7月24日付 産経新聞【正論】より
嗚呼、「無難神」に憑かれし国よ 筑波大学大学院教授・古田博司氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120724/plc12072403120005-n1.htm
最近の日本は、つくづく貧乏神に取り憑(つ)かれたようで、なかなか経済的な苦境から脱出できない。無難に乗り切るには増税が必要なことは誰にも分かるが、それを推し進める民主党の野田佳彦政権が政局を円満に乗り切れるかどうかは別問題である。こう考えると、いつの間にか、わが国には貧乏神だけではなく、無難神と円満神も住み着くようになったらしい。
≪円満神と無縁の中国には裏目≫
大津市のいじめ自殺事件でいえば、男の子は多くのいじめ被害者がそうであるように、円満に解決しようとこらえ、がまんした。担任や学校や教育委員会は無難にやり過ごそうとした。しかし、加害者たちは無難でも円満でもなかった。円満神や無難神に取り憑かれた方が暴力に負けてしまった。
東京都の石原慎太郎東京都知事は無難ではないが、円満な人である。パンダの子にセンセン、カクカクと名付けて帰してやれとか、言うことは無難ではないが、ちゃんと円満に中国に賃貸料を払ってパンダを公開し、都民をはじめとする日本国民を喜ばせている。
その都知事が国の無策にあきれて、尖閣諸島を直接、地権者から購入しようとした。円満策に日本中の人々が共感し、億単位の寄付金が集まった。だが、野田政権は石原氏が無難な人ではないので、構造物を建てて実効統治強化に乗り出すことを危惧したのだろう、今頃になって国が買うと言い出した。中国との関係を無難にまとめようとしたのである。しかし、相手の中国には無難神も円満神もいないことに気づかなかった。日本国の介入こそが統治強化のシグナルと受け取り怒髪天を突いた。
無難神や円満神に取り憑かれている人は日本中に五万といる。億かもしれない。人と人が衝突を避け円満に無難に時をやり過ごす。狭い日本列島ではぶつかるとただでは済まないので、みなが無難神と円満神に忠誠を誓っている。推薦状には「某君は人格円満」だと必ず書かなければならない。たとえ無難でない人格でも、こう書いてやるからなと本人に言い含めて書く。推薦状を受けとった方は本当に無難で円満かどうか、面接でチェックしなければならない。
≪事なかれ姿勢で事態の悪化も≫
会議では多数決を取ることが難しい。円満ではなくなるからである。すったもんだの揚げ句、議長預かりになる案件があまりにも多い。それが無難な解決法だと信じているからである。結局、議長はどちらにとっても円満な答えが見つからず、問題自体が時の流れの中で変質する機会を待っている。だから、時間がとてもかかる。
無難神や円満神は、日本人の付き合いをなめらかにする潤滑油をとろーり、とろーりと出してくれる。が、受けつけない相手には一向に効かない。いじめが犯罪になるのを放置してしまったり、誤解が事態を一層複雑にしたり、解決に余計に手間取ったり、案件をさらに先延ばししたりしてしまう。そして、対応がいつも遅れる。
被害妄想神とゼノフォービア(外国人嫌い)神に取り憑かれた朝鮮民族からは島を奪われ人を掠(さら)われ、謝りが足りない、もっとカネ寄こせと言われる。中華神に取り憑かれた中国人には体当たりされ東シナ海を奪われそうになり、ツァーリ(皇帝)神に忠誠を誓うロシア人には北方領土に踏み込まれる。それでも無難に円満に解決しようというのは、相手が無難でも円満でもないことに何としても気づきたくないからであろう。
≪反原発で日本は貧乏神の巣に≫
大飯原発3号機の再稼働で少し息を吹き返しつつある日本の原子力をめぐっても、またしても無難神と円満神に操られた人々が集まり、日本を貧乏神の巣にしようと気勢を上げている。四囲は海であり、電力を周りの国々から買うこともできず、自然エネルギーでは安定的な産業が成り立たないという現実を見たくないのだろう。
昔は恐(こわ)いものを、「地震・雷・火事・親父(おやじ)」といった。今では、「地震・原発・火事・いじめ」であろう。どれも百パーセント排除することのできないリスクである。ならば、雷親父をかつてうまくなだめたように、原発やいじめを根絶の対象ではなく、暴走するようなリスクを低める努力の対象とすべきではないのだろうか。
無難神や円満神には、リスクを隠したりして、結局、事態を悪化させ、問題を先延ばしするという悪神としての側面がある。ただ、そのようなことを書くと、私が無難でも円満でもないということが露見し、さらに仕事が減るかもしれない。ゆえに、こんなことは書きたくなかったのであるが、放っておくと、エネルギーも領土も失って、日本国中が貧乏神の巣になるやもと危ぶまれたのである。
すでに、職場では貧乏神が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するようになり、家庭には火の車が走るようになった。他方、テレビをつけると、無難なニュースや円満な笑い声ばかりが響いてくる。インターネットの方が「地震・原発・火事・いじめ」の実態を包み隠さず教えてくれる。ネットは、無難神や円満神がまだ入り込めない空間のようである。(ふるた ひろし)
