「日本の憲法が一度も改正されない理由はマインドコントロール」
ジャーナリスト木佐芳男氏が講演
http://www.sankei.com/west/news/180827/wst1808270004-n1.html
日本国憲法が一度も改正されていないのは、戦後の日本国民がマインドコントロールから解放されていないからだ-。こう主張するジャーナリストの木佐芳男さんが「マインドコントロールと憲法9条」と題し、松江市で講演した。読売新聞ベルリン特派員の経験を持つ木佐さんは、同じ敗戦国であるドイツとの比較を交えながら、戦後日本を占領したGHQ(連合国軍総司令部)が米国の戦争犯罪をごまかすミッションも持っていたとし、マインドコントロールからの脱却を訴えた。講演の主な内容は次の通り。
■GHQの裏の目的に「米国戦争犯罪の糊塗(こと)」
講演のタイトルに掲げた「マインドコントロール」は、なじみのない言葉かもしれないが、実は日常生活の中でごく普通に行われている。テレビの通販番組や2月14日のバレンタインデー、昨年から今年にかけて騒動になっている「モリ・カケ問題」もその一種ではないかと思っている。
日本が先の大戦で敗れ、GHQが日本をうまく統治するために使ったテクニックも、マインドコントロールだった。GHQの2大政策は、日本の非軍事化と民主化だった。日本が二度と戦争できないようにする、というものだ。だが、2大政策の裏に「アメリカの戦争犯罪をごまかす」という目的もあった。
アメリカは、昭和20年3月に東京大空襲を行った。計画的、徹底的に焼夷(しょうい)弾で街を焼き、約10万人が亡くなった。それ以降も各都市を空襲で破壊し、最もひどかったのは広島・長崎への原爆投下だった。これらは、軍隊ではなく一般人を狙った攻撃で、国際法が禁じる戦争犯罪だった。これらを日本人が批判しないよう、ありとあらゆる手段を取ったのだ。
■言論統制に太平洋戦争史の新聞掲載、公職追放…
GHQが講じた最も基本的なマインドコントロールが、言論統制と焚書(ふんしょ)だ。非民主的、天皇制の賛美、米国の戦争犯罪を扱うような内容の書籍を集めさせ、燃やした。さらに、書物や新聞などにこうした内容が新たに書かれないよう、言論統制を徹底した。GHQの検閲対象は、学級新聞や個人の手紙にも及んだという。
次に、「太平洋戦争史」と題した連載記事を、当時発行されていたすべての新聞に10日間にわたって掲載させた。「GHQが負けた日本に対し、どんな戦争だったかを教えてやる」という内容で、この戦争を「大東亜戦争」と呼んでいた日本人に突然「太平洋戦争」の呼称を強いた。その中では日本を「軍国主義者」と「国民」に分けて軍国主義者を悪者にし、日本国民をうまく統治しようとした。その一方、戦争をあおったはずのメディアは責任を不問にされた。存続させる代わりにGHQが思うように統制したのだ。これが、現在に至るまで深刻な問題を残している。
さらに「公職追放」で、GHQが軍国主義者とみなした政治家や大学教授、大企業の経営者らを一斉に失職させた。これで約20万人が公の場から去り、そこへ左翼的な人物が入り込んでいった。問題なのは、公職追放に関する資料や研究があまりにも少ないことだ。GHQの言論統制や焚書などで失われた恐れもある。
■東京裁判とニュルンベルク裁判の違い
日本人の心に大きな影響を与えたのが、東京裁判だった。連合国側はこの裁判で、日本人に「日本が侵略戦争を起こした」という罪悪感をすり込んだのだ。
私が、ドイツの戦後処理について、ドイツやその周辺国で時間をかけて取材をした際、「ドイツでは『侵略戦争』という言葉は使わない」と聞き驚いた。「侵略戦争」は歴史学上の専門用語で、一般に使われることはない、と。調べてみると、確かにドイツの戦争について書かれたものはたくさんあるが、侵略戦争という言葉はほとんど使われていない。
