二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

小田和正さん アンド 斎藤一人さん

2012年10月31日 | 言葉のちから 心のちから

9月、10月は自分としては本当によく動いたな~と思いますね。自己満足ですけど~

9月は秋の北信越高校野球石川県大会への帯同、金沢で開催された(社)全日本鍼灸学会 第30回中部支部学術集会の実行委員&発表&座長をさせて頂きました。その他、各種会議、学術研修会への参加。
10月は、ぎふ清流国体IST(石川県スポーツトレーナー連絡協議会)としてトレーナー活動へ参加、星稜高校野球部の秋の北信越大会への帯同、メインイベントであった、(社)石川県鍼灸マッサージ師会主催の、奥村三策先生没後100周年記念講演会(県民公開講座)の実行委員責任者、同日に行われた金沢市鍼灸マッサージ師会創立100周年記念式典・祝賀会の実行委員をさせて頂きました。9月同様、各種会議、学術研修会への参加もありました。

11月も徐々に予定が入っているのですが、少し落ち着いた予定になりそうです。

そして、現在は細かい仕事はいろいろあるにせよ、少しゆっくりとして落ち着いた「こころ」と「からだ」の状態となっています。

そんな時には、すこし自分を見つめてみる時間も必要かな~なんて思うのです。
まあ、ゆっくりと言っても、日々の臨床は多くの患者さまに来て頂いてますし、やることはたくさんあるんですが
現在は少しマラソンで言うなら給水所にいるって感じですかね。

そんな時に、私の中に入ってくるフレーズは、何か自分の心を調整したり、次のステップを考える上で重要なのかな~といつも考えています。

そこで、私の中に入ってきたフレーズを記しておきたいな~と思います。

 しあわせのしくみ 

   では、「どうすれば、しあわせになるんですか?」って言うと、しあわせのしくみを知ればいいんです。
   そのしくみとは
”しあわせな人がしあわせに向かっていくと、さらにしあわせにが手に入る”というしくみです。
   具体的に言えば、しあわせになりたいのなら、今すぐしあわせになるのです。
   これをしたらしあわせとか、あれが持てればしあわせとかじゃなくて、今すぐしあわせになるの。
   今の現状を何も変えず、それでしあわせになって、しあわせに向かっていくと、
   さらにしあわせが手に入るようになっているんです。

   これが不幸のままでしあわせを求めたら、不幸が雪ダルマ式に増えちゃうの。
   だからとにかく、日本に生まれてしあわせとか、朝、目が覚めてしあわせとか、
   そのしあわせの状態で会社に行くの。「何かいいことないかな」っていう状態じゃ行っていけないんです。

   私はどこに行っても しあわせです。なぜかって言うと、私自身がしあわせなんです。
   だから方位も方角もなくて、私がいるところがしあわせなんです。
   どこに行っても、誰と会っても、何を食べても しあわせなんです。

   それって”太陽の光”と同じ原理なんです。太陽が照っているところが明るいように、
   私のいるところが明るくて、だから自分がまず明るく、しあわせになればいいんです。

   条件つきのしあわせはダメなんです。
   「今日は一人さんにあってしあわせ」って言うのはいいけど、会えなくても しあわせじゃなきゃダメなの。
   しあわせって自分が感じることなんです。どこへ行っても、くたびれたって言うとくたびれるけど、
   しあわせだなって思うと、しあわせなの。

   しあわせな人が行動するから、しあわせが大きくなるんです。雪ダルマと同じなの。
   それが不幸な人間がしあわせになろうと動いちゃだめなの。しあわせになりたいってこと自体が不幸なの。

   しあわせとは想いなの。しあわせだっていう意志なの。
   しあわせとはどこかからやってくるもんだとか、手に入れるもんだと思っているけれど、そうじゃないんです。
   しあわせとは、しあわせだなと思い込めばいいの。しあわせとは思い込みなんです。
  
   だから「俺くらいしあわせなヤツはいないなぁ」って言っていれば、その人はしあわせなの。

   
     『変な人が書いた 世の中にしくみ』   斎藤一人 著

しあわせは自分発なんですね。そして、自分がしあわせオーラを出していれば、そこへ、さらにしあわせが引き寄せられてくるということでしょうね。どんな環境や状況でも「しあわせや」と思い込む。そして、自分で言葉にすることが、実はしあわせなんでしょうね。

どんな状況でも「しあわせ」って言えるか これから試してみよっと

斎藤一人さんの本は面白いんで、時々読んでます。

もう一つ。

私は、小田和正さんが大好きなアーティストの一人です。
ちなみに私はカラオケも大好きで小田さんの曲は原曲キーで歌います。十八番は 『たしかなこと』 です。

今回は、車で小田さんのアルバム『どーも』の中の ”グッバイ”という曲を聴いていたら、曲調もさることながら、歌詞にザワザワッと現在の心境を感じ鳥肌がたちましたよ~ってな話です。

 グッバイ 

 歌詞の中の…

   まっすぐな愛と くじけそうな夢と ちっぽけな誇り
   それだけを抱えて
   僕らは向かうべき その場所を 目指して行くほかはない

 という部分と…

   風の強いこんな日は、人生が大きく変わっていく
   good by good by 今は good by
   新しい明日が来るはず

ってところにザワザワ~ゾクゾク~と何かを感じたわけです。カラオケでも歌ってこようかな~

そう愛を大切に、自分の夢を思い描きながら、この素晴らしい仕事に誇りをもって、自分の目標へ向かっていきなさい
何があっても、何が変化しても、ぶれてはいけないところがあるよと、そんなことかもしれません。

そして、只今、何か大きな人生の転換期なのかもしれないな~なんて思うこともあるのでした。

いろんな所に学びが、気づきがあるんですね~

 


   二葉鍼灸療院 田中良和


努力そして幸福

2012年09月20日 | 言葉のちから 心のちから

忙しき日々が続いています。なかなか腰を据えてブログを更新することができない状況なんです

近々では、9月30日(日)に金沢で(社)全日本鍼灸学会 第30回中部支部学術集会があります。実行委員をさせて頂きながら一般口演の発表もします。発表スライド… なんとか間に合わせたいと思います。

また、ブログ等にてお知らせしますが、10月28日(日)には、(社)石川県鍼灸マッサージ師会が主催します県民公開講座(奥村三策先生没後100周年記念講演会)を金沢エクセルホテル東急にて開催します。その実行委員責任者もさせて頂いてます。

石川県スポーツトレーナー連絡協議会でも、これから国体を含め様々なトレーナー活動等があります。そこでも連絡係である総務部長をさせて頂き、ない頭をフルに活用させて頂いております。