嗚呼、「無難神」に憑かれし国よ 筑波大学大学院教授・古田博司氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120724/plc12072403120005-n1.htm
最近の日本は、つくづく貧乏神に取り憑(つ)かれたようで、なかなか経済的な苦境から脱出できない。無難に乗り切るには増税が必要なことは誰にも分かるが、それを推し進める民主党の野田佳彦政権が政局を円満に乗り切れるかどうかは別問題である。こう考えると、いつの間にか、わが国には貧乏神だけではなく、無難神と円満神も住み着くようになったらしい。
≪円満神と無縁の中国には裏目≫
大津市のいじめ自殺事件でいえば、男の子は多くのいじめ被害者がそうであるように、円満に解決しようとこらえ、がまんした。担任や学校や教育委員会は無難にやり過ごそうとした。しかし、加害者たちは無難でも円満でもなかった。円満神や無難神に取り憑かれた方が暴力に負けてしまった。
東京都の石原慎太郎東京都知事は無難ではないが、円満な人である。パンダの子にセンセン、カクカクと名付けて帰してやれとか、言うことは無難ではないが、ちゃんと円満に中国に賃貸料を払ってパンダを公開し、都民をはじめとする日本国民を喜ばせている。
その都知事が国の無策にあきれて、尖閣諸島を直接、地権者から購入しようとした。円満策に日本中の人々が共感し、億単位の寄付金が集まった。だが、野田政権は石原氏が無難な人ではないので、構造物を建てて実効統治強化に乗り出すことを危惧したのだろう、今頃になって国が買うと言い出した。中国との関係を無難にまとめようとしたのである。しかし、相手の中国には無難神も円満神もいないことに気づかなかった。日本国の介入こそが統治強化のシグナルと受け取り怒髪天を突いた。
無難神や円満神に取り憑かれている人は日本中に五万といる。億かもしれない。人と人が衝突を避け円満に無難に時をやり過ごす。狭い日本列島ではぶつかるとただでは済まないので、みなが無難神と円満神に忠誠を誓っている。推薦状には「某君は人格円満」だと必ず書かなければならない。たとえ無難でない人格でも、こう書いてやるからなと本人に言い含めて書く。推薦状を受けとった方は本当に無難で円満かどうか、面接でチェックしなければならない。
≪事なかれ姿勢で事態の悪化も≫
会議では多数決を取ることが難しい。円満ではなくなるからである。すったもんだの揚げ句、議長預かりになる案件があまりにも多い。それが無難な解決法だと信じているからである。結局、議長はどちらにとっても円満な答えが見つからず、問題自体が時の流れの中で変質する機会を待っている。だから、時間がとてもかかる。
無難神や円満神は、日本人の付き合いをなめらかにする潤滑油をとろーり、とろーりと出してくれる。が、受けつけない相手には一向に効かない。いじめが犯罪になるのを放置してしまったり、誤解が事態を一層複雑にしたり、解決に余計に手間取ったり、案件をさらに先延ばししたりしてしまう。そして、対応がいつも遅れる。
被害妄想神とゼノフォービア(外国人嫌い)神に取り憑かれた朝鮮民族からは島を奪われ人を掠(さら)われ、謝りが足りない、もっとカネ寄こせと言われる。中華神に取り憑かれた中国人には体当たりされ東シナ海を奪われそうになり、ツァーリ(皇帝)神に忠誠を誓うロシア人には北方領土に踏み込まれる。それでも無難に円満に解決しようというのは、相手が無難でも円満でもないことに何としても気づきたくないからであろう。
≪反原発で日本は貧乏神の巣に≫
大飯原発3号機の再稼働で少し息を吹き返しつつある日本の原子力をめぐっても、またしても無難神と円満神に操られた人々が集まり、日本を貧乏神の巣にしようと気勢を上げている。四囲は海であり、電力を周りの国々から買うこともできず、自然エネルギーでは安定的な産業が成り立たないという現実を見たくないのだろう。
昔は恐(こわ)いものを、「地震・雷・火事・親父(おやじ)」といった。今では、「地震・原発・火事・いじめ」であろう。どれも百パーセント排除することのできないリスクである。ならば、雷親父をかつてうまくなだめたように、原発やいじめを根絶の対象ではなく、暴走するようなリスクを低める努力の対象とすべきではないのだろうか。
無難神や円満神には、リスクを隠したりして、結局、事態を悪化させ、問題を先延ばしするという悪神としての側面がある。ただ、そのようなことを書くと、私が無難でも円満でもないということが露見し、さらに仕事が減るかもしれない。ゆえに、こんなことは書きたくなかったのであるが、放っておくと、エネルギーも領土も失って、日本国中が貧乏神の巣になるやもと危ぶまれたのである。
すでに、職場では貧乏神が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するようになり、家庭には火の車が走るようになった。他方、テレビをつけると、無難なニュースや円満な笑い声ばかりが響いてくる。インターネットの方が「地震・原発・火事・いじめ」の実態を包み隠さず教えてくれる。ネットは、無難神や円満神がまだ入り込めない空間のようである。(ふるた ひろし)