。


 中国本土に関していえば、日清戦争や北清事変(義和団の乱)に代表される第一次世界大戦以前に行われた進出もまた「反省と謝罪」の対象にはならない。むしろ、第一次世界大戦以降、対華二十一カ条要求、満州事変を経て日中戦争勃発に至る過程での対中進出の有り様にこそ「反省と謝罪」の如何(いかん)を検証する材料はある。

 一方、第二次世界大戦勃発前後の東南アジアへの進出は、それを「アジア解放」の文脈で評価する向きがあるけれども、そうした評価は客観的には無理の多いものである。それは、明白な「反省と謝罪」の対象になるのである。近代以降の対外進出の評価は、その「場所」と「時期」に即して緻密に行われるべきではないか。




 ≪何が「批判」に値するか≫


 このように考えれば、近代以降の日本の対外進出における「反省と謝罪」の対象として、明白な検証の材料となるのは、第一次世界大戦後の対中進出であり、第二次世界大戦勃発前後の対東南アジア進出であるということになる。

 第一次世界大戦以前の日本の対外進出は、帝国主義期の冷酷な国際「常識」に則った結果である。21世紀に至っても、英国がインドやエジプトのような国々に対して、さらにはフランスがアルジェリアや他のアフリカ諸国に対して、「反省と謝罪」を表明しているのでなければ、この件で日本が特段の非難を浴びる謂(いわ)れはないという弁明は十分に可能である。


 しかし、その一方では、第一次世界大戦後、「民族自決」原則と「戦争違法化」思潮が擡頭(たいとう)し、それまでの国際「常識」が変わっていく中で、たとえば満州における「帝国主義」権益に固執し、そうした変化に適応できなかった往時の日本政府の対応は、批判に値しよう。

 「過去の一時期、国策を誤り、…アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」という「村山談話」の認識は、その限りでは決して誤ってはいないのである。




 ≪「村山談話」の最大の瑕疵≫


 ただし、「村山談話」における曖昧さは残る。韓国では、現在は自衛隊旗として使用されている「旭日旗」を「戦犯旗」と呼んで、それをスポーツ・イベントを含む国際場裡から排除しようという動きがある。これは、日本が第二次世界大戦において敗北した事実に半ば便乗して、近代以降の日本の歩みのすべてを断罪しようという心理の反映であろう。


 日本国内にも、第二次世界大戦という「近代以降に一度、敗けただけの対外戦争」の敗北に拠(よ)って、近代日本の歩みそれ自体が一つの「成功物語」である事実を否定しようとする論調がある。


 しかしながら、既に述べたように、近代日本の対外進出が「場所」と「時期」によって多様な相貌を持つものである以上、こうした心理や論調に反映された「十把一絡げ」の評価は、却(かえ)って近代日本の歩みの意味に対する正確な理解を妨げる。「村山談話」における最大の瑕疵(かし)は、そうした「十把一絡げ」の評価を実質上、追認したことにあろう。

 そうであるとすれば、今夏に発出されると伝えられる「安倍談話」は、「村山談話」のような単一の文書というよりは、米国、英蘭両国を含む欧州諸国、中国、朝鮮半島、東南アジア諸国、そして豪州を含む太平洋諸国との関係を扱った複数の文書の「総体」として策定されるのが、相応(ふさわ)しかろう。戦後70年に際して、各々の国々に対して日本が語るべき「談話」の中身は、決して同じではないのである。(さくらだ じゅん)









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「事実」直視せぬ朝日 周恩来の「免罪符」を愛用し

2015-01-22 10:17:46 | マスコミ
「事実」直視せぬ朝日 周恩来の「免罪符」を愛用し

http://www.sankei.com/premium/news/150122/prm1501220007-n1.html



 大阪大の坂元一哉教授が19日付小紙の1面コラム「戦争反省史に見る誤解」で、3日付の朝日新聞社説の「誤解」を指摘していたので、僭越(せんえつ)ながら少し付言したい。戦後70年の今年は、この問題が繰り返し論じられるとみるからだ。



■復権したA級戦犯


 くだんの朝日社説「日本人と戦後70年 忘れてはならないこと」は、次のように記している。


 「日本は1951年のサンフランシスコ講和条約で東京裁判を受諾し、主権を回復した。戦争責任をA級戦犯に負わせる形で国としてのけじめをつけた。この事実は否定しようがない」



 一方、坂元氏は講和条約が戦争責任について全く言及していないことを押さえた上でこう反論している。

 「戦後の日本が、戦争責任をA級戦犯に負わせて『けじめ』をつけたとは、平和条約の解釈を別にしても、いい難いことである。たとえば日本は、国際社会への復帰を象徴する国連加盟(56年)の晴れの舞台に、A級戦犯として刑に服した重光葵(外相)を代表として送っている」

 「日本は、A級戦犯など一部の人々に戦争責任を負わせるのではなく、国全体でそれを負う形をとった」


 実際、後に勲一等を授けられた重光氏(禁錮刑7年)だけでなく、同じくA級戦犯として有罪判決を受けた賀屋興宣氏(終身禁錮刑)も釈放後、法相に就任している。本当に日本が「戦争責任をA級戦犯に負わせてけじめをつけた」のであれば、重光氏や賀屋氏の復権などありえない。


 また、東京裁判で被告全員無罪を主張したインドのパール判事は、その判決文(意見書)でA級戦犯についてこう強調している。

 「本件の被告の場合は、ナポレオンやヒトラー(など独裁者)のいずれの場合とも、いかなる点でも、同一視することはできない。日本の憲法は完全に機能を発揮していた」


 「今次行われた戦争は、まさに日本という国の戦いだった。これらの人々は、なんら権力を簒奪(さんだつ)したものではなく、国際的に承認された日本国の機構を運営していたにすぎない」


 にもかかわらず朝日社説のような論調がまかり通るのは、一つには同じ敗戦国のドイツが、ナチスと一般国民を切り離して整理し、前者に戦争責任を押し付けた例があるからだろう。




■存在しない敵


 そしてもう一つは、昭和47年の日中国交正常化に当たって、中国の周恩来首相(当時)が国内向けにこんな説明を行ったことがあるのではないか。

 「日本の中国侵略は一部の軍国主義者によるもので、一般の日本人も戦争の被害者だった」


 この「免責」をありがたがり、自らの歴史観や政治的主張を通すために利用したい勢力がいるのである。



 第1次安倍晋三内閣時代の平成18年10月、安倍首相が国会で周氏の説明について「日本がその見解を承知したとか、日本側も同意してつくったというものではない」と事実関係を答弁したところ、質問者の社民党の福島瑞穂党首(当時)はこう食ってかかった。

 「それは重大だ。安倍首相は(一部の軍国主義者と一般国民を)分ける見解に立たないのか」


 朝日社説は「うわべだけの『帝国の名誉』を叫ぶほど、世界は日本の自己欺瞞(ぎまん)を見て取る」とも警告するが、そんな叫び声を政界で耳にしたことはない。朝日は存在しない敵にファイティングポーズをとるのはいいかげんにして、あるがままの事実を直視した方がいい。(政治部編集委員)


2015.1.22 06:00






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