星稜高校野球部も秋季北信越高校野球野球石川大会が始まり、ベスト8に進みました。今週末の連休はトレーナー活動に足を運ぶ予定です。

私の本分である仕事、日々の鍼灸臨床ですが、こんな忙しい時ほど、さらに忙しくなるものなんですね。これが。 スポーツ傷害、ガン、不妊症、小児ハリ、その他、膝痛、腰痛などの疼痛疾患と日々、様々な貴重な出逢いをさせて頂き、治療させて頂きながら、自分自身の技術や考え方などを常に新たに進化・発展させ、発酵させ、熟成させて頂いております。
日々の出逢いに感謝です

こんな時、ふと「なんでこんな、いろんな仕事を受けてしまうんや」「なんでこんな、頑張らんといかんのか」と、少し自分を違う角度から視点から見ると、こんな思いが湧いてくるんですよね

そんな時に、自分の心に対して、言の葉のサプリメント…

  『有福、惜福、分福、いずれも皆好い事であるが、それらに優って卓越している好い事は
   植福という事である。植福とは何であるかというに、我が力や情や智を以て、人世に
   吉慶幸福となるべき物質や情趣や智識を寄与することをいうのである。即ち人世の
   慶福
を増進長育するところの行為を植福というのである」


    「努力論」  幸田露伴 著より

自分は植福してるんだ。幸せの種を蒔いているんだ、と思うと、忙しさがそのまま幸せなんて思えてきます。思いこんでしまおうかな

  『一株の林檎の樹という勿れ、一株の樹もまた数顆、数十顆、ないし数百顆の実を結ぶ
   のであって、その一顆よりはまた数株ないし十数株の樹を生じ、果と樹と相交互循環
   しては無量無辺の発生と産生とを為すものである。故に一株の樹を植うるその事は
   甚だ微小瑣細であるけれども、その事の中に包含されて居る将来は甚だ久遠洪大
   なもので、その久遠洪大の結果は実に人の心念の機微に繋がって居るものであって
   一心一念の善良なる働きは何程の福を将来に生ずるかも知れぬのである』

    「努力論」  幸田露伴 著より

 いろんな仕事や出来事は、自分の成長のためにあり、最終的に自分の実となる、そして、その信念は社会や他の人の幸せの実に繋がっているのならば、心を入れて、一念発起してやるべきでしょう なんて、ちょっと格好いいこと言ったりしてね

幸田露伴さんの言葉は、東洋思想ことに易学に通じる考え方で、すごく腑に落ちてしまいます。

言の葉サプリメントを吸収して、今日も日々新たに、楽しく、朗らかに、仕事をやったろう と思ったのでした。

忙しくて、ありがとうございます そんな心境でござ~る。

   二葉鍼灸療院 田中良和


一日の意味

2012年06月30日 | 言葉のちから 心のちから

6月最後の診療日。一年の折り返し地点。どんな心で一日を過ごしましょうか


 一日の意味 

 今さら事新しく申すまでもありませんが、今日という日は、一日に限られているのです。人間の一生もまた同感です。そこでよほど早くからその覚悟をして、少しの時間もこれを生かす工夫をしていないと、最後になって慌てだすことになります。

 ですから諸君らにも、もしその日の予定が、その日のうちに果たせなかったら「自分の一生もまたかくの如し」と考えられるがよいでしょう。そこでまた我々は、死というものを、一生にただ一度だけのものと考えててはいけないと思うのです。
 それというのも実は、死は小刻みに、日々刻々と、我々に迫りつつあるからです。

 ですからまた、我々が夜寝るということは、つまり、日々人生の終わりを経験しつつあるわけです。一日の終わりがあるということは、実は日々「これでもか、これでもか」と、死の覚悟が促されているわけです。

 しかるに凡人の悲しさには、お互いそうとも気づかないで、一生をうかうかと過ごしておいて、さて人生の晩年に至って、いかに歎き悲しんでみたところで、今さらどうしようもないのです。

 実際、今日という一日を、真に充実して生きるところに、やがてまた一生そのものを充実して生きる秘訣があるからです。
 一生などというと、諸君らはいかにも長いように思われるでしょうが、実際には人間の一生と言っても、結局は一日一日の移りゆきの外ないわけです。

 『修身教授録』   森 信三 著

さて、日に新たに、日々に新たに、また日に新たに、起床時は誕生だと思って、今日一日を過ごしていきたいと思います。

寝るときに一生を終えるということは、活動時期は成長期だということですね


   二葉鍼灸療院 田中良和


運命を切りひらくために!

2012年06月13日 | 言葉のちから 心のちから

6月に入っても忙しい毎日が続いています。

またブログにて報告しますが、3日(日)は福井へ星稜の北信越大会へ帯同。
8日~10日(日)は三重県四日市市での(社)全日本鍼灸学会の学術大会へ参加。
16日(土)は名古屋で中和鍼灸専門学校のクラス会(何ゆえか私が幹事の一人 )
一泊して17日(日)は、午後からの星稜大垣日大の練習試合を観に行きトレーナー活動。

23日(土)~24日(日)は、IST認定スポーツトレーナー連絡協議会(お世話する方)。
24日(日)は、途中から名古屋の専門学校同窓会が開催する講演会(マラソンの有森裕子やプロ野球の清原、カールルイスなどのパーソナルトレーナーを務めるなど、トレーナー活動を行っている鍼灸治療院の先生の講演会)を聴講。

平日には会議多数。

まあ、好きでやってることばかりなので苦痛ではないのですが、患者さまにいつも私が話していることを、自分に言ってあげると、「身体の声も聞いてあげないとね」、今の自分の体にこの言葉をささげておこう

さて、そんな自分の人生、行動を少し第三者的に(幽体離脱した感じで)眺めてみると、こんな言葉が意識に入ってきました。

  道  

自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。

広い時もある。狭い時もある。のぼりもあれば、くだりもある。
坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。

この道が果たして良いのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。
なぐさめを求めたくなる時もあろう。

しかし、所詮はこの道しかないのではないか。

あきらめろと言うのではない。いま立っているこの道、
いま歩んでいるこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。
自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。

他人の道に心を奪われ、思案に暮れて立ちすくんでいても、
道は少しもひらけない。 
道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め懸命に歩まねばならぬ。

それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは
必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれる。

 
 『道をひらく』  松下幸之助 著


時間は無限であるが、有限です。人生は長いように思えて、過ぎ去ってしまえば短いものです。
同じ人生という道を歩むなら、自分の道を、運命を切りひらいていきたいですよね。

ちょっと、幽体離脱して自分の「今」の姿を眺めて、ひらめいた 自分の中に入ってきた そんな言葉を自分自身に投げかけてみました。

気分もリフレッシュして、これからも自分に起こる出来事に感謝して、出逢いに感謝して、田中道北陸本線 を歩んでいきたいと思います。

冒頭の写真は、当院前にコンクリートの間から見事花を咲かせたスミレです。
生命力を、生きる力を感じましたので写真を撮っちゃいました。
スミレ自信の使命を果たし、花を咲かせたわけです。そして種へと意志を繋いでいきます。
スミレ道ですね 

 二葉鍼灸療院 田中良和


目の前のことを大事にする!

