二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

大和魂とは「愛」「思いやり」

2009年03月16日 | 言葉のちから 心のちから
現在、WBCが行われ、日本の快進撃が続いています。オリンピックなど世界大会では必ず国家「君が代」が流れ、皆、それぞれの国の国歌と国旗に敬意を表します。

これは相手がいなければ、国というものがなければスポーツにおいてパフォーマンスを競い合うことも、世界大会もできません。ですから試合が始まる前、終わった後に礼をするのだと思います。

≪しきしまの
 大和ごころを
 人とはば
 朝日ににほふ
 山桜花

寛政二年(1790)作。本居宣長のうたである。

『花はさくら、桜は、山桜の、葉あかくてりて、ほそきが、まばらにまじりて、花しげく咲きたるは、又たぐふべき物もなく、うき世のものとも思はれず(中略)空きよくはれたる日、日影(日光)のさすかたより見たるは、にほひこよなくて、おなじ花ともおぼえぬまでなん。朝日はさらに也。〈本居宣長「玉勝間」六の巻〉』

花は桜が、美しいがその中でも山桜がいい、と、宣長はいう。さらに、その花に日光が当たる光景は、すばらしく、その日光も、朝日が最高であるとする。

戦時中、大和魂(やまとだましい)というと、軍国主義と不離のように言われた。よく、この歌が引き合いに出されて「お国のために、山桜のように、ぱっと咲いて、いさぎよく、ぱっと散れ」などと、はっぱをかけられた。特別攻撃隊は、七ツのボタンに、この「山ざくら」と、錨のマークを打ちこんだ。若い生命を花のように散らせることを、「大和魂」としたのであった。

いうまでもなく、それは、とんでもない誤解であり、悪用である。

今日の日本人の多くが、大和ごころ、大和魂というと、血なまぐさい戦闘の精神を想起している。が、わが国の大和ごころというのは、戦闘する心ではない。

「大和ごころ・大和魂」というのは、一に、人道的な心の持ち方を意図している。それは、やむない人間同志の権力主義や、欲望のからみあいの最中にあっても、けっして失ってはならない、”あたたかい愛の心”を意味していた。≫

『太陽の教育』  境野勝悟 著


言葉でも、道具でも、お金でも、世の中に存在するもの、あるいは人類が創造した様々なものは、その使い方しだいで善にも悪にもなります。

現代社会が、人々が成長するために必要な状況であるとするなら、「今」は、心やその奥の内面をしっかりと見つめる時代が到来しているのかもしれません。

愛、思いやり、そこには欠いてはならない、必要不可欠な気持ちであり、いつの時代も不変なものです。

二葉鍼灸療院 田中良和

どんな意味を与えるかで、道は開ける

2009年03月14日 | 言葉のちから 心のちから
ストレスという言葉がありますが、人間に限らず生物は常にストレスがあり、それに適応してきたからこそ生きていけるのであり、進化してきました。ストレス環境がなければ、生物は成長、進化することも難しいのだと思います。

心も同様。

様々な出来事が起こり、感じる中で、人間として成長いくのだと思います。

≪「やるしかない!」という気持ちは時間の中で劣化し、ややもすると「やらねばならぬ」に変化してしまう。

「やらねばならぬ」は「やらないことはいけません」という意味で、二重否定だ。それには屈折したエネルギーを感じる。「そうなりたい!」というストレートで屈託のないエネルギーに変えたとき、心はワクワクとしはじめる。

この二つは凄く似てるけど、全く違うエネルギーだ。
否定の否定、二重否定のエネルギーは道を狭め、閉じさせてしまうこともある。ストレートで屈託のないエネルギーこそ、道を開けるそれである。

動機がなんであれ、頑張っていく過程においてエネルギーをワクワクモードに変えていくことが大切だ。また、頑張っていく過程において「やらねばならぬ」になっていないか何度もチェックする必要がある。

