二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

陰極まって 陽生じる ~冬至~

2017年12月23日 | 言葉のちから 心のちから

 12月21日または22日は「冬至」です

 1年で最も夜が長く、昼が短い日です。

 陰陽の考え方では、 陰が極まって、陽が生じる  そんな日です。

 平成31年4月で、現天皇陛下が退位され、皇太子殿下に譲位されますが、12月23日は天皇陛下のお誕生日でもあります。

 そして、これを書いている日は天皇陛下の誕生日であり、冬至を一日過ぎて、陽に転じた第一日目です

 節目とは大事なもので、人はそんな節目があるから、心新たに、心も身体も精神も一新して、物事に当たれるのだとも思います。

 

 生きる力 

 およそ人間としてこの世に生まれ、人間として人生に活きるために、第一に知らねばならぬことは、人間の ”いのち”に生まれながらにして与えられた、生きる力に対する法則である。

 まこと、自分のいのちの中に与えられた、力の法則というものを、正しく理解して人生に活きる人は、真に、限りなき強さと、歓喜と、沈着と、平和とを、作ろうと思わなくても出来上がってくるように出来ているのである。

 それを一番先に我々は知らねばならない。

(『中村天風 一日一話』 中村天風財団 編より)

 

 さて、これからの人生、一年、一日、一瞬、刹那、地球全体は「陽」に転じたのですから、心も言葉も態度も、元気に、明るく、笑顔で、積極的に、 陽  でいきたいですね。

 最後までお読みいただき、ありがとうございます。 

 

   二葉鍼灸療院 田中良和

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「人」を気にせず 「天」を気にせよ

2017年12月01日 | 言葉のちから 心のちから

 この世の中、悩みというものが無くなることはあるのか そんなことを考える時があります。

 人生を歩んでいる中で、発展途上なのか、成長しているのか、そこのところは分かりませんが、いろんな人との関係の中で「悩み」が出てきて、本当に狼のように叫びたくなる時があります。

 これは成長の過程の出来事だと思っても、なかなかやりきれない時もあるんです。

 人間だから!( パクリか )

 自分のことは棚に上げて、周囲の人や物に責任を押し付けたり、そこに責任を転嫁することによって自分の気持ちを楽に保とうとしたりします。

 本当に自分って弱いな、と思う時が多々あります。

 人生、山あり、谷ありと良く言いますが、一日においても、刹那においても、自分の心や精神と言うのは常に揺れていて、山の波がやってきたり、谷の波がやってきたりします。

 そして、それが現実に現象としてあらわれることもあり、「これだけ頑張っているのに・・・」と、解決にはならないけれど、周囲にその責任を押し付ける、そんな自分が登場することもあります。

 でも、ふと先人や先輩方が残した文章に触れると、我に返り、山の波が心の底から湧いて、心や精神の進む方向が変わってくることがあります

 

 「人」を氣にせず、「天」を氣にせよ 

 ある時、西郷さんが、こうおっしゃった。

 ”人を氣にせず、天を氣にして生きていくことだね。

 人生というのは、天だけが自分のことを知っている と考えながら、今、自分に出来るかぎりのことをしていけば、それでいいものなのだよ。

 もしも、うまくいかない時があっても、けっして誰かを責めたり、何かを責めたりしてはいけないね。

 そういう時こそ、自分の誠が、まだ足りなかったのではないか? と、自分の心を顧みなければいけないんだよ。”

 

『【新訳】 南州翁遺訓~西郷隆盛が遺した「天敬愛人」の教え~』より

 

 タイミングよく、この月頭にいい文章に出逢えたものだと思います。そして、グサッと私のハートに、見事に刺さりました

 話は飛びますが、最近、世間を賑わせいる大相撲、横綱 日馬富士の問題ですが、いろんな考えがあると思います。報道されているように、短絡的に日本の先輩、後輩の関係が悪のような捉え方は、これこそ悪の捉え方だと私は思います。

 先輩、それも荒波にもまれて結果を出してきた先輩は、やはり、それ以前の先輩の行動や残してきた道に「天」をみているのだと思います。その「天」を実践し、受け継いでいくことが、これが先輩、後輩関係であり、師弟関係だと思います。

 報道では真実はまったく分かりませんが、そこを見間違えたり、捉え違えてはいけないかなと私は感じております。

 師匠や先輩の言葉や行動には、やはり人の上か、周囲か、近くか、どこにあるか分からない「天の氣」、引き寄せる氣が存在するのだと思います。すべてではありませんが(笑)。

 「人」を氣にせず、「天」を氣にせよ・・・なかなか自分では出来ていませんが、本日より念頭に置きながら心を磨いていきたいなと思います。

 そして、やれることは無尽にあるという気持ちで、今、やれることに全力を注ぎたいと思います。

 

 最後までお読みいただき、ありがとうございます

 

   二葉鍼灸療院 田中良和

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花のように 泉のように(言葉のサプリメント)

2017年05月25日 | 言葉のちから 心のちから

 私は周囲からは「元気」の塊のように見られていますが・・・実際そうですけど~  、それでも体調や心の波(リズム)はあります。

 皆そうだと思いますけど、そのスイッチの切り替えができることが大事かなと思ってます。

 と言いながら、リズムが低調で「谷」に陥っている時は、マイナス感情などが湧いてくる時があるのも事実です。

 そんな時に、先人の残した文章や言葉などを見たり、思いを感じとると、早く「谷」から脱出できることもあります。「谷」の期間をどれだけ短く、そしてその期間をうまく有効活用していくことで、「山」の時期には、さらなるワクワクが待っているのだと思います

 

 それにしても昨今の報道では、加計学園であったり、森友学園であったり、教育に関る問題が世間を賑わせています。本当に悲しくなるというか、大人がもっと子どもたちに胸を張って仕事や行為を誇れるようにならなければいけないのだと感じます。

 教育基本法 前文には、

「我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
 ここに、我々は、日本国憲法 の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。 」

と書かれています。

 素晴らしい理念だと思います。これを行う教育機関や国が模範を示して子どもたちを教育していくことが必要であるのに、大人たちの意志、行動がそうなってないことは本当に悲しいことです(一部の)。

 子どもは大人の姿を真似て=学んで育っていくわけです。

 教育は「国家百年の計」とも言います。

 この言葉は、古代中国、春秋時代(日本では縄文時代後期から弥生時代にかけての時期でしょうか)、斉という国の君主で、この時代の初期の覇者である桓公が覇権を達成した時に、名宰相であった管仲が贈った言葉で、