2012年05月17日 | 言葉のちから 心のちから

日々、時間に追われていると忘れがちになることです。

人は、過去を後悔し、未来に不安や心配をしてしまうことも多いのかもしれません。

でも、できるだけ、過去を反省し、「今、現在」を過ごし、未来に希望や可能性というビジョンを持って人生を歩みたいですよね。

 

 目の前のことを大事にすれば それだけで人生は成り立つ 

 ~目の前の人を大切にする~

あるラーメン屋さんが、十日前は十人のお客さんが来たけれど、五日前は五人になり、昨日は一人だったとします。

今日はやっと一人来るかどうかだ、という状態のときに、たまたま一人のお客さんが入ってきた。

もうあと五日後、十日後には店を閉めなくてはいけないような状況のときなので、この店の主人は氣もそぞろ。いつ倒産してしまうだろう、と考えごとをしながらラーメンを出したときに、思わずラーメンに指が入ってしまった。

「親父さん、指が入ってるよ」

とお客さんが言うと、その店の主人は虚空を見ながら言いました。

「大丈夫です、熱くありませんから」

これは笑い話ですが考えさせられます。
なぜお客さんが減っていったのだろう。五日後、十日後にはどうなってしまうのだろう、ということを考える必要はありません。減ってきたことを悔やみ、未来を心配することに99%のエネルギーがいってしまうから、美味しいラーメンを出すことができない。

それを考える暇があったら、今日来てくれた人に対して美味しいラーメンを出す方が大事です。

今日来てくれた人に美味しいラーメンを出せば、明日は二人になるかもしれません。その二人に美味しいラーメンを出せば、翌日には四人になります。その次は八人になるかもしれないでしょう。

目の前の人を大事にし、目の前のあることを、やるべきことを大事にしていく。
それだけで実は人生は成り立っていきます。


他のことを何も考える必要がない。どうしたら成功するかとか、どうしたらお金が儲かるか、ということを考える必要はない。そのことだけをやっていけば必ず、そのラーメン屋さんであれば、お客さんが増えていって、仕事として成り立つようになります。

いかに美味しいラーメンを目の前の人に食べてもらうか、だけを考えればよい。
それを「念を入れて生きる」といいます。

  『「人生を楽しむ」ための30法則』  小林正観 著

 

不況の時代、思い通りにならない人生こそ、このような考え方が大切になってくるのだと思います。

人生は「今、現在」があるのみです。過去は現在の積み重ねですし、未来は「今、現在」の自分の言葉や思い、行動が原因となって創りだされて行きます。

私であれば、ラーメンを鍼治療に置き換えて考えると分かりやすいですね。

人の修行の場は、人里離れた山中やお寺の中にあるわけではないようです。それぞれの日常生活が、その人の人生の修行だそうです。

ということで、「目の前の人、物事を大切に」、今日一日、日々新たに、楽しくいきまっせ

   二葉鍼灸療院 田中良和


幸せの三つの条件

2012年04月18日 | 言葉のちから 心のちから

忙しい毎日が続き、自分の臨床のこと、業界のこと、学会のこと、野球のこと、そのほか、いろんなことを思い、行動していると、時々、精神的に「あーーーー」なんてことに陥ることもあります。

まだまだ人間が出来ていませんね~

でも、やっぱり自分の好きなことを仕事として行え、世の中のために役立っているという心が湧いていると、そんな上っ面の精神的疲労も吹き飛んでしまうわけです。

いろんな仕事を頂いていますが、それは何か理由があり、自分の魂や心の成長のために必要であるから舞い込んで来ていると思っています。そう自覚していても、パッとしたキレのある仕事をしているわけでもないのです…

だから、最近はいろんなことが起きても、忙しくなっても、寝不足になっても 「幸せ」だな~と感謝できるようになってきました。き・ま・し・た、ですから、やっとそこまで思えるようになったということでしょうか。

「幸せ」っていろんな形があると思います。

私が尊敬する人物の一人、松下幸之助さんの言葉をお借りして、「幸せ」について…

 ~引用開始~

 ぼくはね、幸せの条件について、こう思うんですよ。

 まず第一は、「自分が幸せだと感ずること」。当たり前のことですが、自分が幸せだと思わなければ幸せではありませんね。世間には他人から見れば、大変めぐまれているな、幸せだろうな、と思われているような人でも、本人は不平不満に明け暮れている、というようなこともありますわ。

 やはりどんな境遇にあろうとも、自分自身が満足しているのでなければ幸せ感は生まれない。

 そして第二は、「世間の人々も、その幸せに賛意を表してくれること」で、他人のものを盗む、それでは、他人のことを不幸にしてしまいますし、自分も社会から非難を受け罰せられる。それでも自分は満足だという人も中にはいるかもしれません。しかし、そういう人はいささか異常だと思うのですよ。

 この二つの条件が満たされれば一応はよいと思うのです。けれど、もう少し厳しく言えば、幸せというものは、人間の共同生活の正しい進歩向上に即したものでなければならないと思います。

 たとえば、ある優秀な人物が、仙人のように山にこもってしまったとします。本人は満足しているし、社会にも別に迷惑をかけているわけでもない。その人はそれでいいのかもしれませんね。しかし、皆が皆そのように山にひきこもってしまえば、この社会はどうなるでしょう。そうなれば、人間同士が協力し合うこともなくなる。社会の進歩は止まってしまう。いや、人間がより便利に快適にというために生まれた社会すらなくなってしまうでしょうね。 

 だからぼくは、単に他人に迷惑をかけないだけでなく、「一歩進んで社会にプラスし、周囲の人々に幸せをもたらすところに幸せが味わえたら、より好ましい」と思うんです。

 以上の三つの条件が揃ってこそ、真の幸せといえるのではないでしょうか。

 ~引用終了~ 『人生談義』  松下幸之助 著

松下幸之助さんの言葉は、私の”心のサプリメント”のようなものです。時々、このサプリメントのお世話になっております。

そんなを「幸せ」を常に感じながら、今日一日、過ごしていくぞいね

二葉鍼灸療院 田中良和


偶然ではない

2012年04月07日 | 言葉のちから 心のちから

朝は希望に目覚め、昼は努力に生き、夜は感謝に眠る…どこの出典かは調べていませんが、星稜高校野球部の室内練習場に掲げられている言葉の一つです。

清々しい朝であっても、仕事の疲れが残る朝であっても、必ず朝が来ます。
当たり前のようなことですが、良く考えると、眠りから覚めるのも生命の神秘的な機能の一つかもしれませんね。