「やらねばならぬ」に変質してしまっていたら「達成したら何が喜び?」と問いかけ、自分の心を蘇生させ、屈託のない素直さで、いきいきとしたエネルギーで目指すことが、道を開いていくコツである。

目の前のチャレンジ、その結果にはこだわるべきだが、こだわり過ぎると恐怖感に変わってしまう。

何でも、さじ加減が大切なのだ。その恐怖感を緩和し、最大限自分のピークパフォーマンスを引き出す方法としてリラックスが求められる。しかし、リラックスを心がけてリラックスした状態が作れるなら苦労はしない。どうすればリラックスしたいい状態で自分の実力が発揮できるのだろう。

それは、そのチャレンジに一体、どんな意味を与えているかが決め手だ。≫

『山拓巳の道は開ける」 山拓巳 著


何を夢に持ち、どんな目標を定め、そのために何をしていくのか。
自分は何になりたいのか。どんな人生をあゆみたいのか。

「こうなりたい!」だから、「私はこれをやるんだ」このように素直に情熱を傾けることができれば、負(マイナス)のストレスは感じません。

そして心をリラックスさせ、気持よく事に臨むために大切なのは、”自分の行為に意味を見出す””自分の行為に意味を与える”ことであるということなのでしょう。失敗や成功、悲しいことや嬉しいこと、すべて人に起こること、または、自分が目標として挑戦する行為には無駄はありません。

何のために、誰のために、どのよう喜びのためになど、仕事や人生に起こる出来事に意味を与えることで、心がワクワクして、生きがいのある人生を送れるのだろうと感じます。

二葉鍼灸療院 田中良和

よい結婚の本質

2009年03月08日 | 言葉のちから 心のちから
本日、友人の結婚式の二次会に呼ばれているんだけど、朝、結婚について思いを馳せてみました。

☆よい結婚の本質
J・G・ウォイテッツの『なぜいつも、あなたの恋愛はうまくいかないのか』のなかでも、わかりやすく説明されています。

≪あなたがいい恋愛や結婚をしているかどうかは、次のような状態にあるかどうかで判断できます。
 ○私は私でいられる。
 ○あなたはあなたでいられる。
 ○私たちは私たちでいられる。
 ○私は成長できる。
 ○あなたは成長できる。
 ○私たちは一緒に成長できる。
本質的には、いい恋愛や結婚とは、これにつきるのだ。≫

ここでもまた、「自己愛と他者愛とのバランス」と「関係を通じた精神的成長」という、本書でこれまでに何度も(うんざりするほど?)出てきた言葉と同じ意味のことが、強調されています。本当に、「これにつきる」ということなのでしょう。

『愛の論理』 飯田史彦 著


恋愛や結婚には百組百通りのドラマがあると思います。山あり谷ありということですかね。

しかし、本質的には、相手を思いやり、尊重し、そしてお互いがいろんな共通した事柄を共感しながら成長していくということなのかもしれません。

さてさて、私の赤い糸はどのあたりにあるんでしょうかね~。これからの人生が楽しみでもありますよ。

二葉鍼灸療院 田中良和

全て自分なり~!

2009年03月02日 | 言葉のちから 心のちから
3月が始まりました。 今月もきっと素敵な出会いがたくさんある月になります

”あれも自分。これも自分
私の内にはたくさんの『内なる自分』が住んでいる。
そして、いろいろなことを
私に聴いてもらいたがっている。
できる範囲でかまわないから、
『内なる自分』の声に耳を傾けてあげよう”

≪たしかに私たちは、自分のことを”価値ある存在”だ、”自分は値打のある、大切な存在”だと思えなくては、前向きに生きていくことはできません。
だから、こんな厳しい時代を前向きに生きていくためには、”他の誰が何と言おうと、私(俺)だけは、自分のことを認めてやろう””自分を価値ある存在、値打のある存在として大切にしてやろう”と、自分で自分に言い聞かせる必要があります。

