lurking place

ニッポンのゆる~い日常

天皇陛下ご即位20年

2009-11-11 08:55:51 | 正論より
11月11日付   産経新聞より


天皇陛下ご即位20年    拓殖大学大学院教授・遠藤浩一氏


http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/091111/imp0911110244000-n1.htm


 ■「尊皇」の心で難局を打開したい 

 昭和は、わが国の歴史においても例を見ないほどの激動の時代だった。では平成はどうだろうか?

 日々の暮らしに精一杯のわれわれ民草は、ともすれば同時代の大きな変化に気付かないままやり過ごしてしまうものだが、後世の史家が振り返ったとき、平成は昭和と同様に、あるいはそれ以上に大きく動揺した時代だったと指摘されることになるかも知れない。

 先帝昭和天皇が摂政に就かれた大正10(1921)年、大陸に中国共産党が創立され、翌年その北方にソ連邦が建国された。それから68年後の平成元(1989)年、昭和天皇の崩御から1年もたたぬうちにベルリンの壁が崩壊し、欧州では共産主義の敗北というかたちで東西冷戦に一応の決着がついた。


 ≪昭和の壮挙の上に立って≫

 昭和の御代を通じて、日本は懸命に、健気(けなげ)に生きてきた。この間わが国にとっての最重要課題は共産主義の脅威からいかに国柄を守るかということだった。ソ連は建国するや否や対日工作を本格化させ、日本の支部員を指嗾(しそう)した。例の「天皇制」という耳障りな用語はコミンテルン(1932年テーゼ)の造語だが、そこには、制度なんだからいつだって改変できる、とっととやめちまえ、という含意がある。戦後、大多数の日本人は天皇とともに復興することに希望を見出したが、共産党は天皇および皇室を敵視し、野卑な言葉で攻撃した。社会党左派にもそれに同調する空気があった。

 しかし日本はこうした内外にわたる「左からの圧力」を静かに跳(は)ね返し、伝統と歴史の上に自由と民主主義を発展させるという文明史上の壮挙を成し遂げた。

 平成の御代は欧州における冷戦終結とほぼ同時に始まっている。しかし、F・フクヤマの託宣通りにはならず、歴史は終わったわけではなく、東アジアは冷戦構造を抱えたまま今日にいたっている。ベルリンの壁が崩壊する少し前に隣国中国では天安門事件が起こり、人民解放軍が自国人民を蹴散すことによって冷戦における敗北を巧妙に回避したばかりか、その後毎年二桁の軍拡を続け、産軍一体となった富国強兵策によっていつの間にか米国と並ぶ覇権国家になろうとしている。


 今年10月1日(国慶節)の建国60周年軍事パレードでは大陸間弾道弾などを、4月23日の海軍創設60周年観艦式では原子力潜水艦や水上戦闘艦などを、これでもかといわんばかりに誇示してみせた。中国の軍拡や北朝鮮の核開発の脅威にさらされるのは、まず日本である。ところがその中国に媚態(びたい)をついているのも日本である。


 冷戦後のわが国は、脱高度成長期の経済運営において試行錯誤を重ね、いささか疲弊し、現在の生活や将来に対して不満や不安をもつ国民が増えている。自民党は当事者能力の不在をさらけ出した。国民の不満と自民党の劣化に乗じて政権を奪取した新政権は東アジアの異常な状況を直視しようとせず、同盟国たる米国に対して距離を置き、中国には(自民党政権以上に)揉(も)み手をして接近しようとしている。その中国でさえ興味を失いつつある東アジア共同体構想を提起し、そこに米国を入れる入れないでフラフラと迷走し、普天間基地の移設問題では閣内の不一致をさらけ出して国民と同盟国を呆(あき)れさせている。現実の前で観念が空転しているのである。


 ≪周囲の厳しさ見えぬ人たち≫

 外交に専念していればいいのに、岡田克也外相は国会開会式における天皇陛下のお言葉について「陛下の思いが少しは入ったお言葉がいただけるような工夫を考えてほしい」と口走った。政権交代を寿ぐお言葉でも頂戴(ちょうだい)したかったのだろうか。天皇の政治利用に無神経なこの発言には、新政権の観念的かつ軽薄な体質が端的にあらわれている。


 昭和の日本には、闘うべき相手の姿がはっきりと見えていた。いくつかの判断ミスもあったが、必死にその相手と闘ってきた。平成の日本は、周囲の厳しい状況がみえていない。いや、見ようとしない。闘うことを放棄している。内部の崩壊にも気付かない、気付こうとしない。そこに苦難がある。