 

  偶然ではない 

この世、この時、我というものが生まれたのは、何万年も前から、我というものが、

この世、このときに生まれ出るような、元があったから出てきたのだ。

ただ、自分が、自分というものを意識したのが、極めて短い時間であったというだけの条件で

この世に生まれたものは偶然の動機だと考えたら、それはあまりにも自己を観る観方が

大きな誤解で行われていると言わなければならない。

  『中村天風 一日一話』  中村天風財団[編]

 

いろんな人生はあるけれど、どんな人生においても、等しくこの世に生まれた意味があり、等しくこの人生で学ぶべき何かがあり、そして使命があるのだと思います。

そして、大きい意味で捉えれば、どんな人や物、地球にあるすべてのものには意味があり、かけがえのない尊い存在なのだということでしょうね

     「ここに「今」在ることに価値がある」ということでしょうか。

悠久の地球の歴史の中の一瞬であるけれども、奇跡の一日を、楽しく、笑顔で、そして、小さな幸せに、感動して過ごしたいものですね。

一日の終わり、眠るときに感謝できるように 

二葉鍼灸療院 田中良和


内省検討~心はワクワクに向いているか?!~

2012年02月27日 | 言葉のちから 心のちから

本日、金沢は雪。もう少し寒い日が続くようです。

桜の開花も遅れるということだしね。

何が公か私か分かりませんが、なかなか忙しい日々が続いています。そんな時、いろんな出来事の中で、いろんな心が湧き出てきます。

ワクワクするような、楽しく、興奮するような、積極的な心もあれば、不安や自虐的な消極的な心までいろいろです。私もいろんな心がその出来事のたびに湧き上がってきます。誰でもそうだと思いますが、明るい面と、その逆の面を併せ持っていますよね。

日常生活の中で、常に積極的な心で、自然に過ごすことができればいいのですが、なかなかできません それを繰り返すことが成長なのかもしれませんが…。日々、その心の凌ぎ合いということがあると思いますが、自分と出来事(他人)との関係と、もう一つ、第三者的に、自分の心を常にチェックする視点も大切かなとも思います。

 内省検討 

  日常の人生を生きる際に、どんな些細な人事、世事に対しても、
  いま現在の自分の心が積極的かしらん、消極的かしらんということを
  厳格に第三者の心になって、常に検討することが必要なのであります。

  そして、少しでも自分の心の中に消極的なものを感じたならば、
  断然、その心を追い出してしまわなければいけない。
  己の心の中にあるものは、己の心を明るく、朗らかにするもののみ、
  という心がけが必要なんです。

  『中村天風 一日一話』  中村天風財団[編]

自分は自分でしかないのですけど、自分の中にはまだまだ眠っている 貯蔵してある 無限の可能性という資源が有限だけど、ほぼ無限に存在するのだと自分で思いこんでいます。

その資源を発見し、掘り起こし、活用するのも、しないのも、自分の心なんでしょうね

そして、その行動を起こす原動力が、ワクワクするような、楽しい、嬉しい、幸せを感じる「積極心」なのだと思います。

今日もワクワク、積極的に、いくぞいね

 
二葉鍼灸療院 田中良和


佐久間 勉 海軍大尉という人物 ~二の巻~

2012年02月15日 | 言葉のちから 心のちから
海軍大尉 佐久間 勉というあまり名は知られていませんが、立派な人物の生き様、死に様から多くを学ばせて頂いています。 続きです。

 素晴らしい行いは、国という枠を超え、時代という時間を超え、多くの人々に影響を与えるのだと思います。そんないくつかの反響をみていきたいと思います。

 アメリカでは…

 昭和三十一年、「ニューヨーク・タイムズ」記者で、ピュリッツアー賞受賞作家、米国海軍兵学校出身の軍事評論家ハリソン・ボールド・ウィン氏による、その著書「海戦と海難」の中に「日本六号潜水艇の沈没」として章を設けて佐久間艇長の遺書を紹介し、「佐久間の死は、旧い日本の厳粛なる道徳、サムライの道、または武士道を代表したもの」と強調したのである。
 このことによって、カリフォルニアの高校教科書「リーダーシップ」の項にこの佐久間艇長の行為が引用された。



 平成10年4月に佐久間大尉の出身地である福井県三方町で行われた「佐久間艇長遺徳顕彰祭」において、英国大使館付武官であるロバートソン大佐が以下のようにスピーチされました。

英国大使館付武官ロバートソン大佐のスピーチ

 今を去る88年前、広島湾において、第六潜水艇が遭難し、その結果、悲惨にも佐久間艇長以下乗組員すべてが殉職した事故について、皆さんはよくご存じのことと思います。

 私も潜水艇乗りの海軍大佐であり、これまでに3隻の異なった潜水艇長をした経験がありますので、私は今から88年前に広島湾の第六潜水艇内において、佐久間艇長と艇員がいかに卓越した勇気と献身的責任感を示したかが、特によく理解できると信じております。

 われわれ潜水艇に勤務するものは、潜水艇勤務上準拠すべき安全規範を樹立するのに貢献して、尊い犠牲となられた初期の人々の勇気とお手本に、多大の恩恵をこうむっているのであります。それらは「良き潜水艇乗りの処置」として知られているものであり、さらにそれらは、種々の過ちや初期のころの機器の欠陥などから、水中で安全に操作する方法を学んだ。あとの世代の潜水艇乗りの必須知識となっているものなのであります。

 今日、海中に全没したら3か月以上の間、浮上しないでいられると考えられています。私が艇長をした原子力潜水艇では、このようなことはごくありきたりの行動でした。われわれが機器の安全性と信頼性の上に立ってこのようなことができるという事実は、これらを可能にした佐久間艇長のような先人たちの、勇気とお手本があったればこそなのであります。

 この意味におきまして、私が佐久間艇長の勇気と職分意識と献身的責任感の驚嘆すべきお手本を、いくら高く賞讃してもし過ぎることはありません。艇長と艇員の最後は必至、という最悪の事態において、艇長がとった処置行動は、単に潜水艇のみならず、世界中の危険な職業に勤務するすべての人々の規範として存続しているのであります。

 日本では、佐久間艇長をはじめとするこれら国際的に認められている英雄たちを大きな誇りとしておられます。皆さんが今後とも永く引続いて艇長を奉賛され、その卓越した模範的遺徳を顕彰されるようお祈りいたします。

