元公安調査庁・菅沼光弘氏に聞く 「任侠と妓生が両国関係の礎を築いた」
http://www.sankei.com/premium/news/160101/prm1601010062-n1.html
日韓国交正常化から、51年目に入った。昨年来、半世紀に及ぶ両国外交をふり返る書籍の出版が目立つ。まじめな学術書が多い中、ヤクザや右翼、在日人脈の活躍を取り上げた異色の本が売れている。元公安調査庁第2部長、菅沼光弘さん(79)へのインタビューを、出版プロデューサーの但馬オサムさんがまとめたもの。出版の狙いを菅沼さんに聞いた。(村島有紀)
東京都新宿区の事務所。笑顔で出迎えてくれたのは「著者」の菅沼さんだ。現在、アジア社会経済開発協力会を主宰する。
東大卒業後、昭和34年、公安調査庁入庁。旧ソ連や中国、北朝鮮など対外情報の収集に従事し、平成7年に退官した。日本のヤクザ社会、北朝鮮、統一教会などについて情報収集し、韓国へも数多く渡航している。
昨年11月初旬に発売されたのが、『ヤクザと妓生(キーセン)が作った大韓民国~日韓戦後裏面史』(ビジネス社・1500円+税)。
「このタイトルでは、『まるで、嫌韓本みたいじゃないか。いまさら嫌韓もないでしょう』と文句を言ったんだけど、出版社がこっちのほうが売れるということで決まった。実際に売れてるみたいですね」
同書は、インターネット書店「Amazon」の朝鮮半島部門で上位をキープする。本を出した理由を問うと、「両国の外務省が表だって交渉しても、100年経っても1000年経っても、折り合うところはない。日韓がうまくいかないのは、汚れ役を買って出る漢(おとこ)がいなくなったことだ。それから、日韓関係は二国間の関係ではなく、米国を加えた日米韓の3カ国の関係で常に考えないとダメだと言いたかった」と話す。
同書は、菅沼さんの言葉を基に、戦後に形成された在日勢力の成り立ち、日韓国交正常化の内幕、金大中氏拉致事件などについて語られる。ざっくばらんなホンネ話といっていい。その合間に但馬さんが当時の時代背景などを説明している。
菅沼さんは「日韓関係は常に米国の意向に左右される。日韓国交正常化も、慰安婦問題の解決も、とにかく陰に米国の強い要請があった。特に国交正常化交渉は、朝鮮戦争の後、韓国が疲弊し、このままでは共産政権になるという危機感もあった。朝鮮戦争で経済を立て直した日本から、これまで米国が支えていた財政支援を日本に肩代わりさせようと、交渉を急がせたんだ」
1965年に実現した国交正常化は、予備交渉も含め14年かかった。51年、最初の交渉相手は、反日で知られる李承晩大統領。翌年には突然、日本海上に「李承晩ライン」を設定、竹島を含めた広大な水域への漁業管轄権を一方的に主張し、日本の漁船を次々に拿捕(だほ)した。当然、交渉は遅々として進まず、経済優先を掲げる朴正煕大統領が61年に政権を掌握し、交渉が本格化した。
「国交正常化交渉において、日本にとって最も障害になったのが、李承晩ライン。漁業権の問題が非常に大きく、拿捕された漁民は、山口県が一番多かった。そのため岸(信介)さんが、いろいろと動いた」
著書によると、日韓交渉の裏ルートは2つ。1つ目は、KCIA(韓国中央情報局)の初代部長を務めた金鐘泌と児玉誉士夫ライン。2つ目が、大統領府秘書室長だった李厚洛と矢次一夫ライン。「今の日韓には、裏のチャンネルがないのが問題。当時は国士というか任侠(にんきょう)というか、とにかく、民間人でありながら、国のために尽くす人がいた。今は、議員外交とかいって外国詣でを繰り返すが、半分が自分のためだ。国として裏工作を担うシステムがない。そうしているうちにドンドン、国益が失われていく」
◇接待役は準公務員
菅沼さんによると、65年の国交正常化の立役者となったのは、在日人脈と日韓の政治家たちの潤滑油となった妓生たち。李氏朝鮮時代に発展した妓生は、国を挙げて中国からの使節をもてなす準公務員的役割。高い知性と李王朝由来の伝統的な接待術で、日本の政治家を骨抜きにしたようだ。
「李朝時代、さまざまな問題を和やかな接待で切り抜けるという文化が発達した。今でいうなら、北朝鮮の『喜び組』と同じです。韓国もオイルショックのころ、石油を確保するために、中東の産油国のプリンスたちを読んでトップクラスの妓生を集めた。大統領が職権で、女優や歌手を『国に奉仕せよ』と集めたわけだから」
65年の日韓基本条約締結前、日韓両国内では激しい反対運動が巻き起こった。朴政権はソウル全域に戒厳令を宣布して、軍隊でデモを鎮圧(6・3事件)。日本の朝鮮半島統治に伴う補償は、韓国政府が一括して受け取り、個人補償義務を負うことで合意して条約が締結された。条約に基づき日本政府は、無償3億ドルと有償2億ドル(低利子借款)を、10年かけて韓国政府に支払ったが、韓国政府は資金の大部分を高速道路建設や送電線などインフラ整備に使い、個人補償に使われた額はごくわずかだった。
「日韓基本条約で解決していた日韓併合の後始末が、いつまでたっても続くのは、韓国では『そうあるべきだ』が歴史だから。慰安婦問題がこじれるのは、韓国は日本より文化的に優れているという思い込みがあるため。つまり、日本のような蛮族に、わが民族の女性が身を任すわけはないという考えです。日韓併合前の釜山では、餓えから日本人に身を売った女性が死刑になったほど。日本人と寝るのは罪だから、『強制された』といって初めて罪が許される。だから、韓国では『強制』でなければなりません」
◇手本は芳洲か白石か?