        『一年の計は、穀を樹(う)えるに如かず、十年の計は、樹を樹えるに如かず、

終身の計は、人を樹えるに如かず』

という言葉からきています。

     ”一を植えて1を収穫できるのは穀物で、一を植えて10を収穫できるのは樹木であり、

一を植えて100を収穫できるのは人だけが行うことができる”

という意味だそうです。

 要は「人材の発見と育成=教育」が国家を繁栄させるには大切だということです。

 ここではあまり多くは書きませんが、現在も憲法審査会で日本国憲法について協議が行われていますが、良いものは残し、時代に適応していないところは変えていくべきだと私は思っています。そのための議論はどんどん行い、熟成させていけばいいと思っています。

 

 話は逸れましたが・・・いつもですが・・・

 先人の言葉は、今の私の心に足りない栄養素を補助して、元気を出してくれる力があるなと常々思います

 

  花のように 

  砂漠に見いだす清らかな泉は、旅行く人の喜びであり、憩いであり、そして励ましである。

  荒涼たる山野に、毅然として咲き誇る一輪の花は、また旅人へのこよなき慰めとなり

  励ましとなる。

  今の世の中が、荒野の如く荒れ果て枯れ果てているとは敢えて言わないが、

  それでもこのむつかしい時代に、人びとの心は次第に落ち着きを失って、

  索漠たる気配が感ぜられぬこともない。

  おたがい手をつなぎ、助け助けられながら生きねばならぬこの世の中である。

  人の心が砂漠のように荒れ果ててはたまらない。せめて我われだけでも、

  清らかな泉のように、毅然たる一輪の花のように、強く正しく働いてゆこうではないか。

  むつかしいことかもしれないが、自分の仕事に誇りを持ち、

  自分の仕事に意義を感じるならば、

  わが身の処し方もおのずからに見い出されてくるであろう。

  どんな世の中になっても、あわてず、うろたえず、淡々として社会への奉仕を心がけてゆこう。

  その姿自体が、人びとにとってすでに大きな励ましとなり、憩いとなるのである。

  花のように。泉のように。そこにわれわれの喜びもある。

                              『道をひらく』  松下幸之助 著  PHP研究所

 

 まさしくその通りです。松下幸之助さんの言葉はいつも腑に落ちます

 そしてパワーになります

 自分の仕事に誇りを持ち、意義を感じ、強く正しく清らかに、社会に貢献していこう

 

 最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

   二葉鍼灸療院 田中良和

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人を思う心ってすごい!~8年越しの結婚式~

2017年02月22日 | 言葉のちから 心のちから

なにはともあれ、この動画に感動しました

 

【T&G】8年越しの結婚式 - アーヴェリール迎賓館(岡山)

 

私もこんな気持ちを大事に刹那を過ごしたいなと感じました。

 

奇蹟は思い続ける心から生まれるんでしょうかね。

 

愛っていうのか、絆って言うのか、誠というのか、お互いを思う心が何か道をつけてくれるのかなと感じます

 

人生、思い通りにはならないけど、しかし、思ったようにしか進まないこともあります。

それを超えた突然で必然の出来事もあります。

 

旦那さんの奥様を心から思う誠実さと純愛に 涙

奥様もよく耐えて回復してくれました。本当にありがとうと言いたい 涙

このお二人を支えるご両親も、結婚式を待ち続けた式場の皆様も素晴らしいです

 

こんな心で皆が人生を進めば、日本、世界、地球は素晴らしい惑星になっていくのかなと感じます。

 

結婚って、いろんな形があるけれど、どれが良いとか、悪いとかではなく、大きな力で結び付きあったご縁と、そのご縁に対する思いが大切なのかなと・・・

 

人生いろんなことが起こるけど、何かパワーと真の温かさをいただいた思いです

 

そんな気持ちで、今日も過ごそう

 

    二葉鍼灸療院 田中良和

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人に接するときの言葉

2016年12月29日 | 言葉のちから 心のちから

さて、2016年もあと3日をきりました。
何か、年末を感じさせない一年が毎年続いているような気もします

そして、これまたお久ぶりの更新です

先日、診療の中での患者さんとのお話から、私も振り返り反省して、常に気をつけておく必要があるなと思ったことがありましたので書かせていただきたいと思います。

 患者さんとの会話 

「先日、通院している病院に紹介状を書いてもらい、〇〇病院(総合病院)へ行き、MRI撮影をお願いしてきたんですが・・・」

「はい、どうなりました?」

※患者さんの患部に塊があることは分かっているのですが、それがどのような状態なのかというのを精査お願いされたようです。

「私、手術するつもりはないので、検査だけお願いしますと話したのですが、担当医の先生に、「手術をしないのであれば検査はできません。ここはそんな暇なところではありません。検査だけなら違う病院を紹介します」と強い口調で言われました・・・」

「それで、どうなりました?」

「それと、「紹介していただいた△△病院の考え方もおかしい」と、周りの先生と顔を見合わせて話されていました・・・。それで、◇◇病院を紹介されました。」

「検査だけなら◇◇病院でも十分環境は整っていますよ。それにしても冷たい言葉ですね~忙しいのはわかるのですけど。」

「もう、大病院はあんな感じなのかなと、診察に行って少し後悔しています。」

「忙しかったり、病院のシステムや方針があったりと、検査できないこともあるのだろうと思いますが、やはり言い方というものがありますよね。」

 会話終了 

と、非常に前向きで明るい方なのですが、少し腹立たしく、悲しく、虚しさが溢れる感じで話されていました。医療不信に陥りそうなようなことも話されていました。

これは病院を批判するものではなく、大病院も、いろいろと新しい医療システムの構築や其々の病院のシステムや方針があり、診療がすごく混雑していることは承知しておりますので、他の検査できる病院を紹介することは、この方のためにもなるのだと思います。

しかし、患者さんは「病気」というように、自分の身体がどうなっているのかという不安や恐怖を抱えて、「氣」を病んで診察の場に向かっているわけですから、検査ができなくても、忙しくても、そのために自分の心に余裕がなくても、目の前の氣を病んで来ている患者さんには、適切な言葉をかけるべきかなと思いました。

これは何度も言いますが大病院を批判しているわけでなく、私も常日頃の鍼灸臨床において、振り返り、思い返してみれば、”感情的に言葉を発したな” ”この言葉は患者さんに不適切だったな” ”もう少し違った言い方をした方が気持ちが楽になったかな”ということが多々ありますので反省材料として書かせていただいております。