両国とも同じ敗戦国で、日本では東京裁判があり、ドイツではニュルンベルク裁判があるなど、「同じようなことが行われた」と思っていたが、全然違っていた。ドイツでは「もう済んだことだ」と受け止められているが、日本ではいつまでも侵略戦争という言葉が残り、「戦争を起こして多大な迷惑をかけた」という罪悪感は強い。
天皇を“人質”に嫌々受け入れた9条
いよいよ、「憲法9条」について話をしたい。憲法全体の草案を書いたのはアメリカ側だが、戦争の放棄や戦力・交戦権の不保持という内容の9条は、どういう経緯でできあがったか。
「GHQ最高司令官のマッカーサーと幣原喜重郎(しではら・きじゅうろう)首相が2人きりで話した際、幣原首相が『これ(9条)を入れたい』と言った」という趣旨の話が幣原の回想記に書かれている。だが(実際は)マッカーサー側からそれを言われたが、それだと国民が受け入れないから「幣原側から申し出たことにせよ」と言われたということを、幣原の長男がのちに語っている。
「戦争をしない」というのはともかく、「戦力を持たない」という条文は、世界中の憲法をみても極めてユニークだ。なぜ、このような条文を日本が認めたかというと、「昭和天皇の地位を人質にして受け入れさせた」という見方がある。戦勝国側の当時の世論調査をみると、天皇に対するイメージは非常に悪く、米国調査では3人に1人が「処刑すべきだ」とし、「終身刑」「国外追放」を合わせると7割の人が「天皇として日本に置いておくわけにはいかない」という意見だった。
米側から「天皇を処刑してもいいのか」と暗に迫られ、それと引き換えにしぶしぶ受け入れたのが、9条の草案だったといわれている。
■同じ敗戦国のドイツは自力で基本法を制定
当時の国民やほとんどの政党は、この憲法をすんなり受け入れた。国はこてんぱんにやられ、「もう戦争はこりごりだ」という気分が蔓延(まんえん)していて、戦争をしない憲法、戦力を持たない憲法を歓迎したようだ。
その時、これに唯一反対したのが共産党だ。「戦力を持たない国にしてしまったら、もし敵が攻めてきたらどうする」という、まっとうな反対理由だった。とにかく、憲法は意外にスムーズに受け入れられ、今まで70年以上存続している。
同じ敗戦国のドイツは、どうしたか。連合国側に対し「自分たちで基本法(憲法)を独自に作る」ということを認めさせた。実際、基本法を自分たちで作ったから、不都合があればいくらでも修正する。「戦力を持たない」などとは書いておらず、小さくても自分たちで軍隊を持つ。そこに、日本での自衛隊をめぐるような論争はない。
これまでに60回改正されたドイツの基本法と、一度も改正されていない日本国憲法は非常に対照的だ。
■ドイツにはない「平和教育」という言葉
「平和教育」も、GHQのマインドコントロールの一つだ。ドイツには、平和教育という言葉はない。ベルリン特派員時代、ドイツ人女性の取材助手と話をしていて、「平和教育という言葉は聞いたことがない」と言われた。
調べると、そういう言葉も概念も、まず見当たらない。ただ、東西ドイツに分かれていた当時、ソ連や東欧側が「平和教育」という言葉を使って西側にプロパガンダを展開したことがあった。だが、「そんな言葉はインチキっぽくて受け入れられない」という意見を聞いた。
そんな「平和教育」が、日本でどうやって受け入れられたかというと、GHQの「太平洋戦争史」を教育の場に浸透させるためだった。子供たちにこの歴史観を教え込ませるためにやったのが、日教組の組織化だった。「日教組はGHQが組織した」という事実は、日教組自身が正史「日教組十年史」の中で書いている。
■憲法9条のメリット、デメリット
これらのマインドコントロールの結果、日本では戦争が「絶対悪」と考えられるようになった。憲法9条の「戦争をしない」「戦力を持たない」「交戦権を認めない」という、「絶対平和主義」だ。
護憲派は「過去73年間、日本が戦争をしなかったのは憲法9条があったから」という。しかし、これは空想に過ぎず、日米安保によって米軍が日本に駐留し、自衛隊もあったから日本で戦争がなかったのだ。