韓国独自の論理により、振り回され続ける日韓関係。打開策のヒントとして菅沼さんが挙げたのが、藤沢周平の時代小説『市塵』だ。
『市塵』では、江戸時代中期、徳川将軍の対外的な呼称を「日本国大君」から「日本国王」に変更し、李氏朝鮮国王と対等な関係を築こうとした新井白石と、小中華思想を信奉し朝鮮側の反発を恐れ反対する対馬藩の儒学者、雨森(あめのもり)芳洲(ほうしゅう)の対立が描かれる。
「事実がどうであろうと、朝鮮には朝鮮の事情があるとして、対馬の貿易利権を守るためも朝鮮の考えを尊重しようというのが雨森芳洲。それに対して、朝鮮の文化や事情を熟知した上で、日本と朝鮮は対等という原則を貫こうとしたのが新井白石だ。今の日本でも、雨森芳洲の考え方が圧倒的多数派でしょう。(昨年12月28日の)慰安婦問題の日韓合意も雨森式に近い。困難であっても原則を貫かないと、いつまで経っても関係は変わりません。朝鮮半島は地政学的に大事。わが国の敵対勢力に牛耳らせないために、どうするかを考えるインテリジェンスが必要です」
2016.1.1 20:00更新
http://www.sankei.com/premium/news/160101/prm1601010062-n1.html
日韓国交正常化から、51年目に入った。昨年来、半世紀に及ぶ両国外交をふり返る書籍の出版が目立つ。まじめな学術書が多い中、ヤクザや右翼、在日人脈の活躍を取り上げた異色の本が売れている。元公安調査庁第2部長、菅沼光弘さん(79)へのインタビューを、出版プロデューサーの但馬オサムさんがまとめたもの。出版の狙いを菅沼さんに聞いた。(村島有紀)
東京都新宿区の事務所。笑顔で出迎えてくれたのは「著者」の菅沼さんだ。現在、アジア社会経済開発協力会を主宰する。
東大卒業後、昭和34年、公安調査庁入庁。旧ソ連や中国、北朝鮮など対外情報の収集に従事し、平成7年に退官した。日本のヤクザ社会、北朝鮮、統一教会などについて情報収集し、韓国へも数多く渡航している。
昨年11月初旬に発売されたのが、『ヤクザと妓生(キーセン)が作った大韓民国~日韓戦後裏面史』(ビジネス社・1500円+税)。
「このタイトルでは、『まるで、嫌韓本みたいじゃないか。いまさら嫌韓もないでしょう』と文句を言ったんだけど、出版社がこっちのほうが売れるということで決まった。実際に売れてるみたいですね」
同書は、インターネット書店「Amazon」の朝鮮半島部門で上位をキープする。本を出した理由を問うと、「両国の外務省が表だって交渉しても、100年経っても1000年経っても、折り合うところはない。日韓がうまくいかないのは、汚れ役を買って出る漢(おとこ)がいなくなったことだ。それから、日韓関係は二国間の関係ではなく、米国を加えた日米韓の3カ国の関係で常に考えないとダメだと言いたかった」と話す。
同書は、菅沼さんの言葉を基に、戦後に形成された在日勢力の成り立ち、日韓国交正常化の内幕、金大中氏拉致事件などについて語られる。ざっくばらんなホンネ話といっていい。その合間に但馬さんが当時の時代背景などを説明している。
菅沼さんは「日韓関係は常に米国の意向に左右される。日韓国交正常化も、慰安婦問題の解決も、とにかく陰に米国の強い要請があった。特に国交正常化交渉は、朝鮮戦争の後、韓国が疲弊し、このままでは共産政権になるという危機感もあった。朝鮮戦争で経済を立て直した日本から、これまで米国が支えていた財政支援を日本に肩代わりさせようと、交渉を急がせたんだ」
1965年に実現した国交正常化は、予備交渉も含め14年かかった。51年、最初の交渉相手は、反日で知られる李承晩大統領。翌年には突然、日本海上に「李承晩ライン」を設定、竹島を含めた広大な水域への漁業管轄権を一方的に主張し、日本の漁船を次々に拿捕(だほ)した。当然、交渉は遅々として進まず、経済優先を掲げる朴正煕大統領が61年に政権を掌握し、交渉が本格化した。
