二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

順境・逆境は見方次第!

2010年11月17日 | 言葉のちから 心のちから
一日の中でも、いろんなことが起きます。一年となるとさらに多くの出来事が起きますね。

自分にとって良い出来事もあれば、その逆の出来事も起きます。
人はその出来事に一喜一憂し、心を見失ってしまうこともあります。

私もそんな、様々な出来事に右往左往してしまう方の人間ですから、常に反省し、日々新たに、自分をカメさんのように進歩、成長させて行ければいいな~なんて思っています。

≪余意(おも)う、「天下の事、固(もと)より順逆無く、我が心に順逆有り」と。
我が順とする所を以て之を視れば、逆も皆順なり。
我が逆とする所を以て之を視れば、順も皆逆なり。
果たして一定有らんや。達者に在りては、一理を以て権衡と為し、
以て其の軽重を定むるのみ。≫

【私はこう思う。「世の中に起こる物事には、もとより順逆はない。自分の心がどう思うかによって、物事の順逆が決まるのだ」と。
自分が順と思う立場にたって物事を見れば、人が逆境だと言うものでも、すべて順境になる。
自分が逆という立場にたって物事を見れば、人が順境だと言うものでも、すべて逆境になる。
果たして物事の順逆は固定できるものだろうか。事理に通じている人にあっては、一貫した道理を物差しにして、物事の軽重を定めるのみである。】

『佐藤一斎 一日一話 「言志四録」を読む』  渡邉五郎三郎 監修


世の中、理不尽なことも多々起こります。それは、自分の生活はもちろん、日々のニュースなどの報道を見ているとよく理解できると思います。

しかし、また、自分の周囲に起こることは何か意味があって起きるとも言われています。大災害や殺人もそうなのか…と問われると、私にはなかなか模範解答はできませんが、何らかの意味があるのだと感じます。

辛い体験をされた方には、その人しか分からない心情り、その人の心の感覚は、その人自身にしか本当のところは分かりません。
でも、そこに何か学びもあるのではないかと思うのです。厳しいことですが…。

人生で起こる全てのことに対して、順境と捉えるか 逆境と捉えるか はその人の心次第なのでしょうね。

心次第… これが、また難問なんですがね

まあ、どうせ人生、歩むなら、いろいろ楽しく考えていきしょ~ね~ 

二葉鍼灸療院 田中良和

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4 コメント

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近況 (先G)
2010-11-18 20:06:04
今月10日、息子の三ヵ月検診を終え帰宅すると、救急車が止まっていて騒然、父が心停止しておりました。病院到着後心拍再開したのですが、30分以上経っており脳にダメージ受け、現在生死をさまよっています。もともと心疾患があり危険性はあったのですが、今回あまりに突然で、恐怖・不安・怒り・悲しみ、と感情が交錯しパニックになりました。ここで書き切れないほどの思いや父の温もりが、事の受け入れを拒むのです。しかし、自分がしっかりしないといけないと思いますし、親族はじめ皆から気遣いいただき、今は感謝の心とともに一日一日乗り越えております。明日も頑張ります。
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負の感情について (二葉院長)
2010-11-19 09:10:05
先G さん

いつもコメントありがとうございます。

お父様のこと、本当に心が乱れ、パニックになりたいへんだったと思います。お父様、あるいは家族との関係の中で愛情が強ければ強いほど、相手に不慮な事故や、突発的な事件が起きると、心の乱れは激しくなります。

まず重要なのは、心がパニックになりながら、周囲への感謝の気持ちがあり、それを受け取れる余裕があるということです。この気持ちがあれば必ず乗り切ることができます。心を無理に鼓舞して、あるいは気張りすぎてしっかりしなくてもいいのだと思います。感謝の気持ちとそして、お父様への愛情があれば大丈夫だと感じます。

恐怖、不安、怒り、悲しみ、負の感情だと言われますが、それも人間に備わった感情ですから、今回のようなことが起こると感情として湧きでてくるものです。
私も5年前に父を胃癌で亡くしていますが、「今」になって父は病気を患いながら、自分に何か学ばせるため、闘病生活を送っていたのかもしれないと思うのです。理不尽なことは起こりますが、人生意味のないことはないと思っています。

先Gさんも、これからが心配だろうと思いますが、自分の出来ること、その生活の中で考えるべきこと(その生活が何を意味しているのか、何を教えようとしているのか)、その生活でしか得られない気づきもあると思います。今はそんな余裕はないかもしれませんが、そのように生活していると必ずいい方向へ向かうと思います。

お父様が気持ちよく過ごすことができますように、先Gさんの思いが届きますように、私も祈っています!!