特に、心身のバランス等を崩し症状や病気を発症し来院する患者さんを扱う医療従事者であればこそ大切なことは「言葉えらび」「言葉がけ」なのだと感じます。

真心をこめて相手に言葉をかけてあげること、相手のために言葉をかけてあげるには・・・どんな言葉をチョイスするのか・・・そして、言葉という波動を発することが大事なのだと思います。言葉は耳の神経だけではなく、カラダの感覚神経を伝って脳に影響を及ぼし、言葉による電気信号は、様々に脳を刺激し、最終的には自律神経等の遠心性の働きでカラダに返ってくるわけですから。

「言葉」・・・できるだけ前向きに、明るくなれるような言葉を発していくように心がけていきたいですね

特に私たち鍼灸マッサージ師はドクターの皆様よりも患者さんと話す機会が多いので、気にかけておくことが必要かなとおもいました。

 

最後に、私の好きな「中村天風さん」の言葉で締めます。

 言葉は人生を左右する

 万物の根源である気が、人間の心の中に入って観念となり、その観念が思考となる。

 そしてその思考が、一方において行動となり、他方において言葉となって現れる。

 これは人間のみが創造主から与えられた恩恵であり、他の動物にはない。

 言葉というものは、思考が結集し、それを表現するためのものである。

 言葉には人生を善くも悪くもする力がある。

 だから言葉は、人生を左右する力のある哲学であり、科学であるということが言える。

 

 言葉の暗示感化力

 言葉というものは人間の世界だけに与えられた、

 まことに何とも言えない重宝なものであるが、

 ただ上顎と下顎がぶつかり放題、思うがままにしゃべっていると、

 時として、その言葉が自分の生命や他人の生命までも傷つけることがある。

 言葉は、実在意識ならびに潜在意識をきれいにしたり、

 あるいは汚したりする両方の面の働きを持っている。

 つまり、言葉ほど、恐ろしい暗示感化力を持つものはないのであります。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます

 

   二葉鍼灸療院 田中良和

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月を看る 花を看る

2016年05月20日 | 言葉のちから 心のちから

本日は二十四節季でいうところの「小満」です。

 

陽気が増して、万物が成長する「氣」が次第に長じて天地に満ち始めるころです

 

東洋医学「氣」「血」の調整を行うことで、健康に自分の寿命まで長寿を実現する医療だと思います。

「氣」は見えませんが、必ず存在します。

空気は見えませんし、電気は明かりや動力としては「見える」かもしれませんが、電気自体はどなたも見たことがないのではないでしょうか

しかし、そこに確実に存在し、人は特にその恩恵をいただいています。

だから、「氣」というと怪しく思われるのかもしれませんが、存在するのです。

人間の身体も細胞(解糖系ミトコンドリア系)が放出するエネルギーで動いています。これは質量がありません。顕微鏡でも見えません。でも、そこには存在し生理学の常識となっています。

エネルギーは「氣」の一部分ということも言えるでしょう。

としたら人体には「氣」は存在するということです。

 

鍼灸治療は「氣」「血」を調整する治療方法ですが、やはり、その中でも現代の自然科学や宇宙や地球、天体など大自然の物理学、分子生物学など、昔と比較して圧倒的に、人が客観的に捉えることができる範囲は増加しています。

鍼灸治療も現代の中に息づく医療とするなら、科学的根拠やそれに基ずく医療(EBM)とよく言われておりますが、目に見える部分での鍼灸効果の証明ということも、医療の中に入っていくのであれば必要なのだと思います。

 

目に見えるものと見えないものの両方から捉える感性が、私が行っているこの仕事、鍼灸治療には必要なのだと感じます。その時々で対応すればいいのですが、どちらへ傾いてもいけないバランス感覚を持つ存在(調和)こそが、場に適応して進化発展し、生き残っていくのかと感じます。

そんなことを感じつつ・・・本に目を通すと

佐藤一斎さんの言葉が目に入ってきました。

 

  月を看るは、清氣を観るなり。円欠晴翳(えんけつせいえい)の間に在らず。

  花を看るは、生意を観るなり。紅紫香臭(こうしこうしゅう)の外に存す。

 

  【訳】 月を眺めるのは、清らかな氣を鑑賞するのである。

      円くなったり欠けたり、晴れたり翳(かげ)ったりするのを見るのではない。

      花を見るのは、生き生きとした花の心を鑑賞するのである。

      花びらの紅や紫といった色、香りや匂いの外にこそ見るべきものがある。

 

    『佐藤一斎 一日一言 ~言志四録を読む~』  渡邉五郎三郎 監修より  

 

素敵な、深い言葉です。

そのような感性も大切にしながら、仕事に、日常生活に心豊かに活かしていければ、また違った世界や、新たな発見があるのかもしれませんね。

最後までお読みいただき、ありがとうございます 

 

    二葉鍼灸療院 田中良和

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神仏に向かう姿勢 ~宮本武蔵の精神~

2016年01月07日 | 言葉のちから 心のちから

お正月や月初め、神社に初詣や参拝に行きます。

私は、いつも手を合わせ思うことは「感謝」です。
生かされていることへの感謝
成長できる人生への感謝、でしょうか。

神仏に対する姿勢で見習っているのが、江戸初期に活躍した剣術家、剣豪 宮本武蔵、の精神です。

                         

私が修行させていただいた東洋医学研究所®の所長であり師匠の黒野保三先生の方針の大きな柱の一つは、鍼灸診療を行う人間の心や精神、人間性の育成・成長を重要視していることです。研究所へ入所して3ヶ月間は研修期間となり、私は住み込みで修行させていただきましたので、外出はできませんし、ほとんど仕事を覚えることと治療院の方針や勉強にあてられました。

その一環として行われたのが、吉川英治さんが書かれた『宮本武蔵』をまず読み、『論語』を読み、鍋島論語とも言われる『葉隠』を読み、人生観や仕事、これから修行し学んでいく姿勢を認識するという時間がありました。読むだけでなく、ちゃんと感想を述べ意見交換の場もあったので少し緊張していました。

そんなことで『宮本武蔵』と出会ったのでした。

その小説の中で、宮本武蔵が吉岡道場の一門と京都 一乗寺下り松で決闘を行う場面があります。武蔵1人 vs 吉岡一門多数です。いくら武蔵が剣豪であるからと言っても死をかけた闘いとなります。

その決闘の日、太陽も昇らないうちに決闘の場に向かうのですが、その途中、八大神社で足をとめ、

「勝たせたまえ、今日のことは武蔵の一生の一大事」と祈ろうとして拝殿の鍔口まで来たが、彼の奥から湧き上がる本性に気づき、気持ちを一蹴して、祈らずに決闘の場に向かったそうです。