「私は、どうでもいい人間ではありません。大切な価値ある立派な人間です」
「私は、必ず夢(目標)を実現できます。私はできるのです!」
「私は、自分のことが大好きです。私は素晴らしい!」

そんなふうに、自分に言い聞かせる必要があるのです。

『生きていくことの意味』 諸富祥彦 著


価値のない人間なんていないと思います。何かの道の選択の誤りで、人に迷惑をかけてしまう人もいます。この世で取り返しのつかないことをしてしまう人もいますが、決して、生まれながらにして悪い人なんて存在しません。

そのような意味で、この世に生を受けた人は皆『価値がある存在』です。

≪一個の細胞に含まれているDNAをつなぎ合わせて、ますうぐ一本に伸ばすと、約1.8メートルにもなる。つまり、わずか1ミリの100分の1程度の細胞の中の、そのまた一部である核の中には、実に自分の背丈ほどのDNAが詰まっているのである。

ヒト一人の体内(約60兆個の細胞)にあるDNAをすべて一直線につなぎ合わせるとすると、どのくらいの長さになるだろうか。答えは単純なかけ算で、1.8メートル×60兆、すなわち1000億キロメートル。国家予算どころではない。なんと太陽と地球を300往復することができる長さになる。私たちの身体は、まさに天文学的な数値を抱え込んでいるということがわかる。細胞というのはまことにちっぽけな生命の単位であるが、その中には宇宙的な数値をも抱え込んだ「ミクロコスモス(小宇宙)」であると言うことができる。

『タンパク質の一生』 永田和宏 著


身体の細胞自体が、宇宙への広がりを持つ神秘的な、そして、そこに存在するだけで価値あるものであることを、最先端医学、自然科学が証明しています。

”人体は小宇宙である”これは東洋医学の根本的な考えでもあります。

二葉鍼灸療院 田中良和

自分の内面に潜む可能性

2009年02月28日 | 言葉のちから 心のちから
心と体は、自分の内面にある可能性を引き出すこともできれば、撹乱することもできます。

≪外の世界は内面の反映です。外側にあるように見えるものは、内から見いだされたものなのです。内面世界には、無限の叡智とパワーが潜んでいます。そこでは、成長し花開くのを待っている、必要なもののすべてが無尽蔵に供給されるのです。内面世界にそうした可能性が潜んでいることを認識すれば、それらは外の世界に形を持って現れます。≫

『ザ・マスター・キー』 チャールズ・F・ハアネル著
 

自分の心と体の内面に広がる「場」にこそ、自分の本来の力、本来の使命、本来の姿があるということなのでしょう。そこに意識を向け、自分の人生に活かせば、人生は素敵なものとなり、可能性に満ちた一生を送れるということなのかもしれません。

思考が内面を引き出し、そこに可能性に満ちたパワーが存在する。
皆ひとりひとりが、そんな存在なのでしょうね。

二葉鍼灸療院 田中良和

笑って、笑って、そして笑おう!

2009年02月19日 | 言葉のちから 心のちから
笑いの医学的効用など、最近よく耳にしますね。

笑いは、対面している相手を幸せにし、自分も楽しい気分になり、そして、そこの空気があったかいものになってきます。

これが世の中に広がっていけば、なおけっこうですね

≪さあ、今日から笑うことにしましょうや。とにかく悲しいことや辛いことがあったら、いつにもまして笑ってごらん。悲しいこと、辛いことのほうから逃げていくから…。≫

≪笑いは無上の強壮剤であり、開運剤なんだぜ。≫

≪終始一貫、笑顔でとおすようにしてごらん。不運な人、体が弱い人は、ひとしお、笑顔に努力するんだ。笑うにつれて、人生の幸福と幸運がどんどん開けてくるから…。≫

『心が強くなる言葉』 中村天風 著 


”幸福のカギはあなたの顔にあり!”ですかね

素敵な笑顔の持ち主に幸せが訪れるのかも~しれません

二葉鍼灸療院 田中良和

西郷隆盛の思い 福沢諭吉の思い

2009年02月13日 | 言葉のちから 心のちから
政治家や官僚は何のために存在するのでしょうか。司法、行政、立法は誰のために行われるのでしょうか

世界で、日本で、社会や政治、経済、文化が混迷を来しています。悲惨と言っても過言ではないほどに乱れています。昨今では国を動かす人たちの悲しいニュースが多々報道されます。何を見て、何に信念を持ち、誰のために仕事をしているのでしょうか。