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看とれなかった・・・ (みっちいまま)
2010-11-21 18:25:21
先生もお父様を亡くされたのですね。

でも、きっと先生の事十分に看病しながらお父様も安心して召されたのだと思います。

私は、わけあって父の最期を看取ってません。
脳卒中でした。姉は血縁と言うだけで伯父と二人で生命維持装置を外すの立ちあったそうです。
私は 転勤先で息子を身ごもっており流産の危機からやっと解放された5カ月だったので 知らせもそのあとで、お葬式にさえ出席させて貰えなかったのです。

父は私が結婚したこと知ってたのか、子供が出来た事は多分知らなかっただろう。

不思議な夢をみて父に抱きしめて貰えました。

3500gという大きな息子でしたが、たった一人でも軽いお産で済んだのも 多分父がついていてくれたのだと思っています。

明日は父の命日です。61歳で亡くなった父。生きていれば87歳です。男の子が欲しかった父。もし生きていたら、息子の誕生を知らせることが出来たら、喜んだことでしょう。初孫ですから。タクシーの運転手だった父。きっと助手席に孫を乗せてドライブしたかっただろうな。

今年はお墓参りいけなかった・・・。淋しがってるだろうなぁ。もう 誰も、参ることのないお墓。姉はもう何年も行ってないという。

仕方ない・・・。色々ありすぎた人生だから。だから私だけはなるべく行ってあげたいのです。過去の事、死んでまで責められたら可哀想だから。

明日は、写真にお線香と大好きだったお酒を供えて手を合わします。
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手を合わす (二葉院長)
2010-11-22 12:41:18
みっちいまま さん

コメントありがとうございます。

みっちいまま さん お父様に手を合わせ、祈る。これだけでも全然ちがうと思います。確かに肉体としてあっての人生であり、人間関係かもしれませんが、人間の本体は魂です。信じる信じないは別にして、人は大きな力に動かされています。

意識して呼吸をしてますか? 心臓の拍動は自分で動かしているのですか? 細胞の新陳代謝(古いものが除去され、新しいものが生まれる)はどうですか? その働きは自分で作ったものですか? そんなことを考えた時、人は大きな力によって動かされていると思いませんか。

そんな意味で、みっちいまま さん のお父様も身体はなくなったにしても、すべて分かっていて、応援していると思いますよ。

私ごとですが、父は63歳で胃癌の再発にてあの世に旅立っていきました。確かに、父がこの病気になったことで、癌というものを勉強させて頂きました。

抗がん剤で体が辛い時、癌性疼痛で「鍼で、何とかしてくれ」と冷汗を流しながら訴えられた時、ほんとうに辛かったです。今でも記憶に残っています。ですから、この分野、とくに癌の発生を予防する、再発を予防することに関して、鍼灸治療で何らかの貢献をすべく、皆さまが、少しでも苦痛なく生活して頂けるように地道に勉強しています。

そんな、鍼灸治療の一つの目的として明らかなきっかけを頂いた父には感謝もしてるんでですね。

また、この仕事をしていたお蔭で、病院へ入院している約4ヶ月間、ほぼ一日おきに鍼治療をしに病院へ通わせて頂きました。効果はあまりありませんでしたが、いろんなことが勉強になりました。そして、自分の中では、一所懸命に全力投球したことに関して悔いはありません。

やはり、自分ができることでいいから、一所懸命に取り組むことは大切ですね。自分のできる範囲ですよ。
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