その時感じた本性、そこに神からの知らせのようなものを感じたことに神の存在は信じるが、
「侍の道」には、恃む神などというものはない。神をも超えた絶対の道だと思う。侍のいただく神とは、神を恃むことではなく、また人間を誇ることでもない。神はないとも言えないが、恃むべきものではなく、さりとて自己という人間もいとも弱い小さなあわれなものと、観するもののあわれのほかではない。

と言われています。この吉岡一門との決闘において、武蔵の壁書である『 独行道 』の一文である、

 

  我、神仏を尊びて、神仏を恃まず

 

という言葉が書かれたのではないかと言われています。

神仏の存在、道を示していただけることを敬い尊び感謝することは大切ですが、依存したり願ったりするのではなく、生かされている自分の人生を成長の場と捉え、その道に対する選択、決断、実践はすべて自分の心の中にある、ということだと私は解釈しています。

私はこの言葉を、自分が神社仏閣へ参拝する際の心の寄り処にしております

 

また、中村 元(なかむら はじめ)さんという方がおられました。

インド哲学・仏教思想が研究の専門領域ですが、それにとどまらず西洋哲学にも幅広い知識を持ち、思想における東洋・西洋の超克・融合を目指されたインド哲学者・仏教哲学者です。

仏教の本質 哲学者「中村元」

 

上記、動画の最後のほうに、

 この変転常ない世の中では、まず自分に頼るべきである。

   自分に頼るというのは、どういうことであるか。

   自分はこの場合にどうすべきかということを考えることでしょう。

   その場合、何を判断決定の基準にするのか。

   それは人間としての道=「法」、インドの言葉でいうとダルマと呼ばれるものです。

   これを「法」と解釈しますが、

   この人間の理法というもの、これに頼ること、

   「自己に頼れ、法に頼れ」、これが釈尊の最後の教えでありました。

と話されています。

 

大いなる存在に畏怖と尊敬、そして感謝の精神を持ちながら、人生においてはそれぞれの道において、最後に頼ることができるのは、自分であり、自分が世の中の正しき道の中で、何をどう選択するかということで自分の行くべき道が決まるということなのでしょう

最後までお読みいただき、ありがとうございます

 

   二葉鍼灸療院 田中良和

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伝える力 継承する力

2015年09月10日 | 言葉のちから 心のちから

最近、ブログの題名どおりドタバタしていますので、なかなかブログの更新ができません・・・という言い訳を始めに言っておいたりします

様々な活動や、日頃の仕事の合間に 「ふっ」 と何かが降りてくることはありませんか

私は時々、そんなことがあります・・・あっ、変な宗教ではありませんよ

野球関連で、また、スポーツトレーナー活動を通じて、鍼灸業界で、それぞれの立場でプロフェッショナルとして活躍している皆様を拝見したり、一緒に活動して、最近よく私の足りなさというか、発展途上な部分を大いに意識する、認識することが多々あります。

それだけ素晴らしい人物との出逢いが多いというわけで有難いことなのですが、少し思考的にネガティブになっているときは私の中で、自分に対するイライラ感がつのりストレスになるわけです。

 

そんな時、いつも頭をめぐる言葉

鍼灸の師匠に、ここ最近よく言われる「本物になれ」ということ。

これを言われると、自分がまだまだ人間的にも、鍼灸師としても、医療人としても本物でないことは分かるが、何が本物なのかと思考錯誤するわけです。
おそらく、それは師匠をはじめ周囲の素晴らしい人物から学べということなのだと思います。謙虚に学べということなのだと思います。本物になる道は一筋縄ではいかず、おそらく死ぬまで続くのだと思います。そして、最後に本物かどうか判断するのは社会であり、周囲の人たちなのかなと思うのです。

本物になれるように、この鍼灸という広く大きな道で精進していかないとと、今更ながら心を新たにするのです。

 

そして、最近どこからともなく降りてくるフレーズ

広い意味での「何かを伝えていく」ということ。

最近、様々な会の役員として会や会員の皆様をお世話をさせていただいたり、講師としての機会を与えていただいたり、日々の鍼灸臨床の中の患者さまとの対応であったり、トレーナーとしての活動であったり、言いたいことを表現し伝えていく力が必要な場面が多くあります。
本当に伝えたいことが伝わったのか、理解していただくことができたのかという、
その部分で難しさを感じたり、後悔することもあり、自分の足りなさをいつも思うわけです。

私は縁あって、奈良時代に日本に伝承し約1500年のあいだ伝承され受け継がれている鍼灸や按摩という仕事をさせていただいているわけです。それだけでも「伝える」ということの大切さ、「継承する」ということの大切さを認識せざるを得ないわけです。

この鍼灸、按摩は約1500年継承されてきた素晴らしい医療であるので、これからも後の世代に伝えていくことは大切なことであり、この仕事についたものの責務であると思うのです。・・・が、

私のところに、最近よく降りてくるフレーズは、それも含めた広い意味での「伝えていく」ということであり、まだよく分からないので「何か」という言葉が頭についています。

 

人間、生まれてきたという時点で、この人生において成長し、なすべき使命があると思うのです。

私の場合は鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師となり、この仕事通じて成長し、患者さまや病める人、自分を必要としていただく人のために知識や技術、人間性を磨いていくことが原点なのですが、もっと深い源流からの、あるいは、それを超越した「伝えるべき何か」があるんじゃないかと思うわけです。

成すべき使命と、伝えるべき何かそんなことを意識しつつ毎日、この有限であり無限な大切な時間を過ごしていきたいな~と思うのです。

精神なのか、知識なのか、智慧なのか、技術なのか、何なのか、人生の中で思考し、実践してきたことが記憶となって脳に刻まれ、身体の細胞一つ一つの中の遺伝子のどこかに記憶として刻まれ「伝わっていく」、「伝承されていく」のかなと感じるわけです。

そして、この人生の中で、その伝えるべきことを表現していけたら・・・と思うのです。

 

そんな「伝える」ことを実践された、松下幸之助さんの言葉より

~プロの自覚~

プロとは、その道を我が職業としている専門家のことである。
職業専門家とは、つまり、その道において、一人前にメシが食えるということである。
言いかえれば、いかなる職業であれ、その道において他人様からお金をいただくということは、すでにプロになったということである。
マアチュアではない。

芸能界やスポーツにおいては、プロとアマとの区別は厳しい。
真にプロに値するものでなければ、お客はたやすくお金を払ってはくれない。
お客は慈善の心で払いはしないのである。
だから、プロを志すことは容易ではないし、プロを保持するための努力も並大抵ではない。