 どうもありがとうございました。



 世界では、日本国内では…

内外に与えた感動

 六号艇員の立派な最後に関する報道は、艇長の遺書の内容とともに、4月21日から翌日にかけて世界中を駆け巡り、各国の人々、特に海軍軍人に深い感銘を与えたのであった。中でも、その数年前の潜水艇沈没事故に際し、悲惨な乗員の最後を経験していた英仏両国海軍からは、さすがに日本海軍軍人は立派であるという賛辞が早々と寄せられた。このほか、ドイツ皇帝、トルコ皇帝、イタリア海軍大臣など多くの各国代表が、続々と弔意を表されたのであった。

 言い遅れたが、六号潜水艇沈没の悲報に憂愁に包まれていた日本国内は、艇長の遺書によって事の次第を知り、朝野をあげて艇員の立派な最後を賞讃したのである。

 この内外に与えた大きな感動は、やがて義えん金募集の声となってこだまし、その総計は約5万6千円の多額に達した。(明治40年当時、米一升が16銭、100銭=1円の時代)そこでそのうち2万5百円ずつを等分に遺族に贈り、残りの2万1千円をもって呉市河原石の鯛宮神社境内に記念碑を建立した。これは高さ19mのれんが石造りの円柱塔であり、大正元年(1912)年11月29日に除幕式が挙行された。



 また、佐久間艇長以下14名の乗組員は、平時の殉職ということで進級もなく、また靖国神社へ祀られることもありませんでした。決まりとはいえ、このような方々も国のため尽力されたのだからお祀りすべきではないかなと思いますね。

 素晴らしい心とそれに裏打ちされた行動のできる先達が存在した「日本」に生活させて頂いていることに誇りを持って、人生を歩んでいきたいと思いました。


佐久間大尉、乗組員の方々に敬礼

~追伸~

 私の幼馴染であり、鍼灸師であり、酔耀会(鍼灸勉強会)仲間である、

  ヤスイ先生(ヤスイ鍼灸接骨院)のブログ
 
 にも、佐久間 勉 大尉のことが書いてありますのでご参考にしてください。
 精神や心の面で同質の感覚を持つ先生です。


二葉鍼灸療院 田中良和

佐久間 勉 海軍大尉という人物 ~一の巻~

2012年02月14日 | 言葉のちから 心のちから
1月19日の金沢市鍼灸マッサージ師会 新春役員研修会で下沢広伸 金沢市議会議員からお話があった人物である「佐久間 勉 海軍大尉」の話に感動してしまったので、少し調べてみることにしました

 佐久間 勉 海軍大尉(国産初の第六号潜水艦艇長) 

 明治12年(1879)に生まれ、福井県三方町の出身です。幼いころから勤勉で、家計を助けるため教科書はすべて書きうつしていました。
 海軍兵学校に入った後、明治42年、30歳にして初の国産潜水艦である、第六号潜水艦艇長に就任しました。艇の開発に尽力されました。山口県沖での演習中に海水が流入し、潜水艦は海底に沈み、二度と自力で浮き上がることができないこととなった。佐久間艇長以下、乗組員14名は、最後まで自分の職を全うし、艇が引き上げられた時には、全員持ち場を離れず亡くなっていました。艇長以下乗組員14名の死に様は、日本もさることながら、世界中に感動を呼びました。
 佐久間大尉はこの事故で明治43年(1910)、31歳の若さでこの世を旅立たれました。


その感動の実話をお話させて頂きます


 明治43年4月15日 午前9時50分、第六号潜水艇は山口県新湊沖において半潜航実験の後、全潜航に入り海底沈座などの潜航訓練を開始した。しかし間もなく海水が浸入し必死の排水作業にも係わらず、佐久間 勉 艇長以下14名を載せた六号艇が再び自力で浮上することはなかった。

 翌16日に沈没した艇体が発見され、17日になって浅瀬に回航された。当時の潜水艇の性能から生存者の望みは無かった。

 問題は乗組員が帝國海軍軍人として相応しい死に方をしているか、という一点にあった。

 直近で英仏海軍に同様の事故があり、乗組員の醜態が世間に知られていたからだ。

  「よろしいっ」

 まさに絶叫であった。引き揚げられた六号艇の状況を検分した吉川中佐の絶叫は号泣に変わり、男泣きに泣き崩れた。

 艇長は司令塔に、機関中尉は電動機の側に、機関兵曹はガソリン機関の前に、舵手は舵席に、空気手は空気圧搾管の前に、14名の乗組員は全員それぞれの部署を離れず、艇の修復に全力を尽くし、従容として見事な最期を遂げていた。 

 その後、収容された佐久間艇長の遺体のポケットから39ページに及ぶ遺書が発見された。沈没後電燈が消えて、酸素は刻々と消費されていく。ガソリンによる瓦斯は艇内に充満し、おそらく部下は一人また一人と絶命していったことだろう。佐久間艇長はそのような環境の下、天皇陛下の艇を沈め部下を死なせる罪を謝し、乗組員全員が職分を守った事を述べ、沈没の原因・沈据後の状況を説明した後、公言遺書を記している。


『 佐久間 艇長 の遺言 』

 小官の不注意により陛下の艇を沈め部下を殺す,誠に申し訳なし。されど艇員一同死に至るまで皆よくその職を守り沈着にことを処せり。我等は国家のため職に斃れしと雖も唯々遺憾とする所は天下の士はこれを誤り以って将来潜水艇の発展に打撃を与ふるに至らざるやを憂ふるにあり。希くば諸君ますます勉励以ってこの誤解なく将来潜水艇の発展研究に全力を尽くされんことを。さすれば我れ等一も遺憾とするところなし。


沈没の原因

 瓦素林潜航の際、過度深入せしため「スルイス・バルブ」をしめんとせしも途中「チェン」きれ依って手にて之れをしめたるも後れ後部に満水せり。約二十五度の傾斜にて沈降せり。


沈拒後の状況

 一、傾斜約仰角十三度位
 一、配電盤つかりたるため電灯消え,電纜燃え悪瓦斯を発生呼吸に困難を感ぜり。
   十五日午前十時沈没す。この悪瓦斯の下に手動ポンプにて排水に力む。
 一、沈下と共に「メンタンク」を排水せり,灯消えゲージ見えざれども「メンタンク」は排水し
   終われるものと認む。電流は全く使用する能わず,電液は溢るも少々,海水は入らず
   「クロリン」ガス発生せず唯々頼む所は手動ポンプあるのみ。

  (后十一時四十五分司令塔の明りにて記す)