9条のメリットといえるものはほとんどなく、デメリットは多い。例えば、イランイラク戦争。当時、イランの首都テヘランには日本人が250人くらい滞在していたが、いよいよイラクからミサイルが飛んできそうになると、各国政府は軍用機を飛ばしてそれぞれ自国民を脱出させた。ところが、日本は9条があったためにそれができない。絶望的な事態を救ってくれたのはトルコ政府だった。
現在でも、朝鮮半島で戦争が始まると、5万人ともいわれている韓国内の日本人をどう助けるか、という問題がある。このように、9条があるために自国民を見殺しにせざるを得ないようなことが過去にあり、これからも起こりうる。
日本と違い、世界では戦争を「絶対悪」視していない。オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞した際、記念演説で「戦争の中には、正しい戦争もあり得る」と述べた。その時に挙げたのがコソボの事例だ。
ここではすさまじい民族間の戦闘があり、これを止めさせるため、NATO(北大西洋条約機構)が空爆を実行した。これで、曲がりなりにもコソボに平和が回復したのだ。オバマは「人道的介入」などという言葉で説明した。つまり、戦争を絶対悪とはしない考え方だ。世界を見渡すと、外交だけでは平和の回復が無理だという状況が実際にある。
■主流を占めてきた東京裁判史観
GHQのマインドコントロールから脱するには「認識する」ことだ。過去に何が行われたか、自分たちの心がどうやって操作されたかを知ればトリックに気づく。
日本の戦後は、東京裁判によって作られた「東京裁判史観」という歴史観が主流を占めてきた。日本の侵略戦争を問題にし、それを反省する。アメリカの第二次大戦での戦争犯罪や、欧米列強のかつての侵略戦争などは一切気にせず、日本だけが悪かったとする考え方だ。この立場を取る者が日本の知識人であるかのように思われた時代がずっとあった。
終戦から6年後の1951(昭和26)年、マッカーサーは米国議会で「日本の戦争は、主に安全保障のためだった」と公式に証言した。また、米大統領を務めたフーバーも「日本の戦争は自衛目的だった。仕掛けたのはルーズベルト政権側だった」と回顧録で述べている。だが、日本の大半のメディアは、こうした証言や著述を報じない。
■改憲側がすべきことは、脱マインドコントロール
イギリスで、EU離脱の是非を問う国民投票が行われた。日本で憲法を改正しようとする場合、このイギリスの国民投票は参考になる。EUからの離脱は、論理的に考えれば「とどまったほうがいい」。だが、感情的には「離脱したい」。この論理と情緒の戦いで、英国民は煽(あお)られ、情緒が勝ってしまったのだ。
日本で憲法改正をしようとすれば、国会で3分の2以上の議員が賛成し、発議すれば、国民投票にかけられる。憲法改正のメインは9条。制定時からは大きく国際情勢が変わって、北朝鮮からミサイルが飛んでくる恐れがあり、中国が尖閣諸島だけでなく沖縄も狙っているときに、自衛隊の存在を憲法に明記し、しっかり守れるようにするのか、そのようにすると戦争になってしまうからそのままで行こうと考えるか。
人はなかなか論理的には考えられず、「改憲は戦争への道だ」「子や孫を戦争に行かせたくない」「兵隊にとられたら困る」などと不安を煽るほうが有利だ。護憲派は、必ず情緒に訴える。改憲派がなすべきなのは、戦後の日本はマインドコントロールされてきたという事実を理解してもらうこと。冷静に歴史を振り返り、「脱マインドコントロール」を戦略として展開することだ。
2018.8.27
◇
木佐芳男(きさ・よしお) 昭和28年、島根県出雲市に生まれ、53年、読売新聞社に入社。ニューデリー特派員や憲法問題研究会メンバー、ベルリン特派員などを経て平成11年、フリーに。両親の世話のため25年に出雲市へUターンした。主な著書に「〈戦争責任〉とは何か」「『反日』という病」など。