甘えてはいられない。
学校を出て会社や官庁に入る。入れば月給がもらえる。
月給をもらうということは、言いかえればその道において自立したということであり、つまりはプロの仲間入りをしたということである。
もはやアマチュアではない。
そうとすれば、芸能界やスポーツ界の人びとと同じく、またプロとしての厳しい自覚と自己練磨が必要となってくる。

おたがいプロとしての自覚があるかどうか・・・

   『道をひらく』 松下幸之助 著より

 

本物を目指すことは、プロとして自覚することであり、その精神をいろんな形で伝えていくことなのだと思います。精進しま~す

    二葉鍼灸療院 田中良和

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清掃で心がほんわか、そして感謝

2014年12月17日 | 言葉のちから 心のちから

本日は爆弾低気圧の影響で風が強く、寒い一日となっております。天気も青空が出たり、曇ったり、雪が降ったりと金沢らしい一日となっています

この時期、一年の埃をキレイに払い、住まわせてもらってる場所へ感謝の気持ちを込めての大掃除が、各家庭や会社等で行われます。

先日、治療院の大清掃を行いました。まだ完成してませんが

やっぱりキレイにすると気持ちがいいですねそして、頑張ろうという気持ちにもなりますし、年末ということも手伝って一年の反省ということも踏まえ気持ちが引き締まる思いです。

そんな清掃の最中、懐かしいものが奥の方から懐かしいものが出てきました

掃除の最中「懐かしいな~」なんて手を止めて見入る経験が皆さんあるんじゃないかな~と思います。私も今回、懐かしい~物が出てきて手を止めて見入ってしまい清掃の時間が長引いてしまいました。

何が出てきたかというと・・・

小学校・中学校・高校でいただいたラブレターでした

これは何だと思って箱をあけたら入っていました。当時は意外にモテたんやな~と思い、文章を読んでいました。

モテたかどうかは分かりませんが、文章読んでいると、すごく心が安らぐというか、懐かしくホンワカとした気持ちになれました。学生当時はどんな気持ちで読んだのかは全く覚えていませんが、今、読み返してみると相手の気持ちや気遣いが伝わってきって、何か温かいものが伝わってきました。

小学校、中学校、高校と少しずつ内容や文章の表現は違いますが、「手紙って、すごくいいな~」と思いましたね

”彼女たちは皆、幸せになってるんかな~”なんて本当に懐かしく思いました。
現在の自分が分析する当時の自分の学生時代を振り返ると、よく好きになってくれたな~と感謝してしまいます どんな学生だったかは皆様のご想像にお任せいたします

現代は、メールや携帯電話、ラインやフェイスブックなどのSNSなど簡単に連絡がとれる方法はたくさんあります。しか~し当時は電話するのも、相手のお家に電話しないといけないので「家族が出たらどうしよう」と緊張したものです。手紙は、相手に気持ちを伝える数少ない大切な手段でもあったわけですよね

今、ラブレターをみることに何か意味があるのかと運命論的に考えてしまうと、思い当たることが・・・ その話は置いておいて

学生の時は性懲りもなく将来の夢プロ野球選手でした。そして野球一筋って言葉が当てはまるくらいに好きな野球をさせていただきました

夢は叶わなかったものの、その時、野球というものを一所懸命取り組んだことにより、また、楽しく、自分の好きなことに打ち込んだことにより、現在は、野球と繋がりもあり、もっとも興味があり、もっとも楽しく、もっとも好きな鍼灸師という職業に就くことができました。やっぱり夢を持つことは大事なんですよね。道は繋がっていくのだと思います

そんな若い時代の私を思いださせてくれた ラブレターの数々 に感謝しながら、心がほんわかと温かくなる自分を感じていると、そこに『本田宗一郎「元気の出る」生き方』 (柚木俊太郎著)が、こちらも本棚の陰から出てきました。
本田技研工業の創業者で戦後の日本の経済発展に貢献された大創業者のお一人でもあります。

ちょっと何か感じるところを開いてみると・・・

            

「自分の得意なものを発見できた人は幸せな人である。『好きこそものの上手なれ』というように、好きなことをやることは大事なことである。『餅は餅屋』というわけで、好きなもの得意なものさえやっていれば、途中で難関に遭遇したとしても、どうにか乗り切っていけるものである。努力次第では相当に伸びることも可能だ」 

本田さんは、仕事が好きで好きで仕方がなかったようです。
私もこの仕事が好きですし、仕事やっていて幸せだと思います

もし何かイヤなことをやらなければならない時でも、その中でも自分の得意なこと、興味あることを発見して、そこを伸ばしていくことが必要なのかなと思います。

 

「何が何でも出る。もたもたしていると、どんどんおいていかれる。それにな、今みたいに、みんなが苦労しているときだろう。そういう時にこそ夢がほしいじゃないか。明日咲かせる花は、今種を蒔いておかなきゃいけないんだ」

昭和29年当時、毎年、イギリスのマン島で開催され、世界中の優秀なオートバイ関係者が集まり、その技術を競いあうTTレースに出場すると本田さんは宣言を出しました。

当時は世界恐慌もあり、また、経営不振や多額な設備投資などが負担になり経営危機状態だったそうです。

そんな中、社員にレーシングエンジンの開発を命じた時に、半信半疑だった社員に対して話した言葉だそうです。

夢は自己を動かす原動力であり、それを行動にうつす勇気と決断が人生には必要なのだということでしょうか なんでもかんでも突き進むのではなく、様々なところに気を遣い、社員のことを常に考えているという信頼ある人間関係のある会社だったから成し得た行動、そして言葉だったとも思います。

           

本当に、心がほんわか温かくなり、自分の人生を少し遡って見つめ直し、感謝するきっかけとなりました。

やっぱり清掃はいいですね

 

    二葉鍼灸療院 田中良和

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天国と地獄は本当にあるのか?