 溢入の水に浸され乗員大部衣湿ふ寒冷を感ず。
 余は常に潜水艇員は沈置細心の注意を要すると共に大胆に行動せざればその発展を望む可からず。細心の余り萎縮せざらんことを戒めたり。世の人はこの失敗を以って或いは嘲笑するものあらん。されど我れは前言の誤りなきを確信す。

 一、司令塔の深度計は五十二を示し排水に勉めども十二時迄は底止して動かず。
   この辺深度は十尋位なれば正しきものならん。
 一、潜水艇員士卒は抜群中の抜群者より採用するを要す。かかるときに困る故。
   幸ひに本艇員は皆よく其職を尽せり,満足に思ふ。 我れは常に家を出づれば死を期す。
   されば遺言状は既に「カラサキ」引出の中にあり
   (之れ但私事に関すること,いふ必要なし,田口,浅見兄よ之れを愚父に致されよ)

公遺言

 謹んで 陛下に白す。我部下の遺族をして窮するものなからしめ給はらんことを。我が念頭に懸るもの之あるのみ。

左の諸君に宜敷(順序不順)
 斉藤大臣 島村中将 藤井中将 名和少将 山下少将 成田少将
 (気圧高まり鼓膜を破らるる如き感あり)
 小栗大佐 井出大佐 松村中佐(純一) 松村大佐(竜) 松村少佐(菊  小生の兄なり)
 船越大佐 成田鋼太郎先生 生田小金次先生

 十二時三十分呼吸非常にくるしい
 瓦素林をブローアウトせしし積もりなれども,ガソリンにようた。

 中野大佐

 十二時四十分なり


 遺書は「十二時四十分ナリ」と記して終わっています。この次の瞬間絶命したのだと思います。

 当時、事故に対する遺族への補償金などの支払規定はありませんでした。佐久間艇長の遺言は上奏され、勅命によって直ちに裁可されました。

 佐久間大尉以下乗組員14名の行動は、昭和二年以降終戦直後まで、「尋常小学校終身教科書六」の「第八科・沈勇」に掲載されていた。
 ところが、ただ唯一有色人種が白人に戦争で勝利し、人種差別撤廃を世界の場で公言した、日本が再起できないように、日本人の精神面から破壊を行うために、精神的支柱となるものはすべて、戦後、進駐軍(GHQ)により、日本人の前からは排除されました。修身における佐久間大尉の項目は削除され、潜水学校に展示保存されていた佐久間艇は解体されました。

 その修身の教科書 「沈勇」(戦前の小学校六年生用修身教科書より)には…


 明治四十三年四月十五日、第六潜水艇は潜航の演習をするために山口県新湊沖に出ました。午前十時、演習を始めると、間もなく艇に故障が出来て海水が侵入し、それがため艇はたちまち海底に沈みました。この時艇長佐久間勉は少しも騒がず、部下に命じて応急の手段を取らせ、出来るかぎり力を尽しましたが、艇はどうしても浮揚りません。その上悪ガスがこもって、呼吸が困難になり、どうすることも出来ないようになったので、艇長はもうこれまでと最後の決心をしました。そこで、海面から水をとほして司令塔の小さな覗孔にはいって来るかすかな光をたよりに、鉛筆で手帳に遺書を書きつけました。

 遺書には、第一に艇を沈め部下を死なせた罪を謝し、乗員一同死ぬまでよく職務を守ったことを述べ、又この異変のために潜水艇の発達の勢を挫くような事があってはならぬと、特に沈没の原因や沈んでからの様子をくわしく記してあります。次に部下の遺族が困らぬようにして下さいと願い、上官・先輩・恩師の名を書連ねて告別の意を表し、最後に十二時四十分と書いてあります。

 艇の引揚げられた時には、艇長飫以下十四人の乗員が最後まで各受持の仕事につとめた様子がまだありありと見えていました。遺書はその時艇長の上衣の中から出たのです。

 格言  人事ヲ尽クシテ天命ヲ待ツ。



 と書かれ、日本人の実践すべき精神的手本として書に、そして日本人の意識に残っていました。

 佐久間 勉 大尉の行動については、百人百様いろんな捉え方があると思います。

 私は、この31歳という年齢でありながら、生きる限界まであきらめず、チャレンジして、その場を脱しようとした精神力。また、もう駄目だと分かった時には、それは苦しかった辛かったと思うが、「どう死すか」を沈着に選択できた人間力、これは私にも、そして現代に生きるものにとっての一つの手本となると思いました。

 また、その佐久間大尉に心も態度も最後までついていった乗組員の覚悟と信頼は素晴らしいものだと思いました。

また、死と直面し、不安と恐怖に覆い尽くされた環境の中で、まず国家の長たる天皇陛下にお詫びをし、さらに当時、神なる存在であった天皇陛下にあてて、

 この事故を礎に、さらに潜水艦技術の向上を願うということ、
 乗組員が最後まで全力を尽くして職責を全うしたこと、
 乗組員が死した後の残された家族のことを心配し、その補償をお願いしたこと

この緊急時に、これだけ自分の国を思い、乗組員ばかりか、その家族のことまで思いを巡らすことが自分にはできるかな?と思いました。

 この遺書を読んだ時、佐久間大尉の話を聞いた時、自分が、もうすぐに死すという時に、このような状況判断ができるのかと驚嘆と感動をしてしまいました。これこそ、家庭で、学校で、職場で、自分の責任とは何なのか、他人や社会に対して正直で誠実な心の在り方、判断方法、行動とは何なのかということを、幼いころから身に沁みて教育されてきた現れだと感じました。
 
 この話は、私たちに目に見えない大切なものを教えて頂いているのだと思います。そして、佐久間大尉以下14名の乗組員に限らず、多くの素晴らしい先人が、たいへんな時代を乗り越え築き上げてきたからこそ、今の「日本」という国があることを心から感謝させて頂きました。

 今、日本は様々な問題に直面していますが、世界の多くの国と比較し豊かです。戦争もありません。日々の生活を自分がやりたいと心に思えば実現する可能性のある国です。いろんな不平不満はあるかもしれませんが、豊かです。

 この状況は当たり前ではないのです。
 
 では、自分の人生において社会に対する使命は何なのか、何をやることで世の中の役に立ち、自分を成長させられるのか、それぞれの立場で考えるきっかけになる話でもあると思うのです。

 佐久間大尉の話は、日本だけでなく世界でも称賛されました。少し長くなりましたので、そのお話は~二の巻~で、ちょっとだけ書きたいと思います。

では


二葉鍼灸療院 田中良和

月末に出逢った人生の教訓 

2012年01月31日 | 言葉のちから 心のちから
まだまだブログ更新することがたくさんありますが、ネットサーフィンをしていた時に出逢った人生の教訓をチラッと書いておきたいと思います。