ジャーナリスト木佐芳男氏が講演
http://www.sankei.com/west/news/180827/wst1808270004-n1.html
日本国憲法が一度も改正されていないのは、戦後の日本国民がマインドコントロールから解放されていないからだ-。こう主張するジャーナリストの木佐芳男さんが「マインドコントロールと憲法9条」と題し、松江市で講演した。読売新聞ベルリン特派員の経験を持つ木佐さんは、同じ敗戦国であるドイツとの比較を交えながら、戦後日本を占領したGHQ(連合国軍総司令部)が米国の戦争犯罪をごまかすミッションも持っていたとし、マインドコントロールからの脱却を訴えた。講演の主な内容は次の通り。
■GHQの裏の目的に「米国戦争犯罪の糊塗(こと)」
講演のタイトルに掲げた「マインドコントロール」は、なじみのない言葉かもしれないが、実は日常生活の中でごく普通に行われている。テレビの通販番組や2月14日のバレンタインデー、昨年から今年にかけて騒動になっている「モリ・カケ問題」もその一種ではないかと思っている。
日本が先の大戦で敗れ、GHQが日本をうまく統治するために使ったテクニックも、マインドコントロールだった。GHQの2大政策は、日本の非軍事化と民主化だった。日本が二度と戦争できないようにする、というものだ。だが、2大政策の裏に「アメリカの戦争犯罪をごまかす」という目的もあった。
アメリカは、昭和20年3月に東京大空襲を行った。計画的、徹底的に焼夷(しょうい)弾で街を焼き、約10万人が亡くなった。それ以降も各都市を空襲で破壊し、最もひどかったのは広島・長崎への原爆投下だった。これらは、軍隊ではなく一般人を狙った攻撃で、国際法が禁じる戦争犯罪だった。これらを日本人が批判しないよう、ありとあらゆる手段を取ったのだ。
■言論統制に太平洋戦争史の新聞掲載、公職追放…
GHQが講じた最も基本的なマインドコントロールが、言論統制と焚書(ふんしょ)だ。非民主的、天皇制の賛美、米国の戦争犯罪を扱うような内容の書籍を集めさせ、燃やした。さらに、書物や新聞などにこうした内容が新たに書かれないよう、言論統制を徹底した。GHQの検閲対象は、学級新聞や個人の手紙にも及んだという。
次に、「太平洋戦争史」と題した連載記事を、当時発行されていたすべての新聞に10日間にわたって掲載させた。「GHQが負けた日本に対し、どんな戦争だったかを教えてやる」という内容で、この戦争を「大東亜戦争」と呼んでいた日本人に突然「太平洋戦争」の呼称を強いた。その中では日本を「軍国主義者」と「国民」に分けて軍国主義者を悪者にし、日本国民をうまく統治しようとした。その一方、戦争をあおったはずのメディアは責任を不問にされた。存続させる代わりにGHQが思うように統制したのだ。これが、現在に至るまで深刻な問題を残している。
さらに「公職追放」で、GHQが軍国主義者とみなした政治家や大学教授、大企業の経営者らを一斉に失職させた。これで約20万人が公の場から去り、そこへ左翼的な人物が入り込んでいった。問題なのは、公職追放に関する資料や研究があまりにも少ないことだ。GHQの言論統制や焚書などで失われた恐れもある。
■東京裁判とニュルンベルク裁判の違い
日本人の心に大きな影響を与えたのが、東京裁判だった。連合国側はこの裁判で、日本人に「日本が侵略戦争を起こした」という罪悪感をすり込んだのだ。
私が、ドイツの戦後処理について、ドイツやその周辺国で時間をかけて取材をした際、「ドイツでは『侵略戦争』という言葉は使わない」と聞き驚いた。「侵略戦争」は歴史学上の専門用語で、一般に使われることはない、と。調べてみると、確かにドイツの戦争について書かれたものはたくさんあるが、侵略戦争という言葉はほとんど使われていない。