2014年11月14日 | 言葉のちから 心のちから

またまた、久しぶりのブログ更新です。

バタバタしておりまして、星稜高校野球部 秋の北信越大会、それを遡ること第96回全国高校野球選手権大会のトレーナー活動報告がなかなかできないでいます。今月、少し落ち着ける時に書きたいと思います。

さて、昨日、金沢では霰が断続的に降り夜にかけて冷え込んできました

こんな時は患者さまも若干、足が遠のきます。

しか~し、こんな時がチャンス到来。山積みにしてある本の中から、さっと取って少しの読書の時間を楽しみました

その本に、こんなことが書かれていました。

    

むかし、若い雲水があるご老師に、「地獄、極楽というものは本当にあるのでしょうか」と尋ねたというのです。

その雲水は問います。「地獄というのは閻魔大王や怖い鬼がいて、人が現世で侵した悪業の報いを受ける怖いとこだと言います。一方、極楽は大変素晴らしく美しい所だと子供のころから聞かされてきました。果たして、そんなものが本当にあるのでしょうか。?」

ご老師はすかさず、「うむ、確かにある」 と答えます。

雲水が、「どんなところなのですか、地獄と極楽というのは」 と聞きます。

するとご老師は静かに語り始めたそうです。

                

実は、地獄も極楽もちっとも変わらない。少し見ただけでは同じような場所なのだ。けれども、そこに住む人たちの心がまったく違う。

たとえば、おいしい釜揚げうどんが地獄にも、極楽にもある。それぞれ大きな釜があって、お湯がぐつぐつ煮たっている。うどんを湯がいているその大きな鍋の周りを、腹をすかした者たちが10人も20人も取り巻いている。手には、つけ汁のお椀と1メートルもある長い箸を持っている。

ここから先が天国と地獄ではまったく違うのだ

地獄では、みんなが我先に争って箸を突っ込む。何とかうどんをつかむことはできるのだけれども、箸が1メートルもあるものだから手元のつけ汁のお椀にまで持ってくることができないし、当然、食べることもできない。

そうこうするうちに、向こう側にいるものが、箸の先に引っかかっているうどんを横取りしようとするので、「それは俺のもんだぞ食うな」と怒り、相手を箸で叩き、突く。

すると、「何をこの野郎」と相手も突き返してくる。

そんなことがそこらじゅうで始まって、うどんは鍋から飛び散ってしまって、誰も一本も食べられずに、殴り合いのケンカが始まってしまい、阿鼻叫喚の絵図と化してしまう。

それが地獄なのである。

では、極楽というのはどうなっているのか。

極楽にいる者は皆、利他の心、他人を思いやる美しい心を持っている。1メートルの箸でうどんをつかんだら、釜の向こう側の人のつけ汁のお椀につけて、「さあ、あなたから先にどうぞ」といって食べさせてあげる。

すると、今度は向こう側の人が同じように自分に食べさせてくれる。1本たりともうどんを無駄にすることなく、みんながお腹いっぱいに食べることができる。

つまり、地獄と極楽は確かにあるが、それは人の心の有り様がそれらを作りだすのだよ。 

              

ご老子は若い雲水に話して聞かせたということです。

     『人生の王道~西郷南州の教えに学ぶ~』  稲盛和夫 著より

    

今、自分が生きている人生の中で、どうしたら極楽になれるのか、どのような心で臨めば極楽となるのか、そんなことがこのお話の中に表現されているのかなと思います。その逆も

地獄絵図のくだりは何だか現代社会の一面を見透かされているような感じもします

人生は1回きりですが、生まれてから死を迎えるまでに、心の中に、また実生活の中で極楽を感じるには、欲望は必要だと思いますが、過度の欲望や自分さえ良ければいいという心はできるだけ少なくし、周囲の人を思いやり、利他の心を生活の中で実践していくことが大切なんでしょうね

この人生での行いが、魂がもといた場所に帰る旅(死)を迎えた時に、再び、その道中が「地獄」となるか「極楽・天国」となるか、再び魂が生まれ変わるまでの試練のレベルを決定するのかもしれませんね。

私の師匠は昭和5年生まれです。子供のころの話をしていただいたことがあったのですが、昔は、地獄の絵を見せて、「悪い事ばかり行って、反省しないと、みなこんな場所に行くんだぞ」と、大人から教えられたそうです 今はそんなことする親もいないでしょうし、地獄・極楽なんで話題にもならないかも・・・

私は、西郷隆盛さんや松下幸之助さん、稲盛和夫さん、中村天風さんなど実践哲学をもって世の中に貢献されてきた人物の本をよく読ませていただきますし、すごく好きです。感動します。

また、この本の中にも書かれていますが、書を読んでも実践しなければ、それは何の役にも立たないと書かれています。

あの世へ行ってからではなく、この世で”人生の極楽”を実践していきたいと思いま~す

 

     二葉鍼灸療院 田中良和

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幾を知る

2013年10月04日 | 言葉のちから 心のちから

本日は少し早めに起きたので、軽く散歩へ行ってきました。

ひんやりした空気に包まれ、気持ち良かったです。続けたいが・・・どうでしょ~~~

今年の7月から当院に新しいスタッフ、研修生が加わりました。東洋医学研究所で修行していた時のクセもあり、診療が始まる前は治療院の掃除をして、それから朝礼をいたします。朝礼をやってる所は多いかもしれませんが、気持ちのスイッチを入れるためにも朝礼は大切だな~と思っているこの頃です。

また、自然に「朝礼やろう」と思った心に対して、修行時代にクセをつけていただいた師匠に感謝もしています

 

 『 幾を知る 』 

  幾を知るそれ神(シン)か   〈繋辞下伝〉

 幾とは、わずか、微妙な、機微を意味する。物事が大きく動く微細なきっかけであり、別の言い方をすると兆しである。

 「幾を知る」とは、萌芽を見て春を知ることではない。まだ現象面に表れない、眼に見えないものを察することをいう。

 たとえば「桐一葉落ちて天下の秋を知る」(桐の一葉が落ちるのを見て、天下衰亡の時と腑に落ちる)という句のように、一瞬にして結果を知る。これは常人には及ばない直観力であると易経はいう。

  『「易経」一日一言 人生の大則を知る』   竹村亜希子 編より

 

まさに東洋医学の達人は易経で言うように、脈診、腹診、背項診、舌診などの体表観察やその人を見た、匂いを嗅いだ、それだけで、体の中に潜んでいる病の原因や要因を見抜いて治療します。

まだまだ、その領域には到達の”と”の字にもかかってませんが、そうなるように今日一日、この一瞬、刹那を大切に、頑張って精進しようかなと思います。

社会や人生を観る眼も、そうありたいな~と朝、散歩しながらフッと思ったことを書かせていただきました。

今日も、楽しくなりそ~


   二葉鍼灸療院 田中良和

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善きことはカタツムリの速度で動く ~マハトマ・ガンジー~

2013年02月16日 | 言葉のちから 心のちから

当院でとっている雑誌に 『DAYS JAPAN』 という雑誌があります。そこの裏表紙からの言葉です。

マハトマ・ガンジーは、インド解放の立役者であり指導者です。非暴力を貫き、ガンジーを象徴する行動は”塩の行進”で、当時、インドを植民地にしていたイギリスに、専売されていた塩を自分たちの手によってつくることを訴えるため、アーシュラムから海岸まで385キロを一日かけてゆっくりと歩きました。

