令和6年も半分が終わり、年末へ向けて後半がスタートしました
皆様、お身体や心の状態はいかがでしょうか。
さて、当院は平成10年(1998年)6月21日に開院させていただき、本年で26歳の誕生日を迎えることができました
これも当院にご来院された患者の皆様、師匠の黒野保三先生、また、私の周囲でこれまでも、そして現在も支えていただいている皆様のお陰さまと心より感謝申し上げます
今年は元日に能登半島地震が発生し、現在も復旧・復興に皆様全力を傾けて尽力いただいています。
上記をご覧いただければ有り難いですが、私が所属している石川県鍼灸師会や石川県鍼灸マッサージ師会でも発災後すぐに災害支援鍼灸マッサージの活動を実施させていただき、令和6年7月2日現在も継続中でございます。
私は事務局を任させていただくことになり、師会会員、災害対策会議、県医療対策課、DSAM(全日本鍼灸マッサージ師会・日本鍼灸師会で組織される災害鍼灸マッサージ師の育成に係わる団体・委員会)との連絡役にドタバタと動き回り、気がつけば半年が過ぎていたという状況です。
そんなドタバタしている中ではありますが、6月21日の夏至の日に、開院して26周年を迎えることができて感謝の念でいっぱいです。
このような日が迎えられること自体あたりまえではないのです。
今回の震災を被害は少ない金沢市ではありましたが経験し、災害の空気を体感し、本当に世の中にあたりまえのことなどは一つもないことを実感しました。より感謝の気持ちが強い令和6年の26周年記念の日となりました
私の師匠は91歳にてご他界されましたが、今なお私の中には大きな目標として君臨されています
ちょっと暗いですが師匠の黒野保三先生です
師匠は鍼灸の普及と鍼灸師の地位向上、いわゆる「鍼灸診療を医療に・鍼灸医師としての位置付け」という壮大なテーマを柱として、中国医師団の招聘から(社)全日本鍼灸学会(現(公社)全日本鍼灸学会)の設立、世界鍼灸学会連合会設立や学術大会の在り方から、専門鍼灸師制度、医療・鍼灸医師としての学校(教育機関)の在り方、そのために東奔西走された先生でした。
学術団体を中心に活動されましたが、臨床も多忙を極め、その中でも名古屋市立大学との鍼の共同研究(基礎研究)、臨床研究も同時され、毎月の学術研修会や研究会、そこに弟子として集った面々を住込み・通いをさせながら育てるという素晴らしい人格の先生でした。
その反面・・・反面ではないですが、趣味のゴルフの練習も診療の合間にでかけ、たまにゴルフ場へ行きプレーされてました。ゴルフもレッスンプロの指導を受けての徹底ぶりで美しいフォームでした。
また囲碁もアマチュアの5段という強さで、日本棋院中部支部のプロ棋士の皆様の指導も受け、東洋医学研究所で開催される囲碁大会にはプロの先生も時々顔を見せたこともありました。
そう東洋医学研究所では毎月1回、囲碁大会もあったのです。
私も下手っぴですが囲碁を打てます
4月の年度初め(春)、9月の先生の誕生月(秋)、正月明けの初めの日曜日(冬)には祝賀会があり楽しい時間を過ごしました。
5年毎には弟子や先生の関係者の皆様で旅行に出かけ親睦を深めたことも思い出に残っています。
一つ一つ話していくと、本当に多くのことを先生の人生の中から学ばせいただきました。
ここまできっちり情熱を傾けて全てやり抜く師匠のもとで勉強できて良かったと・・・ナマケモノの私は、自分を正すという意味で良かったと思うのです。
私も治療院を経営しながら、私の場合は学会というより業界団体の活動が主になります。案外とよく活動して頑張っているほうだと思うのですが、師匠の姿をみていますので、まだまだ中途半歩だな~とよく考えます。
大きな目標があることは素晴らしいことだと感じます。
そして、師匠の元を離れ開業して26年が過ぎ、年々、師匠のすごさを実感するわけです。
時々、師匠の書いた文章などを読み返すのですが、今現在でも役に立つ考え方や行動、人格・人間形成についての記載が多々あり、一つのことに対する思いの深さ、配慮や見ているところの次元が違うな~と、これも今更ながら思うのです。
世の中をみていると何かが大きく変化してきています。
その変化はさらに今後大きくなりそうです。
そのような大きく変化する状況や環境を観察しつつ、それを受け入れつつも、いつの時代も変わらない大切なものを軸に置きながら、27年目をスタートしています
これからも二葉鍼灸療院(金沢)をよろしくお願いいたします
最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。