≪天は自ら万民の世話ができないから天子を立て、天子も自分だけではできないから諸侯に命じて人民を安堵させようとする。諸侯も同じく有司に命じる。そのすべては万民のためであるから、役人は万民の涙苦を自分の涙苦とし、万民の歓楽を歓楽とし、日々天意にそむかず報いるところがあるべきで、この天意に背けば天罰が降るはずだ≫

≪万民の心がすなわち天の心であり、民心を一つにして立てるのが天意に従うということだ≫

≪福沢諭吉は『学問のすすめ』で言う。

現代の学校といい工業といい陸海軍といいみな文明の形のみだ。大切なのは、それらを生み出す無形の文明の精神、すなわち人民独立の気力である。しかも日本の社会のさまを見ると、政府が天降りに与える文明の形に酔うだけで、人々は少しも自主的に受けとめていない。人民独立の気力なくば、文明の形を作るも無用の長物であり、反って民心を退縮させるだけだ(要意)≫

『西郷隆盛の思想』 上田 滋 著


何事も上に立ち、あるいは代表となり様々な組織を動かしていく時の基本的な心の在りようを西郷さんは言っているのだと思います。現代社会ではあまりにも忘れ去られていることではないでしょうか。

また、福沢さんは、これを受ける人民もしっかりと何が正しいか判断し、自分に力をつけること、自律することの大切さを言っているのだと思います。形だけで中身(精神)が伴っていなければ、自己の成長は望めないと思います。

郵政民営化、後期高齢者医療制度、司法制度改革、道路公団民営化、最近、起きていることは国民が無知であったため、その先頭で日本を代表して政治を行ってきた人たちによって引き起こされたことです。これらには全て表向きとは違った目的が秘められているようです。世界においてもしかり、9・11テロ、各地での様々な紛争、世界的恐慌、皆人為的に操作されている所が多々あるようです。

現代は大量の情報を得ることができますが、自分の信念、直感に照らし合わせ、自分の責任で、その情報から知恵を絞りだし、人生を歩むことが大切だと思います。

西郷さんも、福沢さんも、時代が流れても、変化しても、変わらない何かを掴んでいたのではないでしょうか。一人一人が他人を労わる優しさ、自分の信念から生まれる情熱、皆”つながり”の中で生きており全ての人に価値があるということなど、変化の激しい時だからこそ、変化しながら、変化してはいけない芯を持つことも必要なのかもしれません。

二葉鍼灸療院 田中良和

運命は「今」決まる! ~シルバー・バーチ~

2009年02月07日 | 言葉のちから 心のちから
本を手に取りパッと開いた。その言葉

≪右を向いたり左を向いたり後ろを向いたりしてはなりません。やってしまったことを悔やむのは間違いです。過去のページはすでに閉じられたのです。もう二度と開くことはできないのです。大切なのは今日です。明日の運命は今この時点で取る態度によって決まるのです。≫

『シルバー・バーチの霊訓(十二)』 近藤千雄 訳編


「今」を大事に、「今」を楽しく、「今」を全力に、「今」に愛を注ぎ、肉体としては限りある人生を有意義に生きていきたいですね 

さて、これからレノヴァ鹿児島というプロバスケットボールチーム(JBL2)のチームサポートへ行ってきます。
「今」を一所懸命に、選手が全力を出せるようにサポートしてきます。