 そんな中で、天皇陛下は先帝のご遺徳を継承され、無私のお心で静かに祭祀(さいし)を営まれ、国家の安寧と国民の慶福をお祈りしておられる。日本人はいま、内政外交にわたって試練を迎えているが、これまでがそうであったように、これからも、天皇とともに苦難を乗り越えていかなければならない。

 和辻哲郎は「尊皇思想はわが国民の生活の根強い基調であつて、いかなる時代にもその影を没したことはない。権力を有する人たちがそれを忘れた時にも、国民は決して忘れはしなかつた」(『尊皇思想とその伝統』)と喝破したが、為政者はともかく、国民が尊皇の心を失わなければ、この難局も打開できると信じたい。(えんどう こういち)









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華人経済圏のお先棒を担ぐのか

2009-11-11 08:53:38 | Weblog

華人経済圏のお先棒を担ぐのか


http://sankei.jp.msn.com/world/china/091111/chn0911110734001-n1.htm


 世界のドルをかき集めている中国が、相次ぐ対外援助を称して「マーシャル・プラン」と呼号しているそうだ。東南アジア諸国連合(ASEAN)にカネをばらまき、こんどもアフリカ諸国に対して温家宝首相が3年間で100億ドルの低利融資を実施すると明らかにした。

 史上、有名な米国のマーシャル・プランといえば、戦後欧州の惨状を救ったことで名をはせた。不人気だったトルーマン大統領は、第二次大戦の参謀総長として尊敬を集めたマーシャル国務長官に栄誉あるその名を譲った。

 選挙のない中国は、有権者の人気を気にすることはないから、「温プラン」でも「胡プラン」でも一向に構わない。マーシャル・プランが欧州で米国の影響力拡大に寄与したように、アジアやアフリカで中国の影響力浸透に使われる。

 もっとも、中国の対外援助は必ず見返りを求める狡猾(こうかつ)さがあって、援助が中国のトクにならなければ決して実行することがない。中国の援助は過剰な外貨準備をドルだけで持つ危険回避の意味があるし、輸出製品の市場拡大の必要から途上国に種をまく。

 とたんに安価な中国製品が流れ込み、鉄鉱石や銅などの天然資源はごっそり持っていかれる。途上国の奥様たちは「安い」と喜ぶが、亭主族の会社は価格競争に敗れて不満が募る。いびつな華人経済圏の形成である。東南アジアで時折、華僑・華人の排斥デモや中華街で焼き打ちが発生するのも故なしとしない。


 その一つであるアジア市場に、鳩山政権は「東アジア共同体」構想を呼び戻そうとしている。日本の経済援助は見返りを求めない「お人よし援助」だから、これら経済圏づくりでも中国の敵ではない。

 せっかく歴代政権が、口うるさいオーストラリアやインドを巻き込んで東アジア首脳会議を発足させ、米国や台湾の扱いを協議するところまできたのに、また振り出しに戻すようなことを言っている。

 まして、岡田克也外相は「米国ぬき」を明言し、鳩山由紀夫首相は言葉を濁すだけではっきりしない。同盟関係にある米国や豪州の神経を逆なでするばかりだ。

 豪州のラッド首相は東アジア共同体ではなく、米国にも開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)をベースとした「アジア太平洋共同体」を示唆した(英フィナンシャル・タイムズ紙)。

 それなのに鳩山首相は、定義もあいまいなままに東アジア共同体の旗を振る。2004年にASEANプラス日中韓の自由貿易圏を提案したはずの中国は、どの案にも触れずにダンマリを決め込んでいる。

 日本が引っ張って米豪印抜きの「ASEANプラス日中韓」共同体ができれば御の字だし、日本を矢面にほくそ笑んでいればそれでよい。米豪印の怒りを買うのは日本だけだ。

 これまで、イラク、アフガニスタン問題で忙殺され、アジア太平洋に手が回らなかった米国は、鳩山政権の奇妙な動きに遭遇してようやくアジアに本腰を入れる気配だ。今週末にシンガポールでのAPEC首脳会議に臨み、「アジアの一員」を強調する。アジアの主導権を争うオーシャン・チェス・ゲームがはじまった。(東京特派員)




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外国人参政権

2009-11-10 09:26:57 | 外国人参政権
外国人参政権 「違憲」の疑い論議尽くせ

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091110/plc0911100249002-n1.htm


民主党内で、永住外国人への地方参政権付与法案を議員立法で今国会に提出しようとする動きが起きている。同党の山岡賢次国対委員長が自民党の川崎二郎国対委員長にこれを伝え、「場合によっては、党議拘束なしで(採決を)行いたい」とも述べた。

