人は安定、安全、安心、ゆっくり落ち着けるところが欲しいものです。また、居心地のよいところに、いつまでも居たいものです。
≪固定した見識を持つというのはよいことではない。一応の努力をして、一見識ができると、もうそれで満足してしまうのが、そもそもの誤りである。努力して、まずその出発点だけはしっかりと身につけ、あとはそれが実を結ぶようにと一生かかって修行することである。
自分が見出した道によって、これで十分と考えることは思いもよらぬことであり、あれでも不十分、これでもまだ不満足と、思い思って、一生の間、どうしたら真実の道に達することができようかと修行しなければならない。道というものは、ほかならぬ、この修行のなかにこそ見出されるものなのである。≫
『葉隠』 山本常朝・田代陣基 原著 神子 侃 編集
『葉隠』は約270年前に書かれた”武士の心構えに関する教え”であり、隠遁した佐賀鍋島藩士・山本常朝(つねとも)の七年間にわたる談話を同藩の後輩、田代陣基(つらもと)が筆録し、これを編集したものです。
「鍋島論語」とも言われ、武士だけでなく、現代社会においても学ぶべきことが多く、今なお愛読されている道徳、修身の書です。
「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」の一節だけがあまりにも有名であり、誤解されがちですが、非常に人生に役立つ書物です。
『葉隠』の文章を読むと、なぜか師匠に諭されているように感じます。それもそのはず、東洋医学研究所の研修期間にはこの『葉隠』を熟読します。あの頃は、表面的、とりあえず読んでおけば…なんて思っていたところがありましたが、今、読み返してみると人生の基本、原則、理想など「なるほどな~」「そうか!」など啓発されるところが大です。
やはり師匠は先をよんで自分たちに教えを授けてくれているのだな~と、しみじみと師匠の大切さを実感します。こう感じるのは、私がやっと凡人くらいになったということかもしれませんね。
孔子もまた、二千年も前から「学んでいよいよ苦しみ、極めていよいよ迷う」と言っています。分かれば分かるほど人生の課題や宿題が見えてくるということなのでしょう。
「今」に満足せず、しかし、人生の課題を楽しみながら越えていきたいです
二葉鍼灸療院 田中良和
≪固定した見識を持つというのはよいことではない。一応の努力をして、一見識ができると、もうそれで満足してしまうのが、そもそもの誤りである。努力して、まずその出発点だけはしっかりと身につけ、あとはそれが実を結ぶようにと一生かかって修行することである。
自分が見出した道によって、これで十分と考えることは思いもよらぬことであり、あれでも不十分、これでもまだ不満足と、思い思って、一生の間、どうしたら真実の道に達することができようかと修行しなければならない。道というものは、ほかならぬ、この修行のなかにこそ見出されるものなのである。≫
『葉隠』 山本常朝・田代陣基 原著 神子 侃 編集
『葉隠』は約270年前に書かれた”武士の心構えに関する教え”であり、隠遁した佐賀鍋島藩士・山本常朝(つねとも)の七年間にわたる談話を同藩の後輩、田代陣基(つらもと)が筆録し、これを編集したものです。
「鍋島論語」とも言われ、武士だけでなく、現代社会においても学ぶべきことが多く、今なお愛読されている道徳、修身の書です。
「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」の一節だけがあまりにも有名であり、誤解されがちですが、非常に人生に役立つ書物です。
『葉隠』の文章を読むと、なぜか師匠に諭されているように感じます。それもそのはず、東洋医学研究所の研修期間にはこの『葉隠』を熟読します。あの頃は、表面的、とりあえず読んでおけば…なんて思っていたところがありましたが、今、読み返してみると人生の基本、原則、理想など「なるほどな~」「そうか!」など啓発されるところが大です。
やはり師匠は先をよんで自分たちに教えを授けてくれているのだな~と、しみじみと師匠の大切さを実感します。こう感じるのは、私がやっと凡人くらいになったということかもしれませんね。
孔子もまた、二千年も前から「学んでいよいよ苦しみ、極めていよいよ迷う」と言っています。分かれば分かるほど人生の課題や宿題が見えてくるということなのでしょう。
「今」に満足せず、しかし、人生の課題を楽しみながら越えていきたいです
二葉鍼灸療院 田中良和
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