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ニッポンのゆる~い日常

慰安婦強制連行は虚構…米国人ジャーナリスト「韓国は中国の操り人形」 米公文書に証拠なし

2015-04-20 21:29:20 | 歴史
慰安婦強制連行は虚構…米国人ジャーナリスト「韓国は中国の操り人形」 米公文書に証拠なし

http://www.sankei.com/west/news/150420/wst1504200006-n1.html


 慰安婦問題を調査し、20万人強制連行説は虚構と主張するアメリカのジャーナリスト、マイケル・ヨン氏が、日本の媒体に相次いで登場している。



◆850万ページ…米文書に「奴隷化」見つからず


 ヨン氏は2007年にまとめられた「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)米国議会あて最終報告」など、さまざまな資料を調査。IWGは2000年に始まり、アメリカ各省庁の文書850万ページが対象になった。調査するよう働きかけたのは、在米の反日的な中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」。ところが慰安婦の「奴隷化」を裏付けるような文書は一つも見つからなかった。



 昨年11月、日本で最初にこのことを報じた古森義久・産経新聞ワシントン駐在客員特派員とヨン氏が、「Voice」2月号で対談している(http://www.php.co.jp/magazine/voice/)。「『日本軍が二〇万人のアジア女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張はまったく根も葉もない幻だった」と、ヨン氏は明快だ。



 女性を強制連行するなら拘束して輸送し食事も与えなければならないが、戦闘中の軍隊がそんなことをするか。故吉田清治が書いたような強制連行を済州島でしていたら目撃証言が残るはずだし、なぜ大規模な反乱が起きなかったのか。アメリカ戦時情報局の報告書には日本の将軍の平均年収が6600円の時代に慰安婦のそれは9000円だったと書いてある--等々、ヨン氏は「強制連行」の虚構を斬っていく。アメリカ人がこのように公平に資料を見て、発信しようとしていることの意味は大きい。慰安婦問題の主戦場の一つはアメリカになっているからである。




◆韓国を利用する中国


 ヨン氏の指摘で興味深いのは、慰安婦問題の背景に中国の存在を見ていることだ。「本当の主役は韓国ではありません。慰安婦問題を地政学的、政治的問題の道具として利用しているのは中国です。いわば韓国は、中国の操り人形として利用されているだけなのです」。対談でこれまた明快にヨン氏はそう述べている。


 ほか、ヨン氏は「ザ・リバティ」2月号のインタビューでも、「中国は歴史問題を使って、アメリカ、日本、韓国の仲を割り、協力しないようにしています。これは巨大な情報戦・諜報戦なのです」としている。


 こうした見解には筆者も同意見である。過去、何度か書いたことだが、中国には古典兵法以来の謀略の伝統がある。思考様式といってもよい。はかりごとにより敵を追い込む世論を作り、心理的に士気をくじき、戦わないで勝つことが、最上なのである。「兵とは詭道(きどう)なり」「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」とはすでに「孫子」にある。

 中国は歴史問題で韓国を走狗(そうく)として使ってきたといってよい。2年前、朴槿恵政権が発足する直前に中国はソウルに特使を送り、「中韓が(歴史問題で)はっきりとした態度を取り、立場を示さなければならない」などと、歴史問題での共闘を呼びかけた。韓国はけたたましく反日に走ったが、中国はしばらく静かに構えていた。大国に事(つか)える事大主義の伝統を持ち、反日をいわば国是とする韓国を、うまく使ってきたのである。


 自由主義国である韓国と日本が離反して都合がよいのはどの国か。共産主義国にほかならない。だが韓国にはそれが見えていない。さらにアメリカでも、歴史問題で反日世論を広めている中心は、先述の「世界抗日戦争史実維護連合会」という中国系組織である。日米韓を離反させようとする中国の思惑を、日米韓の敏感な人間は読み取るべきなのだ。「親にしてこれを離す」、つまり敵が親しみあっているときはこれを分裂させる、ということも、「孫子」に書かれている。




◆「朝日は深刻な問題をもたらした」


 日本では、慰安婦についての報道で誤った事実を広め国民の名誉を傷つけたとして、約8700人が朝日新聞に謝罪広告などを求める訴訟を起こした。訴訟とは関係ないが、ヨン氏は「Voice」でこうも言っている。「『朝日新聞』は全世界を騙(だま)して、日本に深刻な問題をもたらしたままです」。朝日はこうした声に、言論機関としてもっと答えていくべきだろう。


 ヨン氏のように慰安婦問題を公平に見るアメリカ人がいるということは、心強い。「Voice」では、日本人に次のようなメッセージを発している。「大切なのは、慰安婦問題を大声でわめく韓国に対して日本が引き下がらないこと、そして中国の脅威に屈しないことです」。その通りだろう。さらにいえば、日本人が日本の中の左傾勢力の言い分などにごまかされず背筋を伸ばしていくことも、大切である。(大阪正論室長 河村直哉)

(1月30日掲載)