二葉鍼灸療院 田中良和

見返り

2009年02月02日 | 言葉のちから 心のちから
美人ではありませんよ~

≪いままで、かなり努力したつもりでも、報われないことのほうがほとんどでした。しかし、それでいいんだと思います。それが自然の姿だと思います。

一人でも多くの人が、見返りばかり求めず、努力そのものに意義を見出せるようになれば、世の中はもっと穏やかになると思います。現代人が豊かさの中で、幸せが実感できないのは、努力以上の見返りを求めるからです。≫

『鍵山秀三郎 「一日一話」』 鍵山秀三郎 著


自分は何を目標にしているのか

自分はどうなりたいのか

自分は何のために働いているのか

自分の目標を持ち、それに向かって努力する。その努力はどんな形、どんな大きさか、いつになるのかは分かりませんが、求めずとも帰ってくるのだと思います。

患者さんの痛みが、自分の痛みであり、患者さんの幸せが、自分の幸せ

他人の笑顔が自分の笑顔であり、他人の輝きが、自分の輝き

自分を生かすことのできる仕事に感謝して、今月も楽しく、明るく、笑顔で、努力しますぞ~。

二葉鍼灸療院 田中良和

作らずに刈り取るのは鳥獣争奪の道

2009年01月29日 | 言葉のちから 心のちから
世の中の幸福、人の喜びのため努力したものは、その努力の分、必ず自分の人生に反映されます。その道理が通じなくなってきているのが現代社会です。

自分の富のため、自分の利益(お金)のため、自己満足を満たすため、何でもありという場面が多々見られ、それが戦争、紛争、であり、株式・先物・債権市場など私利私欲うごめく資本主義・民主主義の皮をかぶった、一部の人たちに富が集中する社会主義。共産主義という経済システムです。

故に、世界で、日本で、貧富の差は縮まらないどころか拡がってきています。

≪大昔は人道がまだ明らかでなく、人類は鳥獣と一緒に住んで、昼となく夜となく食物をあさり、争奪を事としていたから、一日として安心な生活ができなかった。

われわれの祖先は、これを哀れと考えて、始めて推譲の道を立て、農業を教えられた。それで五穀が実って衣食が豊かになり、人道が明らかに定まって部族が安らかに治まった。

ところが世も下った今日では、民情がどうかすると大昔に戻りやすくなり、秋の末、ひとつの稲田が実るのを見ると、むやみに欲しくなり、夏の始め、ひとつの麦畑が熟するのを見れば、またとりたくなる。

まったくの話、自分で作らずにどうして刈り取れるものか。もし取ったとしたら、それこそ鳥獣争奪の道だ。
秋になって稲を刈ることができなかったら、自分で作らなかったのが過ちであると知って麦を蒔くがよいし、初夏になって麦を取り入れることができなかったら稲を植えるがよい。そうすれば稲でも麦でも、半年はあとには、きっと収穫ができるのだ。

衰えた国の君主も人民も、よくよくこの道理を察しなければならない。

『世界に誇る日本の道徳力 心に響く二宮尊徳90の名言』
 石川佐智子 著


富と裕福が欲しいなら、まず土地を耕し、種を蒔き、草を取る積み重ねが大切であり、勤労努力して良い因果関係をつくるのです。

働いた原因で、その後の実り豊かな暮らしが結果として出るのです。という教えではないでしょうか。

この自然の法則は自然の原理原則です。どんなに小さな努力、目立たない努力でもコツコツと積み重ねること、継続して信念を持って行うこと、人を思い、愛し、行い続けることが、ひいては自分のためになるということでしょう。
お金中心、自分中心、物質中心、の世の中は必ず終焉を迎えると思います。まず自分の心から、行動から改める必要がありますね