 しかし、この法案は選挙権を国民固有の権利と定めた憲法15条に違反する恐れがある。国民の主権を脅かしかねない法案であるにもかかわらず、それを党議拘束なしに採決しようというのは、あまりにも乱暴である。

 しかも、民主党は今夏の衆院選に向け、永住外国人への地方参政権付与を党の政策集に掲げていながら、マニフェスト(政権公約)から外した。マニフェストにないものをなぜ急ぐのかも疑問だ。

 この問題で、民主党内には、小沢一郎幹事長ら推進派の議員が執行部に多いが、中堅・若手議員を中心に慎重論も根強い。法案提出の前に、まず党内で憲法問題などの議論を尽くすべきだ。

 連立与党の中でも意見が分かれている。社民党は外国人参政権付与に賛成の立場だが、国民新党代表の亀井静香郵政改革・金融相は「在日外国人の比率が非常に高い地域がある」などと慎重論だ。

 推進派の鳩山由紀夫首相も先の衆院予算委員会で「強引に押し通そうとは思っていない」と答えた。平野博文官房長官も9日の会見で、党内論議の必要性を強調した。当然である。

 在日韓国人ら永住外国人に地方参政権を与えようという動きは、この問題が「国の立法政策に委ねられている」とした平成7年2月の最高裁判決を機に強まったといわれる。だが、判決のその部分は拘束力のない傍論の中で述べられたものにすぎず、本論部分では、憲法93条で地方参政権を持つと定められた「住民」は「日本国民」を意味するとして、外国人の参政権を否定している。


 韓国で今年2月、公選法が改正され、2012年以降、在外韓国人が韓国の国政選挙権を持てるようになる。もし、日本で外国人に参政権が与えられれば、在日韓国人らは二重の選挙権を持つことになる。この点からも、外国人への参政権付与は問題である。


 外国人が参政権を得るためには、やはり日本国籍を取得すべきだ。国政選挙であろうと地方選挙であろうと、参政権は国民にのみ与えられた権利なのである。





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民主が議員立法で外国人参政権付与法案を提出へ 臨時国会で

2009-11-06 15:22:39 | 外国人参政権
民主が議員立法で外国人参政権付与法案を提出へ 臨時国会で

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091106/stt0911061157002-n1.htm


 民主党の山岡賢次国対委員長は6日午前、自民党の川崎ニ郎国対委員長と国会内で会談し、今国会中に永住外国人への地方参政権付与法案を議員立法で提出する考えを伝えた。

 会談終了後、山岡氏は記者団に対し「今国会で(提出を)考えている。党内にもいろいろ意見があるが、場合によっては党議拘束なしというやり方もある」と述べた。また、山岡氏は臨時国会の会期について「今の状況では延長せざるを得ない」と述べた。11日に政府・民主党首脳会議を開催して国会対応を協議する方針だ。

 地方参政権付与については、鳩山由紀夫首相が5日の衆院予算委員会で「前向きに考えている」と述べていた。






早くも本性を現してきました

地方参政権に関しては政策集には載せていましたが

マニフェストには載せていませんでした

国民を欺いて自分達の目的を成し遂げようとするところなんざぁ

いかにも売国民主党らしいですわ





民主党の東京都議会議員のHPです

http://www2u.biglobe.ne.jp/~t-tutiya/

この方は党に対して問題点を指し示し異議を唱えたところ

離党勧告をだされた方です

ぜひ「民主党マニフェストの問題点」というところを

 ↓ 一読ください

http://www2u.biglobe.ne.jp/~t-tutiya/enter.html





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自己を見失った「期待過剰」外交

2009-11-05 09:12:41 | Weblog
11月5日付    産経新聞より



自己を見失った「期待過剰」外交    東京工業大学名誉教授・芳賀綏氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091105/plc0911050310001-n1.htm



 ≪世界の鏡に映した日本人≫

 オバマ米大統領訪日は現下日本の外交姿勢を矯正する好機になるのだろうか。

 この数旬(すうじゅん)、日本の首脳外交に殊に目立ったのは近隣への期待過剰、「甘え」である。重量感なき一句「東シナ海を友愛の海に」などは同盟国の不信にも増して大陸隣邦の軽侮(けいぶ)を買ったろうが、「アジア」の美名に惹(ひ)かれた幻の一体感・安心感は他愛もない。迷妄(めいもう)を脱して出直すのがよい。


 一般国民にもまだ「アジアの一員」で片づける大まかな自己認識があるが、最も近い日韓でさえ「性格の違う双生児」と評される。生理的共通性よりも国土に根ざした民族性の差が大きいのだ。文物は朝鮮海峡を渡って伝わったが“性分”は伝来しなかった。