私もまだまだ人生の修行の途中です。これからも大きな夢に向かって走っていきます。ですが常に強い信念を持って行動しているかというと、そうでもありません。まだまだ、そこまで人間が磨かれていません。

大きな夢を実現するためには、日常の行動、今ここでの行動、いまこの瞬間の在り方、そんな刹那が重要になってくるのだと感じます。この言葉たちに出逢い、目にした時、気持ちが「キュッ」と引き締まりました。

では、ご紹介。

  

(1)今、居眠りすれば、あなたは夢をみる。
   今、何かを学習すれば、あなたの夢が叶う。


(2)あなたが無駄にした今日はどれだけの人が願っても
   叶わなかった未来である。


(3)勉強に励む苦しさは今だけであり、
   勉強しなかった苦しさは一生続いていく。


(4)明日やるのではなく、今日にやろう。


(5)時間は絶えず去りつつある。


(6)学習は時間がないからできないものではなく、
   努力を欠いているからできないものである。


(7)幸福には順位はないが、成功には順位がある。 


(8)学習は人生の全てではないが、人生の一部として続くものである。


(9)学習する事が人生の全てとは言わないが、
   学習すらできぬ者に何ができるのであろうか。


(10)人より早く起き、人より努力して、
   初めて成功の味を真に噛みしめる事ができる。


(11)怠惰な人が成功する事は決してない、真に成功を収める者は
   徹底した自己管理と忍耐力が必須である。


(12)時間が過ぎるのはとても早い。


(13)今の悔しさは将来喜びの涙となる。


(14)犬の様に学び、紳士の様に遊べ。


(15)今日歩けば、明日は走るしかない。


(16)一番現実的な人は、自分の未来に投資する。


(17)教育の優劣が収入の優劣になる。


(18)過ぎ去った今日は二度と帰ってこない。


(19)今この瞬間も相手は読書をして力を身につけている。


(20)努力無しに結果無し。


  

患者さまの身体そして心を扱う鍼灸師という仕事。まさしく向上心を持って、常に学び、学習が必要な仕事です。どんな仕事にも共通することなんでしょうね。でも、究極には私たちは人の生命にかかわる仕事しているわけですから、常に最新の医学や化学、あるいは先人が残して来た古典的な東洋医学、それに関る様々な事柄を学習しながら患者さまの笑顔と健康のため努力する必要があります。

同業者でも、こんなこと改めて言わなくても理解されている方がほとんどだと思いますが。、私なんかは時折、そこの所を認識間違いしてしまうことがあるので、常に言い聞かせてます。そんな間違いを正してくれるのが、日常の生活であり、「あー良くなった」「痛いの治りました」、逆に「な~ん良くならんわ」「まだ、少ししか変化ないわ」という患者さまの言葉でもあるのです。この度に、良くなった…どこがどうなって良くなったのか、治らない、変化がない…どこがどうして治らない、変化がないのかという課題を頂けるわけです。

そして、さらに勉強しないといかんと心新たにするわけです。


イエローハット取締役相談役、「日本を美しくする会」相談役の鍵山秀三郎さんは、著書の中で、

  「最初はどんなに小さく平凡なことでも、その平凡の積み重ねが非凡を招きます」

  「誰にでもできることを、誰にでもできないくらい徹底してやる」

  「自分ができることは何かを自問自答し、その答えが見つかったらすぐに実践することです。
   ”明日からでもいい”と考えてしまうと、次の日になってからも”明日からでいい”と
   なってしまい、結局はやらずに終わってしまう」

と言われています。

いい言葉を、聞いた、見た、出逢ったら、
いい言葉に、感動した、感激した、感謝した、のなら、すぐ実践すべきですよね。

よ~し気合が入ってきた~ やりまっせ


二葉鍼灸療院 田中良和

感謝と実行

2012年01月24日 | 言葉のちから 心のちから
冬に朝から晴れていると気分も爽快です 特に金沢はこの時期、どんよりと曇った日、雨の日、雪の日が多いですからね~


さて、自分の人生で起きる出来事は何が原因なのでしょうか

自分の思考や行動から生まれるウエイトが高いような気がしますが、その根底には、自分には想像もできない、計り知れない大きな力が働いているのかもしれません。

その大きな力を畏怖し、そして、感謝しつつも…

結局、最終的に自分の人生をつくるのは自分自身の思考と行動なのでしょうね。

 求道とは実行である 

 いくら素晴らしい教えであっても、これを実行しなければ、
 それは絵に描いた餅にすぎない。
 例えば、積極心を身につけるにあたって
 感謝の念が重要であることはよく知っているはずだが
 いざとなると不平不満が先行してなかなか実行が伴わない。

 その点、傑出した先達に見られる求道の精神は
 文字通り絶対不断であった。
 積極心を本当に絶対的にしたければ、その手始めに
 一切の不平不満を感謝に置き換える努力を怠らないことである。

  『中村天風 一日一話』 中村天風財団[編]



自分も不平不満が多いかもしれませんね。何でも人のせいにしたりね。でも、よくよく考えると自分の都合で物事を考えたり、怒りにまかせて人を責めたりしたいることなんかよくあるんですよね。

少し時間をおいて考えると、自分のこんなところが悪かったな~、ここをこうすれば、こうならなかっただろうな、という事がよくあります。これは反省として、その後の人生に活かせばいいと思うのですが、やはり自分の至らなさから、あるいは、逆に自分の素晴らしい思考と行動で(自分で言うのもなんですが…)、その人生の出来事が起こってるんだろうな~ってことを感じます。

それで、私は、こう考えてみました。

いいことも、悪いことも、心で思った、自分が、相手が話した言葉の語尾に 「感謝」 という言葉を付けてみてはどうかと。

いい治療が出来て、患者さまに喜んで頂いた…「感謝」
水道を出しっぱなしで叱られた…「感謝」
こんな素敵な人と今日、出会うことができた…「感謝」
すっげぇ憎たらしい人と今日出会った…「感謝」
空が青くて太陽が気持ちいい…「感謝」
朝から雪がすごい降っていて暗い…「感謝」