2015.4.20 11:00










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取り戻すべき「歴史認識」の本質

2015-04-20 14:27:38 | 正論より
4月20日付   産経新聞【正論】より


取り戻すべき「歴史認識」の本質    埼玉大学名誉教授・長谷川三千子氏


http://www.sankei.com/column/news/150420/clm1504200001-n1.html


 ≪「歴史修正主義」のレッテル≫


 ここ20年ほど「歴史認識」という言葉が妙なかたちで独り歩きしています。本来「歴史認識」とは、正しく歴史をとらえるための知的姿勢を語る言葉だったはずなのに、今では、ある特定の歴史上の出来事についての特定の見解を指して「歴史認識」という言葉が使われます。そして少しでもそれに疑問を持って客観的な再検証を試みようとすると、「歴史修正主義」というレッテルのもとに激しく糾弾されてしまう-そんな状況が国の内外で続いています。

 3月の日中韓外相会談では「歴史を直視し、未来に向かうとの精神」が3カ国の共通認識として発表されたようですが、こんな状態では本当に「歴史を直視」することは難しいと言わざるを得ないでしょう。

 では、本来の歴史認識とは、いったいどのようなものなのでしょうか? まず第一に必要とされるのは、歴史を正しく知るのがいかに難しいことであるかを肝に銘ずる、という知的謙虚の姿勢です。


 古代ギリシャの歴史家ツキディデスは、紀元前5世紀のペロポネソス戦争を開戦当初から取材調査して『戦史』と題する大部の著作を残し、実証的歴史学の先駆者ともいわれている人ですが、彼がまず第一に強調するのは歴史(ことに戦争の歴史)を調査することの難しさです。彼はその難しさをこんな言い方で語っています。

 「個々の事件にさいしてその場にいあわせた者たちは、一つの事件についても、敵味方の感情に支配され、ことの半面しか記憶にとどめないことが多く、そのためにかれらの供述はつねに食いちがいを生じた…。」




 ≪真実究明をいとうなかれ≫


 直近の出来事についてすら、正確な検証はかくも難しい。まして過去の出来事の聞き伝えとなると、人々の史実についての無知はさらにひどくなる、と彼は言います。「大多数の人間は真実を究明するための労をいとい、ありきたりの情報にやすやすと耳をかたむける」-この言葉は、つねに「もっとも明白な事実のみを手掛かりとして」歴史の真実を探求してきた人間だからこそ語りうる切実な警告だといえるでしょう。


 このような2千年以上も前の歴史家の言葉を胸に、現代のわれわれの歴史認識のさまを振り返ってみると、まことに恥じ入るほかはありません。



 3月17日付の当欄でも紹介しましたが、第一次大戦、第二次大戦の戦後処理においては、個々の出来事についての「敵味方の感情に支配」されることのない客観的検証、などといったものは、はなから放棄されていました。まず大前提として、敗戦国の行った戦争は「侵略」であり「ウォー・ギルト」(戦争という罪)であるという結論が先にあり、それに沿い従ったかたちで歴史が描かれてきたのです。

 たしかに、1974年の国連の「侵略の定義に関する決議」を見ると「侵略行為が行われたか否かの問題は、個々の事件ごとのあらゆる状況に照らして判断されなければならない」という慎重な言い方をしており、またそもそもこの決議の目的は、将来の「潜在的侵略者」の抑止や、それに対する機敏な対応ということであって、過去の歴史の断罪ではありません。


 しかし、そうした健全な常識の復活の機運がわずかばかりあったにしても、いわゆる東西冷戦の終わりとともに、再び旧枢軸国の悪を言い立てるということが「歴史認識」の大枠として固定化され、強化されて現在に至っています。もしも現在、ツキディデスがよみがえったなら、こうした現状を批判して、「真実を究明」すべきことをつよく主張し、たちまち「歴史修正主義者」のレッテルを貼られてしまうことでしょう。




 ≪村山氏は本当に謙虚だったのか≫


 いま改めて、20年前のいわゆる村山談話を振り返ってみますと、そうした世界の知的怠慢を正すどころか、それに流されているとしかいえません。この談話の核心とされている部分は「おわび」が基調となっています。村山氏は「植民地支配と侵略によって」「多大の損害と苦痛を与え」たことを疑うべくもない歴史的事実と受け止めて、「おわび」を表明されています。一見、まことに心優しく謙虚な姿勢と見えます。


 しかし、これは本当に謙虚な姿勢といえるでしょうか? 村山氏はこの歴史的事実の内容として「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り」と語ったのですが、その具体的内容を記者に尋ねられて、まともに答えることができませんでした。まさに「真実を究明するための労をいとい、ありきたりの情報」をうのみにしてしまっていたのです。


 これでは「来し方を訪ねて歴史の教訓に学び」正しく「未来を望」むどころではありません。本当に「歴史を直視」するには、歴史についての知的謙虚が不可欠です。日中韓外相会談の共通認識を活(い)かすためにも、わが国が率先して本来の正しい歴史認識を取り戻さなければなりません。(はせがわ みちこ)







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