最後の星稜高校野球部 山下総監督の教えの言葉。

 心が変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、人格が変わる
人格が変われば、運命が変わる


二葉鍼灸療院 田中良和

身近な人・物に感謝した時、道は開ける

2009年01月19日 | 言葉のちから 心のちから
人生楽ありゃ~
苦~もあるさ~

どこかで聴いたことがあるフレーズですね

≪自分のベストを続けていくと、どこかでガツンと頭をうつ。そんなとき、もう限界なのだと思う。

しかし、諦めきれない。
前へ進みたい。
考える、試してみる、もがいてみる…。
そうやって目指しているときのみ人格に影響を与えてくれる人や出来事と出会う。出会ったことで何かが自分に足される。
自分に加わった何かは自分の中で化学変化を起こし、新しい自分に組み替えてくれる。

出会いは魔法だ
凄い奴と出会え
刺激を与えるその人を研究し、真似し、同化し、消化し、必要がないものだけ、自分の外に取り出せばいい。≫

『山拓巳の道は開ける』 山拓巳 著


私自身を考えると、小学校の学童少年野球の野村 亮監督、星稜高校野球部の山下智茂監督、高校の時に、今の仕事のきっかけを与えて頂き師匠を紹介して頂いた、かわもと接骨・鍼灸院 川本力雄先生、鍼灸の、そして人生の師匠であります東洋医学研究所所長 黒野保三先生、節目節目で素晴らしい出会いがありました。

皆さんに共通するのは、自分の道に対する熱い情熱、そして迅速な行動、皆を惹きつける人間性、言い出したらきりがありませんが、素晴らしい方々との出会いにより、正しい人生を歩んでいるのだと今更ながら感謝です

努力し、悩み、もがき、真剣に迷っている時に、メッセージを放つ人や物に出会えるということでしょう。

出会いは絶妙なタイミングでやってくる。そのチャンスを捉えることができるか、できないかは自分にかかっています。

二葉鍼灸療院 田中良和

「今」に心を込める

2009年01月11日 | 言葉のちから 心のちから
社会が混沌としている「今」だからこそ、自分の足元をしっかりと見つめることが大切です。自分の周囲の環境、おかれている立場、人生の状況など、時々に信念という目的をもって、「今」を一所懸命”生きる”ことが人生を創っていきます。

≪帝国ホテルの料理長を二十六年間勤め、重役になった村上信夫さんという方がいます。「ムッシュ村上」の愛称で呼ばれ、NHKの「今日の料理」にも出演してお茶の間に親しまれてきました。この村上さんは、厨房から初めて重役になった唯一の人です。十代のときに帝国ホテルの厨房に入ってからは、三年間、仕事が鍋磨きのみだったといいます。まだ徒弟奉公が残っているころの話ですから、一切、料理に触れることが許されませんでした。

三年間、鍋磨きだけで、まったく料理を教えてもらえず、何人もの少年が入っても、一年以内にほとんどの人が辞めてしまったといいます。その中で村上さんだけは辞めなかった。「日本一の鍋磨きになろう」と決意をして、三年間鍋をピカピカに磨くことにしました。

自分のところに回ってくる鍋には、料理が残っていても、ソースの味がわからないように、洗剤などが入れられた状態で来るのだそうです。それを全部、綺麗に磨いた。当時は銅の鍋で、銅というのは磨けば磨くほど綺麗になるらしい。それを自分の顔が映るくらいピカピカに磨いたといいます。

そうして三、四か月経ったところで
 「今日の鍋磨きは誰だ」
と先輩が聞くようになったそうです。
 「今日の鍋磨きはムラ(村上さんの愛称)です」

という答えが返ってくると、その時だけは洗剤が入っていない状態で、鍋が回ってくるようになった。村上さんのときだけ、先輩がソースを残したまま鍋を返すようになったので、村上さんはそれを舐めて隠し味を勉強するようになり、立派な料理人になったという話です。

どんな人でも最初は、お試し期間があります。十代の少年に、初めからチーフを任せるという世界はありません。でも、この人に鍋磨きという仕事を与えたときに、鍋磨きをとことん徹底的にすることで、見込まれる。今おかれている状況に文句を言わずに黙々とやっている人に、神は微笑むようです。
『「人生を楽しむ」ための30法則』 小林正観 著 より