こんな感じで「感謝」を付けると、出来事すべてに意味があるような気がしてきます。

すべてを感謝に置き換えると、素直になり、そして自然と積極心になっていく感じがします。

今日から語尾に「感謝」づけをやっていきたいな~なんて思います


本日も皆様との出逢いに 感謝 


二葉鍼灸療院 田中良和

西郷隆盛さんの詩

2011年12月12日 | 言葉のちから 心のちから
私、西郷隆盛さんの生き様が大好きです。

本日、早起き

朝、気持ち良い空気の中で西郷隆盛さんの詩を読みました。
奄美大島、沖永良部島と二回の流罪中につくった詩の中から一つ。

 謫居偶成 

 獄裡の氷心苦辛に甘んず。
 辛酸骨に透って我が真を看る。
 狂言妄語、誰か知り得ん。
 仰いで天に慚(は)じず、況や(いわんや)また人を。

 【訳】
 
  己の心は氷。氷だけが獄の苦しさに堪えられる。
  辛酸が骨にしみ透ってくる。これだ、見えた、己の真。
  我も人、でたらめも言う、わめきもする。
  たが、天にも人にもは慚じるところはない。


『西郷隆盛語録』  奈良本 辰也  高野 澄 著



天にも人にも慚じない生き方…心がけていきたいです。

自分の本当の核の部分、心の芯というのは、窮地に立った時に出てくるのかもしれませんね。そんな時に、自分の心の芯を見つめることができる人間づくり、深い人間性の探求が、何も起きていない平穏な日常生活の時、あるいは、成功して波に乗っている時に養っておく必要があるのかな~と思います。

2011年12月12日、そんな心で、ヤマト発進しま~す


二葉鍼灸療院 田中良和

本物は見分け難し

2011年12月09日 | 言葉のちから 心のちから
12月も前半戦が終わろうとしています。ブログもなかなか更新できていません。その時が来たら一気に更新したいと思います。


時々、「自分は何をやっているんだろう」「あたしゃ、このままでいいのか」「おいらは何者なんだろう」と自分を第三者、第四者の位置から観ることがあります。


 本物は見分け難し 

真勇は怯の如く、真知は愚の如く、真才は鈍の如く、真巧は拙の如し

【意味】真の勇者は臆病者のように見え、真の智慧者は愚か者のように見え、
     真の才人は鈍才のように見え、真の巧者は下手な者のように見える。
     見誤ってはならない。


『佐藤一斎 一日一話』  渡邉五郎三郎 監修



人を観る目というのは、その人の今まで生きてきた人生観によって培われていきます。
マイナスな言い方をすると、自分の主観的で、自分勝手な人の見方になっているということです。
プラスな言い方をすると、人生で艱難辛苦、感謝、いろんな体験をするほど他人の本質が見えてきます。

また人というのは、自分も含め他人からの評価がたいへん気になります。
自分を良く見せたいという感情は誰にでも大なり小なりあると思います。
私はそんな感情がいつも出てくるので、注意しています。(時々、注意されます

そんな時は、第三者、第四者、第五者ではありませんが、いろんな角度、方向から自分を見つめ直すように、私は心がけています。
これはいつでも、どこでもできます。でも、感情や心が戦闘モードでなかなかできないことも多々あります。人間ができていませんね~。

自分をいろんな角度、方向から見ることができれば、周囲の人の本質も少しずつ見えてくるのではないかと思うのですね。

時々、そんなことを考えながら、仕事に、遊びに、人生に、感謝し、全力投球しているので~す


二葉鍼灸療院 田中良和

エジソンに学ぶ

2011年11月29日 | 言葉のちから 心のちから
学びはどこにでもあるものですね。職業柄、学び続ける向上心が必要です。でも、その心が時々鈍る場合には、自分を啓発することも大切だと思います。

師匠のようにありたいけど、やはり自分に負けることが多い。

そんな時には、書物からの一言が、意外に「ハッ」と心に響くことがあるんですね

 トーマス・エジソンから学ぶ 

発明王・エジソンが電球を発明する際のこと。核になるフィラメントの素材を何にするか、これが問題でした。

木綿糸でやってみる…すぐに燃え尽きNG
金属でやってみる…これもNG
動物の皮でやってみる…NG
植物でやってみる…NG

そんなこんなでエジソンは電球をつくるのに素材だけで6000種も試しているのです。6000回と言えば、赤ちゃんのオムツ替えの回数に匹敵します。毎日7回ずつ替えるとして、1年間で2555回。2歳過ぎに卒業する計算で、ズバリ6000回です。6000回の数字の重みがこれで伝わるでしょうか?(笑)

さすがに、エジソン、6000回もオムツ替えをすると、もうオムツがなくなってきた。もとい。さすがに6000回も実験すると、もう試すものがなくなってきた。困ったエジソン。

しかし、そんな時こそインスピレーションがやってくるのです!

「きたぁぁぁあああァァァアアア!!! あいつのヒゲだ!!!」
あいつのヒゲなら絶対フィラメントになる!エジソンはそうして友人のヒゲまで実験しているんですね。実験メモにちゃんと残っています。しかし…友人のヒゲ…NGでした。
「ヒゲだめだったか…」
エジソン君、そう落ち込むなよ!普通に考えたら、ヒゲは無理だよ!
エジソン、ふと、顔をあげると机の上にあった竹の扇子が目に入った。むむむむむ。竹…あっ、竹まだ試してなかった…。

大急ぎで竹をフィラメントに使ってみると、なんと200時間も灯ったのです。こうして世界中に灯りをもたらした電球は生まれたのです。


『朝にキク言葉』 ひすいこたろう 著


~エジソンの熱意~

発明王エジソンは、小学校では先生から劣等生あつかいにされ、たった三ヶ月で退学しています。だから、学校では勉強らしい勉強はしていなかったのですな。
ただ、エジソンは、子どものころから、物事に対する研究意欲は盛んだった。つまり自然現象や世の中のことを、ただぼんやりと眺めてはいなかった。すべてに対し”なぜ”という疑問を発したのですね。

時には、鳥を捕まえてきて、なぜ空を飛べるのかと、羽の構造を熱心に調べた。またある時は、止まっている蒸気機関車の下にもぐりこみ、油まみれになりながら、機械のしくみを調べていて、運転士にひどく叱られたと言います。それほど熱心だったわけですな。

そこに、多くの発明を生み出す根本があったのでしょうね。いわゆる学問上の先生はいなかったけれど、自然の事物の中に、自分の先生を見つけ出した。
つまりね、みずから開拓していこうという熱意に満ちて、心して物事を見、そこから学びとろうとするなら、道は無限に開かれている。心がまえしだいで、立派な師は無数にあるということだと思うのです。


『人生談義』  松下幸之助 著


情熱から生まれるやり遂げる力、信念から生まれる継続する力、その力+力で生まれる無限の可能性そしてヒラメキ

よく師匠に修業時代も、今も、そんなことを教えて頂いたと、エジソンのエピソードから再認識しながら…

日々の仕事や人生に勇気が湧いていキターーーーーのでした。


二葉鍼灸療院 田中良和