 そこで、一層目を広げて地球規模で、国際情勢などを超えて超長期的な文化圏のあり方を知り、その中の日本の位置づけ、つまり〈世界の鏡に映した自己〉を見る観点の一つを以下に書く。

 地球物理学者、寺田寅彦の言をかえりみると、大陸と隔絶した日本列島は、気候学・地形学・生物学的に、全地球上にもユニークな位置を占めている。日本人特有の感覚(センス)や生活様式・生活感情がそこに育(はぐく)まれた。

 日本民族は、四季おりおりのキメ細かく美しい風景を持つ細長い国土に定着し、太古から稲作農耕を生業として長らく畜産・肉食を知らず、南アジアにも似通う“植物性”の文化に生きた。わが民族性の原型・核心はそこに深い根をおろし、変化していない。


 ≪攻撃性文化の「凸型」世界≫

 「万物に神宿る」アニミズムで人と自然が合一し「風雅」の境を尊ぶ日本では、人と人も和合して角を立てず、淡泊・素直で繊細、受容的な意識傾向が形成され、世界屈指の優しく穏やかな空間が生じた。数学者、岡潔の言う「情」の世界である。

 このような“心の形”の総体を筆者は〈凹(おう)型文化〉と名づけ、日本人らしさを解明した拙著では、異質の〈凸(とつ)型文化〉に対置した。

 凸型文化圏は広大で濃淡の内部差を含むが、朝鮮半島・中国、内陸アジアや中東からヨーロッパに及ぶユーラシア大陸の大部分が含まれる。その延長に北中南米や大洋州の白人社会もある。

 凸型文化の本質は日本の裏返しで、人間は自然に対して突出し、人と人も対立してせめぎ合う。愛憎激しく、執念深い自己主張の衝突する苛烈(かれつ)・峻烈(しゅんれつ)な、日本人には息苦しい空間だ。情ではなく「意」の世界である。

 そこには「山は青く水は清き」日本と大きく異なる風土的背景がある。大陸型のキメの粗い自然、荒涼たる砂漠や大草原を含む壮大だが単調・索漠の大地に、牛馬、トナカイ、羊やラクダなどの家畜の群れを人間の強烈な意志で駆使する“動物性”空間だ。畜産や遊牧、肉食(特に内臓食)の長い伝統を持つ社会は、人間が自然を征服するほか人間を征服・支配するのも当然とする文化を生んだ。

 異国・異民族・異教徒はすべて敵対者と見る性悪説で、迫害や侵略のくり返し、言語による説得や威嚇(いかく)、手練手管の交渉技術がユーラシアを中心に発達した。心を許さぬ不信と謀略の世界、すさまじい外交ドラマの舞台は、心理力学の苦手な日本と違うしたたかな世界である。日本は江戸末期まで白人国家の脅威も中華大帝国の支配も受けず内向きに過ごし、本格的外交は不在で済んでいた。この重い歴史のハンディを明治の先達は懸命に克服したが、むしろ近年またこの落差が目立ってきた。


 ≪「不寛容」の相手に対処を≫

 対比した凹型圏と凸型圏の別はアジア対欧米の区分とは全く食い違う。人種や国家体制とも別次元、アジア一体視とは矛盾する。

 先進国は日本以外すべて凸型で、新興国も総じて凸型圏にある。つまり日本が外交の相手にする主要な国は凸型ばかりだ。「情」の日本が多様な「意」の国々を相手にする-という構図を改めて確認する必要がある。

 優しい日本の交渉相手は「不寛容」な民族たちで、同盟国とて例外ではない。期待過剰を戒めた故中村菊男博士は「相手も自分と同じように思うだろう」と考えるのが日本人だと言われた。その鎖国的凹型思考を克服せずには不寛容の相手に太刀打ちできない。語学技能だけでは駄目、「先方のイヤがることはしない」「謝り続けよう」…で情にほだされてくれる相手ではない。「東シナ海=友愛の海」とくれば、領海や領土を支配されても“寛容”に受容するサインと曲解されそうだ。


 貴重な情の文化は、文化交流・現地支援や個人間の交流などが重なって異文化の国にも広く理解されつつある。日本のよさに自信をもって諸民族に示す自然の振る舞いを続けたい。一方、外政の責任者は、国家の威信と利益を代表して命運を左右する緊張感と自覚をもって外に対さねばならぬ。一般国民も繊細さの上に凛乎(りんこ)たる姿勢を併せ持ち、指導層が覚悟を欠くならその“外柔内柔”を叱りうる国民に成長すべきだ。(はが やすし)

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