人生、忍耐を経験する時期が必要なのだと感じました。私の修行時代も、「何でこんなことやらないかん?」と思ったことが多々ありましたが、皆、自分のためだったんだと後でわかるんですよね

そして「今」自分が行うこと(行為であったり、人間関係であったり)に、できる限りの”心を込めて行う”ことが自分の成長に繋がっていくのでしょう。

今日も頑張ろっと

二葉鍼灸療院 田中良和

恋とは!? 愛とは!?

2008年12月15日 | 言葉のちから 心のちから
≪恋とは、相手が持つ所有物(容姿・性格・才能・富・仕事・家柄などの属性)に価値を感じて一時的に高揚する、「相手に受容されることや相手を支配することによって、相手と一体化したい」と願う感情である。
愛とは、自分という存在の価値認識と成長意欲から生まれるものであり、相手がただ存在してくれていることへの感謝ゆえに決断し、永続的な意志と洗練された能力によって実行しようと努力する、相手の幸福を願い成長を支援する行為である。≫

『愛の論理』 飯田史彦 著


「愛」には様々な形があります。男女関係で考えるなら、「愛」とは、自分自身がこの世で、尊い価値ある存在であるという、いつの世でも変わりない真実をまず自覚することが大切なのでしょう。

そして、自分にも存在価値があり、大切な存在であるなら、相手も自分同様の立場にあります。お互いが存在価値がある尊い命ということですね。

「今」二人が出会えたということは、何かの必然であって、お互いが刺激しあいながら成長すべき時期が来ているのかもしれません。そのような場合、相手に何かを要求したり、抑えつけてしまうのは「愛」ではありません。相手がただ存在してくれることへの感謝、相手の幸福を願う思いやりが大切です。

そして「愛」するということは、「この人を愛する」という決断(意識的にあるいは潜在的に)、そして、人生さまざまな波がありますが、それにも揺るがない持続できる力と努力が必要であるということでしょうか。

恋とはちがって、愛は相手の存在そのものに意味があるのですから、相手がお金を失っても、健康を損ねても、究極的には命を失っても、その「愛」に変化はないということなのでしょう。

年末に、星稜高校野球部の後輩が二人結婚するので、祝電を考えるのに飯田先生の本を開いてみて、いい言葉だな~と思ってすこし考えてみました。

二葉鍼灸療院 田中良和

三冊の本より ~12月1日~ の言葉

2008年12月02日 | 言葉のちから 心のちから
◎気高く生きよう
よく考えなさい。人生は、たとえ何百年生きていても、仮に百年生きたとしても、この大宇宙の生命に比べれば、夢一瞬の短い世界。この短い人生に生きている以上は、一瞬、一刻を価値高く生きようじゃないか。

『中村天風 一日一話』 中村天風財団 編

◎私が歩いてきた人生
私が歩いてきた人生をひと言で言うならば、「誰にでもできる簡単なことを、誰にもできないくらい続けてきた」ということに尽きると思います。

何一つ難しいことはやっておりません。人ができないことをやったこともありません。いや、やってこなかったというよりも、やる能力が私にはなかったというのが、正直な気持ちです。

『鍵山秀三郎 一日一話』 鍵山秀三郎 著

◎智は禍(わざわい)を免(まぬが)るるを貴(たっと)ぶ 
                          『三国志』
智謀、智略など、「智」という言葉から連想されるのは、すばらしい頭の冴えであり、切れる人物のイメージである。たしかに、そうには違いないのだが、しかし、ほんものの「智」とは、派手に目立つようなものではないようだ。たとえば、倒産しそうな会社を建て直したというような誰にでもそれとわかる「智」は、智は智でも、まだレベルの低い「智」であるらしい。