両国とも同じ敗戦国で、日本では東京裁判があり、ドイツではニュルンベルク裁判があるなど、「同じようなことが行われた」と思っていたが、全然違っていた。ドイツでは「もう済んだことだ」と受け止められているが、日本ではいつまでも侵略戦争という言葉が残り、「戦争を起こして多大な迷惑をかけた」という罪悪感は強い。
天皇を“人質”に嫌々受け入れた9条
いよいよ、「憲法9条」について話をしたい。憲法全体の草案を書いたのはアメリカ側だが、戦争の放棄や戦力・交戦権の不保持という内容の9条は、どういう経緯でできあがったか。
「GHQ最高司令官のマッカーサーと幣原喜重郎(しではら・きじゅうろう)首相が2人きりで話した際、幣原首相が『これ(9条)を入れたい』と言った」という趣旨の話が幣原の回想記に書かれている。だが(実際は)マッカーサー側からそれを言われたが、それだと国民が受け入れないから「幣原側から申し出たことにせよ」と言われたということを、幣原の長男がのちに語っている。
「戦争をしない」というのはともかく、「戦力を持たない」という条文は、世界中の憲法をみても極めてユニークだ。なぜ、このような条文を日本が認めたかというと、「昭和天皇の地位を人質にして受け入れさせた」という見方がある。戦勝国側の当時の世論調査をみると、天皇に対するイメージは非常に悪く、米国調査では3人に1人が「処刑すべきだ」とし、「終身刑」「国外追放」を合わせると7割の人が「天皇として日本に置いておくわけにはいかない」という意見だった。
米側から「天皇を処刑してもいいのか」と暗に迫られ、それと引き換えにしぶしぶ受け入れたのが、9条の草案だったといわれている。
■同じ敗戦国のドイツは自力で基本法を制定
当時の国民やほとんどの政党は、この憲法をすんなり受け入れた。国はこてんぱんにやられ、「もう戦争はこりごりだ」という気分が蔓延(まんえん)していて、戦争をしない憲法、戦力を持たない憲法を歓迎したようだ。
その時、これに唯一反対したのが共産党だ。「戦力を持たない国にしてしまったら、もし敵が攻めてきたらどうする」という、まっとうな反対理由だった。とにかく、憲法は意外にスムーズに受け入れられ、今まで70年以上存続している。
同じ敗戦国のドイツは、どうしたか。連合国側に対し「自分たちで基本法(憲法)を独自に作る」ということを認めさせた。実際、基本法を自分たちで作ったから、不都合があればいくらでも修正する。「戦力を持たない」などとは書いておらず、小さくても自分たちで軍隊を持つ。そこに、日本での自衛隊をめぐるような論争はない。
これまでに60回改正されたドイツの基本法と、一度も改正されていない日本国憲法は非常に対照的だ。
■ドイツにはない「平和教育」という言葉
「平和教育」も、GHQのマインドコントロールの一つだ。ドイツには、平和教育という言葉はない。ベルリン特派員時代、ドイツ人女性の取材助手と話をしていて、「平和教育という言葉は聞いたことがない」と言われた。
調べると、そういう言葉も概念も、まず見当たらない。ただ、東西ドイツに分かれていた当時、ソ連や東欧側が「平和教育」という言葉を使って西側にプロパガンダを展開したことがあった。だが、「そんな言葉はインチキっぽくて受け入れられない」という意見を聞いた。
そんな「平和教育」が、日本でどうやって受け入れられたかというと、GHQの「太平洋戦争史」を教育の場に浸透させるためだった。子供たちにこの歴史観を教え込ませるためにやったのが、日教組の組織化だった。「日教組はGHQが組織した」という事実は、日教組自身が正史「日教組十年史」の中で書いている。
■憲法9条のメリット、デメリット
これらのマインドコントロールの結果、日本では戦争が「絶対悪」と考えられるようになった。憲法9条の「戦争をしない」「戦力を持たない」「交戦権を認めない」という、「絶対平和主義」だ。
護憲派は「過去73年間、日本が戦争をしなかったのは憲法9条があったから」という。しかし、これは空想に過ぎず、日米安保によって米軍が日本に駐留し、自衛隊もあったから日本で戦争がなかったのだ。
