実態なき「同盟の深化」 櫻井よしこ氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100708/plc1007080328002-n1.htm
菅直人首相の下で民主党が作成した参院選に向けての公約集、「マニフェスト2010」には少なからず違和感を抱く。巻末に民主党政権が過去9カ月間に「実現したこと」として55項目が列記され、「日米同盟の深化」も堂々と掲げられているのだ。
同盟の深化どころか、民主党政権が同盟の危機を招き、鳩山由紀夫前首相はオバマ米大統領と満足に会談さえできなかったことは今更言うまでもない。たしかに菅氏は首相就任直後、日米関係の重視を表明した。6月27日にはカナダサミットで大統領と会談し、「日米同盟の深化」を口にした。
問題は実行である。同盟深化の第1段階が普天間飛行場移設問題の解決であるのは明白だ。マニフェストには「日米合意に基づいて、沖縄の負担軽減に全力を尽くす」と記されている。その日米合意は、普天間飛行場の代替施設の建設位置や工法について「いかなる場合でも2010年8月末日までに完了させ」るという内容だ。
「いかなる場合でも」である。何があっても民主党は辺野古移転の具体策を8月末までに決定すると米国側に約束しているのだ。
民主党がご破算にした自民党案に事実上戻るわけだが、状況は以前と比較にならないほど厳しい。現地では8月末までの決着など不可能だという見方が有力で、それは民主党内でも同様である。
そうした中、11月には沖縄知事選が行われる。知事選に意欲を見せる宜野湾市長の伊波洋一氏は自治労出身で、沖縄では「筋金入り」を超えて「鉄筋コンクリート入り」と評される基地反対闘争の闘士のひとりだ。普天間飛行場は宜野湾市に位置しており、市長である氏は7月2日、飛行場を米国に提供する日米政府の取り決めの無効確認を求めて、日本政府への訴えを起こすと表明した。
仮に氏が当選すれば、情勢はさらに厳しくなる。普天間のみならず、米軍基地すべての存続に疑問符が突きつけられ、日米同盟は行き詰まる可能性が大きい。
こうした状況下、首相は同盟をどう深化させるのか。最重要課題であるにもかかわらず、首相はひと言も触れない。参院選が終わるまで、一切の議論が封じ込められ、展望は見えない。詰まるところ、首相の言う「同盟の深化」には、いまだ一片の実態もない。
民主党のマニフェストには、このように、黒を白と言い換える事例が少なくない。「口蹄(こうてい)疫対策」を実現したという主張には、宮崎など南九州の畜産農家が怒った。「アフガニスタン支援」を実現したとの主張は、安保問題に少しでも興味のある人々の顰蹙(ひんしゅく)を買った。加えて外交・安全保障に関する公約には論理の矛盾が目立つ。
たとえば「緊密で対等な日米関係を構築するため、日米地位協定の改定を提起します」とマニフェストには書かれている。同協定の改定は、米兵による犯罪発生などの捜査に関して変化は生じても、それが、緊密で対等な日米関係を生み出すわけではない。それは日本自身が自らの安全により大きな責任と自主性を発揮できる仕組みを作ることから始まるはずだ。
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中国海軍の外洋への進出は目覚ましく、7月3日にも彼らは沖縄本島と宮古島の間を堂々と通過した。中国外務省は先に、大艦隊の日本近海航行は「常態化」する、日本は「順応せよ」と述べた。今回中国国防省は「国際法に適した正常な航行だ。このこと(通過)だけを発表する必要はない」と日本を牽制(けんせい)した。あたかも日本政府に情報をコントロールせよと言わんばかりの物言いである。
中国の脅威が眼前に突きつけられているいま、日米同盟の弱体化は日本の孤立を招く。同盟国として日本を信頼できなければ、米国は韓国や、あるいはインドや豪州などとの地域連合に代替を求めることにもなる。場合によっては、米中が接近し、日米対中国の図式が日本対米中に変化する可能性さえある。
後ろ盾としての日米同盟が揺らげば、かつてフィンランドがソ連の脅威に屈服してひたすら耐え続けたように、日本は中国の脅威の前にその顔色をうかがいながら従属国として生きる道しかなくなることもあり得る。この場合、日中対米国の構図に日本が落ち込み、惨めな沈黙の中で幾十年間も耐えなければならないということだ。
こうした事態を避けるためにこそ、真の意味で菅首相が掲げる「緊密で対等な日米関係の構築」が必要となる。そのためには、日本以外の周辺諸国すべてが、中国の脅威から自国を守るために軍拡を続けているように、日本もとにもかくにも、防衛予算を増やし、防衛力の空洞を埋めなければならない。防衛予算を事業仕分けの対象にするなどの愚はもってのほかである。
中国の軍事力は1982年策定の長期戦略にのっとって構築されてきた。彼らは28年前に21世紀の国際社会の構図と戦略目標を具体的に描き、実現させてきた。
菅首相が日本国と日本国民に負っている責任は、事業仕分けで国家の根幹を削りとることではなく、長期戦略の構築に叡智(えいち)を注ぎ、その実現への確実な一歩を踏み出すことだ。だが、菅首相にそのような発想があるとは思えない。菅政権の下でのさらなる迷走を懸念するものだ。