「国交正常化交渉において、日本にとって最も障害になったのが、李承晩ライン。漁業権の問題が非常に大きく、拿捕された漁民は、山口県が一番多かった。そのため岸(信介)さんが、いろいろと動いた」
著書によると、日韓交渉の裏ルートは2つ。1つ目は、KCIA(韓国中央情報局)の初代部長を務めた金鐘泌と児玉誉士夫ライン。2つ目が、大統領府秘書室長だった李厚洛と矢次一夫ライン。「今の日韓には、裏のチャンネルがないのが問題。当時は国士というか任侠(にんきょう)というか、とにかく、民間人でありながら、国のために尽くす人がいた。今は、議員外交とかいって外国詣でを繰り返すが、半分が自分のためだ。国として裏工作を担うシステムがない。そうしているうちにドンドン、国益が失われていく」
◇接待役は準公務員
菅沼さんによると、65年の国交正常化の立役者となったのは、在日人脈と日韓の政治家たちの潤滑油となった妓生たち。李氏朝鮮時代に発展した妓生は、国を挙げて中国からの使節をもてなす準公務員的役割。高い知性と李王朝由来の伝統的な接待術で、日本の政治家を骨抜きにしたようだ。
「李朝時代、さまざまな問題を和やかな接待で切り抜けるという文化が発達した。今でいうなら、北朝鮮の『喜び組』と同じです。韓国もオイルショックのころ、石油を確保するために、中東の産油国のプリンスたちを読んでトップクラスの妓生を集めた。大統領が職権で、女優や歌手を『国に奉仕せよ』と集めたわけだから」
65年の日韓基本条約締結前、日韓両国内では激しい反対運動が巻き起こった。朴政権はソウル全域に戒厳令を宣布して、軍隊でデモを鎮圧(6・3事件)。日本の朝鮮半島統治に伴う補償は、韓国政府が一括して受け取り、個人補償義務を負うことで合意して条約が締結された。条約に基づき日本政府は、無償3億ドルと有償2億ドル(低利子借款)を、10年かけて韓国政府に支払ったが、韓国政府は資金の大部分を高速道路建設や送電線などインフラ整備に使い、個人補償に使われた額はごくわずかだった。
「日韓基本条約で解決していた日韓併合の後始末が、いつまでたっても続くのは、韓国では『そうあるべきだ』が歴史だから。慰安婦問題がこじれるのは、韓国は日本より文化的に優れているという思い込みがあるため。つまり、日本のような蛮族に、わが民族の女性が身を任すわけはないという考えです。日韓併合前の釜山では、餓えから日本人に身を売った女性が死刑になったほど。日本人と寝るのは罪だから、『強制された』といって初めて罪が許される。だから、韓国では『強制』でなければなりません」
◇手本は芳洲か白石か?
韓国独自の論理により、振り回され続ける日韓関係。打開策のヒントとして菅沼さんが挙げたのが、藤沢周平の時代小説『市塵』だ。
『市塵』では、江戸時代中期、徳川将軍の対外的な呼称を「日本国大君」から「日本国王」に変更し、李氏朝鮮国王と対等な関係を築こうとした新井白石と、小中華思想を信奉し朝鮮側の反発を恐れ反対する対馬藩の儒学者、雨森(あめのもり)芳洲(ほうしゅう)の対立が描かれる。
「事実がどうであろうと、朝鮮には朝鮮の事情があるとして、対馬の貿易利権を守るためも朝鮮の考えを尊重しようというのが雨森芳洲。それに対して、朝鮮の文化や事情を熟知した上で、日本と朝鮮は対等という原則を貫こうとしたのが新井白石だ。今の日本でも、雨森芳洲の考え方が圧倒的多数派でしょう。(昨年12月28日の)慰安婦問題の日韓合意も雨森式に近い。困難であっても原則を貫かないと、いつまで経っても関係は変わりません。朝鮮半島は地政学的に大事。わが国の敵対勢力に牛耳らせないために、どうするかを考えるインテリジェンスが必要です」
2016.1.1 20:00更新