  「善きことはカタツムリの速度で動く」

その行進は数百万人の奇跡の大運動となりました。

たび重なる逆境にも、こうした地道な闘いを重ねて1947年、インドは200年にわたる植民地支配を断って、悲願の独立を果たします。

しかし、その翌年、一人の狂信者の凶弾によって、78年の生涯に終わりを告げました。

最後の言葉は、「その青年を許せ」 であったと言います。

 

荼毘にふされたラージガードに、ガンジーの碑文が刻まれています。
その碑文を以下にご紹介。

  『七つの社会的罪』  Seven Social Sins

    1.理念なき政治  Politics without Principles
    2.労働なき富       Wealth without Work
    3.良心なき快楽    Pleasure without Conscience
    4.人格なき学識    knowledge without Work
    5.道徳なき商業    Commerce without Morality
    6.人間性なき科学 Science without Humanity
    7.献身なき信仰    Worship without Sacrifice

マハトマ・ガンジーが残した魂の言葉たち…箴言…私たちに何かを問いかけているような、そんな感じが私には感じられます。

   二葉鍼灸療院 田中良和

 

※冒頭の写真は BOb Jagendorf さん。

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川上をきれいにしよう

2013年01月23日 | 言葉のちから 心のちから

昨日も診療終了後にスポーツトレーナーの会議でしたが、診療後にも関らず皆さん熱のこもり(部屋は寒かったですが)楽しい、前向きな会議でした。ワクワク感満載でしたね。ということで、今日もいい目覚めでした

 

 川下だけを掃除してもだめ 

  かつてインドの聖者から「おまえは自分の体のことばかり考えて、つまり、
  川上のことはそっちのけで、川下だけを掃除しようとしている。そのことを
  教えてやる」と言われたんです。

  つまり、心と体という、命を形成しているものの関係は、ちょうど一筋の
  川の流れのごとく、切れず、離れない。そうして、常にこの川の流れの
  川上は”心”で、川下は”肉体”ということに気づいたならば、心という
  ものは、どんな場合があろうとも、積極的であらしめなければならないのは
  当然だ、と気づくでしょう。

 

    『中村天風 一日一話』  中村天風財団[編]

 

当院へ来院される患者さまも、確かに腰痛や膝痛など整形外科疾患から、私の治療の軸としているスポーツ障害、不妊症、ガンなどでも同じなのですが、その症状が慢性的になればなるほど、心に不安や恐怖、心配など消極的、ネガティブな感情が湧き出てきます。

私たちの仕事は、その心の不安を取り除くために鍼灸治療という技術を使って、患者さまの健康な人生、楽しい人生のためのお手伝いをさせて頂いているとも言えます。

体の痛みや症状は体からのサインだと言いますが、その改善のためいろんなことをやっても治らないから、大脳辺縁系や間脳などから不安や恐怖という情動が生まれてきます。これは人間に備わった心の作用ですから無くすことはできません。でも、できるだけ感じない方がいいですよね

そのために私たちは、鍼灸診療を通じて、「どうしたら体の状態を改善することができるのか」常に勉強し、研究し、研鑽するわけです。

それは、とりもなおさず、川上にある心の状態をキレイに掃除するためなんですね

ですから、症状が消失したから治療は終わりではなく、また、健康管理のために症状が出る前の疲れた状態、あるいは、症状の軽いうちに体のメンテナンスをしておくと、常に川上はキレイになり、心の状態は積極的、ポジティブになるということだと思っています。未病を治すという東洋医学の考え方です。

人生においても一緒ですよね。常に心と肉体は一つであり、心の状態をどうコントロールするか
心をどれだけクリーンにしておくか、それが人生に現れてくるんだと感じます。

さて、今日も自分の川上も掃除して、ワクワク、ドキドキ、楽しく一日を過ごしましょうかね

 ※上の写真は、昨年、奈良県の室生寺へ小旅行に訪れた際に撮影


   二葉鍼灸療院 田中良和

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2012年も12月 気高く生きよう!

2012年12月01日 | 言葉のちから 心のちから

2012年もいつの間にか12月になりました。私としては充実した、まさに”光陰矢のごとく”歩んできたこれまででしたね

12月、終わりよければすべてよし
12月、終わりは始まり

今年の総決算の月、来年のための反省、そして成長に繋がる月だなと思って、今月も楽しく、元気に、笑顔で、過ごしていきたいと思います。そんな空気を纏っていきたいと思って目を覚ました朝でした。

 

  気高く生きよう 

 よく考えなさい。

 人生は、たとえ何百年生きていても、

 仮に百年生きたとしても、この大宇宙の生命に比べれば

 夢一瞬の短い世界。

 この短い人生に生きている以上は、一瞬、一刻を価値高く生きようじゃないか。


  『中村天風 一日一話』   中村天風財団[編]


社会に目を向けると、12月は国の行方を大きく左右するだろう衆議院選挙があります。私は所属する会として特定の党を応援しています。が、皆様の自然治癒力、からだ本来の力を回復させ、症状を軽減、消失させ病気を治していく鍼灸治療を行っているものとして、選挙の投票を行う判断基準としては「原発をどうしていくのか」ということです。

経済も、外交も、国防も、様々な政策も人間が行うわけです。その人間に病気が蔓延したり、気力が充実できないほど健康が損なわれていたら、将来、国の運営ができるのか、元気ある、活力ある、豊かな国づくりができるのでしょうか?
わが国は、広島・長崎へ原爆を投下され、今も内部被曝による原爆症で苦しむ方々おられます。チェルノブイリ原発の爆発事故では、表にこそ出てきませんが、周辺の子どもたち、あるいは大人にまでガン、白血病、甲状腺腫瘍、原因不明な病気などが発症しています。事故後、原発の処理に働いた作業員や、その周りで働いていた人たちの多くが被曝による体調不良、あるいは白血病やガンなどの病が発症しています。

また、第1次、第2次世界大戦当時、マンハッタン計画という原爆を製作するためにアメリカで進められた計画があります。いわゆる、この一連の流れで広島・長崎へ原爆投下実験が行われたわけです。今もその原子力発電所、核廃棄物処理施設がハンフォードという所にあります。その風下の街を調査すると、すべての世帯で誰かがガンを発症し、ほとんどの妊婦が流産を経験しているそうです。ガンや流産の発症率としては尋常ではありません。
ここでは原子力発電所は爆発したわけでもなく、事故があったわけでもありません。長年にわたり空気や水や土壌や、そして作物に微量ですが放射線が垂れ流され続けていたわけです。放射性物質は微量でも蓄積して、なかなか無くならないのです(半減期って聞いたことありますか 毒性の強いプルトニウムの半減期(半分の放射線量になる時期)は24000年です)。

