二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

大和魂とは「愛」「思いやり」

2009年03月16日 | 言葉のちから 心のちから
現在、WBCが行われ、日本の快進撃が続いています。オリンピックなど世界大会では必ず国家「君が代」が流れ、皆、それぞれの国の国歌と国旗に敬意を表します。

これは相手がいなければ、国というものがなければスポーツにおいてパフォーマンスを競い合うことも、世界大会もできません。ですから試合が始まる前、終わった後に礼をするのだと思います。

≪しきしまの
 大和ごころを
 人とはば
 朝日ににほふ
 山桜花

寛政二年(1790)作。本居宣長のうたである。

『花はさくら、桜は、山桜の、葉あかくてりて、ほそきが、まばらにまじりて、花しげく咲きたるは、又たぐふべき物もなく、うき世のものとも思はれず(中略)空きよくはれたる日、日影(日光)のさすかたより見たるは、にほひこよなくて、おなじ花ともおぼえぬまでなん。朝日はさらに也。〈本居宣長「玉勝間」六の巻〉』

花は桜が、美しいがその中でも山桜がいい、と、宣長はいう。さらに、その花に日光が当たる光景は、すばらしく、その日光も、朝日が最高であるとする。

戦時中、大和魂(やまとだましい)というと、軍国主義と不離のように言われた。よく、この歌が引き合いに出されて「お国のために、山桜のように、ぱっと咲いて、いさぎよく、ぱっと散れ」などと、はっぱをかけられた。特別攻撃隊は、七ツのボタンに、この「山ざくら」と、錨のマークを打ちこんだ。若い生命を花のように散らせることを、「大和魂」としたのであった。

いうまでもなく、それは、とんでもない誤解であり、悪用である。

今日の日本人の多くが、大和ごころ、大和魂というと、血なまぐさい戦闘の精神を想起している。が、わが国の大和ごころというのは、戦闘する心ではない。

「大和ごころ・大和魂」というのは、一に、人道的な心の持ち方を意図している。それは、やむない人間同志の権力主義や、欲望のからみあいの最中にあっても、けっして失ってはならない、”あたたかい愛の心”を意味していた。≫

『太陽の教育』  境野勝悟 著


言葉でも、道具でも、お金でも、世の中に存在するもの、あるいは人類が創造した様々なものは、その使い方しだいで善にも悪にもなります。

現代社会が、人々が成長するために必要な状況であるとするなら、「今」は、心やその奥の内面をしっかりと見つめる時代が到来しているのかもしれません。

愛、思いやり、そこには欠いてはならない、必要不可欠な気持ちであり、いつの時代も不変なものです。

二葉鍼灸療院 田中良和

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