それを語っているのが、表題の言葉である。「智」の重要な働きは、禍を免れることにあるというのだ。つまり、倒産会社を建て直すよりも、会社を倒産の危機に至らしめないように経営する、これこそが、ほんものの「智」なのだという。

だから、こういう「智」は大向こうをうならせるようなものではなく、ありようとしてはきわめて地味なのだ。組織のリーダーに必要とされるのは、じつはこういう「智」なのである。

『中国古典 一日一言』 守屋 洋 著


長いようで短い人生。地球の、生物の歴史から比べれば、人の人生は一瞬。だから、今の環境で自分ができることを、とくに派手ではなくてもいい、自分が楽しい、これだと思えることを継続して行うことが大切なのだと思いました。 

自分にできることを、人ができないくらい継続していくことが努力です。努力して歩む人生の旅、そこには様々な環境の変化やハプニングがつきものですが、それに対しどう対処し、どうの乗り切って、さらに継続していくことができるか、この状況判断の材料が「智」であり、それを積み重ねていくことが”道の探究”なのかもしれません。

さて、今年ものこり1か月、一瞬を大切に、楽しく、そして、自分の道を探し、創っていきましょう

二葉鍼灸療院 田中良和

尊敬する人物 王 貞治さん

2008年11月26日 | 言葉のちから 心のちから
私は小学校4年生から高校3年生まで、下手くそでしたが、プロ野球選手を夢見て野球を続けてきました。また、今の仕事についたのも野球をやっていたからだと思っています。

その野球を始めるきっかけになったのが、第1回ワールド・ベースボール・クラッシック(WBC)で世界一になった王 貞治さんでした。王さんの姿をテレビを観て、本を読んで、そして野球が大好きになりました。そして、今も仕事として、野球に関わりをもってやらせて頂いております。感謝

王さんが、WBCの監督で世界一になった後に書かれた本より。

≪「絆」を作りたいと考えたとき、それは決して感情的に呼びかけてできるものではないと思う。日本の国旗を背負った一体感、というナショナリズムから簡単にできるものでもないと思う。まして、個人個人の都合の優先が存在している中ではありえない。

それは、今ここにいる仲間たちに「声」をかけるところから始まり、悩みを相談し、自分の役割を認識し、その役割に心から納得し、個人個人の成果から仲間たち全体の成果へとイメージを結び付けていく作業だと思う。この作業をあきらめずにしていくと、あるタイミングで「絆」の「輪」ができ、どうやらそこから先は人知を超えた現象になっていくように感じる。つまり、「絆」の「輪」のなかに「絆」の「場」が自然にできあがり、その「場」に居合わせる仲間たちは、その「場」のものすごいパワーを受けることができる。川崎の「神の手」といわれたプレイもそのパワーの賜物だったはずだ。

この「神の手」という言葉は非常に象徴的で、たとえば家族の「絆」がしっかりとできていれば、お母さんがなにげなく学校へ送り出す子供の肩に触れるその手は「神の手」であり、その家族全体の成果、つまり幸福につながっていく。そして、その家族は家族の「絆」の「場」となっていくと思う。ここでも、その土台作りには、相談、役割の認識、役割の納得、成果のイメージという手順が必要だろう。子供の一人ひとりにも、家族としての役割があり、その相談からすべては始まるのではないか。≫

『「絆」 王貞治の勝因とルーツ』 田中千鶴子 著


一つの道を貫き通し、人並み外れた努力で道を切り開いていく。打者としても868本という前人未到のホームランを放ち、監督になっても世界の頂点に立つという王貞治さん。胃ガンに罹られて時はたいへん心配しましたが、野球をやって死ねたら本望と思っておられるんではないかと思います。

王貞治という人物の歴史や人間像のすべては分かりませんが、生き方に関してはすべてが手本になると私は思っています。尊敬できる方です。人を惹きつける人は何かが違います。私も何かを求めて鍼灸の道を歩んでいきたいと思いました。いや~歩んでいきますよ

二葉鍼灸療院 田中良和