9条のメリットといえるものはほとんどなく、デメリットは多い。例えば、イランイラク戦争。当時、イランの首都テヘランには日本人が250人くらい滞在していたが、いよいよイラクからミサイルが飛んできそうになると、各国政府は軍用機を飛ばしてそれぞれ自国民を脱出させた。ところが、日本は9条があったためにそれができない。絶望的な事態を救ってくれたのはトルコ政府だった。
現在でも、朝鮮半島で戦争が始まると、5万人ともいわれている韓国内の日本人をどう助けるか、という問題がある。このように、9条があるために自国民を見殺しにせざるを得ないようなことが過去にあり、これからも起こりうる。
日本と違い、世界では戦争を「絶対悪」視していない。オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞した際、記念演説で「戦争の中には、正しい戦争もあり得る」と述べた。その時に挙げたのがコソボの事例だ。
ここではすさまじい民族間の戦闘があり、これを止めさせるため、NATO(北大西洋条約機構)が空爆を実行した。これで、曲がりなりにもコソボに平和が回復したのだ。オバマは「人道的介入」などという言葉で説明した。つまり、戦争を絶対悪とはしない考え方だ。世界を見渡すと、外交だけでは平和の回復が無理だという状況が実際にある。
■主流を占めてきた東京裁判史観
GHQのマインドコントロールから脱するには「認識する」ことだ。過去に何が行われたか、自分たちの心がどうやって操作されたかを知ればトリックに気づく。
日本の戦後は、東京裁判によって作られた「東京裁判史観」という歴史観が主流を占めてきた。日本の侵略戦争を問題にし、それを反省する。アメリカの第二次大戦での戦争犯罪や、欧米列強のかつての侵略戦争などは一切気にせず、日本だけが悪かったとする考え方だ。この立場を取る者が日本の知識人であるかのように思われた時代がずっとあった。
終戦から6年後の1951(昭和26)年、マッカーサーは米国議会で「日本の戦争は、主に安全保障のためだった」と公式に証言した。また、米大統領を務めたフーバーも「日本の戦争は自衛目的だった。仕掛けたのはルーズベルト政権側だった」と回顧録で述べている。だが、日本の大半のメディアは、こうした証言や著述を報じない。
■改憲側がすべきことは、脱マインドコントロール
イギリスで、EU離脱の是非を問う国民投票が行われた。日本で憲法を改正しようとする場合、このイギリスの国民投票は参考になる。EUからの離脱は、論理的に考えれば「とどまったほうがいい」。だが、感情的には「離脱したい」。この論理と情緒の戦いで、英国民は煽(あお)られ、情緒が勝ってしまったのだ。
日本で憲法改正をしようとすれば、国会で3分の2以上の議員が賛成し、発議すれば、国民投票にかけられる。憲法改正のメインは9条。制定時からは大きく国際情勢が変わって、北朝鮮からミサイルが飛んでくる恐れがあり、中国が尖閣諸島だけでなく沖縄も狙っているときに、自衛隊の存在を憲法に明記し、しっかり守れるようにするのか、そのようにすると戦争になってしまうからそのままで行こうと考えるか。
人はなかなか論理的には考えられず、「改憲は戦争への道だ」「子や孫を戦争に行かせたくない」「兵隊にとられたら困る」などと不安を煽るほうが有利だ。護憲派は、必ず情緒に訴える。改憲派がなすべきなのは、戦後の日本はマインドコントロールされてきたという事実を理解してもらうこと。冷静に歴史を振り返り、「脱マインドコントロール」を戦略として展開することだ。
2018.8.27
◇
木佐芳男(きさ・よしお) 昭和28年、島根県出雲市に生まれ、53年、読売新聞社に入社。ニューデリー特派員や憲法問題研究会メンバー、ベルリン特派員などを経て平成11年、フリーに。両親の世話のため25年に出雲市へUターンした。主な著書に「〈戦争責任〉とは何か」「『反日』という病」など。