さて、この病気の原因は何でしょう 何の影響でしょうか

多くの事実はありますが、各国の政府や行政は原発や内部被曝との関連性を指摘していません。

日本では、54基の原子炉が存在します。今夏、電力が足りなくなる、足りなくなると言われながら、全く影響はありませんでした。各自省エネした結果だと思いますが、動いていた原発は2基だけでした。これでも核廃棄物や放射性物質をつくってまで原発がいるのでしょうか疑問です。言わせてもらえば、電気料金が引き上げされるといいますが、原発をなくし自然エネルギーにシフトしていくための値上げなら分かりますが、電力会社の上層部、そこから利権を通じた繋がりに資金が流れるというなら、まったく問題になりません。

話は戻して、放射線の体への影響は、子どもは大人の10倍、胎児はその100倍影響があるとされています。影響というのは、染色体異常、いわゆる遺伝子の二重らせん構造を破壊してしまうということです。ドラマでよくあるシーンの、毒を飲まされ「うっ」という感じですぐには症状として出てきません。遺伝子の破壊は、自然なあるべき姿、生命の破壊です。

今回の題名、「気高く生きよう」の一つの行動として、上にあげている衆議院選挙があります。選挙の権利を得ている国民は、この大切な選挙に、気高く、自分の意見を投じる一票を入れてくるべきだと思います。12月4日告示、16日が選挙です。どんな形でもいいから、自分の意志を主張することが大切であり、気高い自分の主張を投じることが必要でしょう。

どちらにせよ、この選挙で大きく政治、経済、外交、原発問題の流れが変化していくのではないかと思っています。

また長くなりましたが、12月は「気高く生きよう」を目標に、一瞬、一刻を大切に過ごしたいなと思いますね


  二葉鍼灸療院 田中良和

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汗の中から知恵が出る!

2012年11月16日 | 言葉のちから 心のちから

最近またブログ更新が疎かに…

ここ最近でも、高校野球やスポーツトレーナー活動、研修会、講習会、臨床での出来事、政治や社会、お気に入り~ などなど報告やブログに書きたいことは山ほどありますが、なかなか腰を据えて書くことができませ~ん

機会をみつけて、「今年の汚れは、今年のうちに」ではありませんが一気に、集中して書いていきます。

自分の本分である鍼灸治療以外の仕事がなぜこんなにたくさん押し寄せて来るんだろうな~と、ふと考えてみました。


 汗の中から知恵が出る 

  もう五十年以上も前の思い出をお話しましたが、精魂こめて汗を流す大切さは今も変わらないと思います。

  皆さんもきっと、毎日の仕事、あるいは人生の中で、どうしてもっと知恵やアイデアが出てこないのだろうと
  自己嫌悪に陥ったり、さまざまな壁にぶつかり、どうしてうまくいかないのか、なすすべもない、と悩んだりする
  ことが、少なからずあるのではないでしょうか。

  しかし、そのような場合、決して投げ出してはいけない。ただいたずらに悩んでいるのではなく、甲子園の選手
  のように、みずからすすんでやはり汗を流さなければならない。

  とにかく全力をあげて、それに正面から懸命に取り組んでいくことが大切なのではないでしょうか。

  知恵というのは、ただ漠然と過ごしているところからは決して出てくるものではありません。
  やはり、強く願い、みずから見、聞き、考え、行動し、懸命に努力を重ねる、そうした汗の中から出てくるものです

  また、たとえ知恵が出て来なくても、そうした懸命な姿は人を感動させ、思わぬ支援が磁石のように引かれる
  ように自然と集まってくるのだと思います。  
  
それが、その人の仕事を進行させ、あるいは、その人の前途に道を開き、さらには生きがいを生み出すことにも
  なるわけです。

  これからますます暑くなってくることでしょう。
  酷暑を避けて、涼しいところでジッとしていようというのも悪くありませんが、一度、甲子園の若者のように、暑さに
  負けることなく、みずから進んで炎天下に飛び出し精いっぱい汗を流してはいかがでしょう。

  そこからきっと、夏のさわやかさや、人間としての生きる喜びも味わえるのではないでしょうか。


     『人生談義』  松下幸之助 著より

名古屋の師匠をはじめ、私の周りで尊敬すべき方々、また活躍されている方々に共通していることの一つが、この「汗を流す」ということです。私たちの仕事は患者さまのため、スポーツ選手のために汗を流すこと。汗を流すというのは鍼灸医術を修行し、勉強し、知識を豊富にし、技術を磨き、人間性を練磨し、それを患者さまへ還元することです。

これは言うまでもなく当然至極なことです。

しかし、尊敬すべき方々は、これに「人のために汗を流す」ことを、自然に行っています。無償の愛とでもいいますかね。 最終的には自分に返ってくるとのだとは思いますが、自分の仕事とは関係がないことでも積極的に人のために汗を流されています。

私の今の状況や環境はそんな偉いものではありませんが、そういうことかなとも思いますね

「汗を流す中で、その中から人生を豊かにする知恵を見いだせ」と、神様がいろんな機会を与えてくれているのだと松下幸之助さんの文章を読んで納得しました。
私は実学、それもどん底から、世界を代表する企業をつくりあげた松下幸之助さんの言葉たちが大好きですし、何かの時に常に気づきを与えてもらえる言葉たちにめぐり逢えます。

この押し寄せてくる仕事の波を上手く捉え、その波でへたくそでもサーフィンして波に乗っていきたいと思います

自分が立っている、直面しているステージで不器用だけれど一所懸命、精魂こめて仕事に打ち込むそんな気持ちでこれからも事に当たっていきたいと思います。

これは自分の仕事にも通じることです。一事が万事ってとこでしょうか。

話は変わって、当院では不妊症に対する鍼灸治療にも力を入れています。もちろんスポーツ障害・コンディショニングにも。ガンの鍼灸治療もさせていただいております。最近、不妊症の患者さまが急増。やはり東尾理子さんの影響が大きいのかな。 金スマで出産ドキュメントを放映していたようですが、その中で 鍼治療がよかった という内容の話をされたようですね。
メディアの力はすごいですね~。ということで不妊症の鍼灸治療に関するお問い合わせ、ご来院がここのところ続いているんです。少しでも不妊症の皆さまが早く天使の微笑みに出逢えますように、日々頑張らせて頂いておりま~す。

ちなみに、当院で本年めでたく妊娠された患者さまは10名です。

自分の仕事においても忙しい毎日を送らせて頂いております。師匠に、先輩に、患者さまに感謝です 

   二葉鍼灸療院 田中良和 

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