四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
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短歌の癒し

2021年08月04日 12時58分54秒 | 日々の歩み
 この稿は、かつて私の所属していた短歌会の歌誌に、投稿し掲載されたものですが、
短歌についての私の想いを、拙いながらも表現していると思いますので、ここに若干の手直しを行い
掲載させて頂きます。

   「白い夾竹桃」

☆☆☆☆☆☆☆☆

 独りのつぶやきが、叫びが、そして哀しみが歌となり、その時代の思いに重なっていくことがあります。
短歌は時代の荒波に晒されながら、幾世代にもわたって歌い継がれ人々の心を、ある時は激しく、
ある時はたおやかに揺さぶってきました。

 「一行の詩」とも言われる短歌が、時代の過酷な波に洗われながら、なお鮮烈な生命を持ち続け得たのは
なぜでしょうか。それはどんな時代にあっても、人間の持つ根源的な哀しみを温かく見守り、
それへの共感を紡いできたからであり、諸々の哀しみを越え、なお前進しようとする人々の思いと志とを、
三十一韻律の器に満たしてきたからではないでしょうか。

 決して高らかにではなく、密やかに、つぶやくように、また祈るように、それぞれの身の丈に合わせて
詠われてきた短歌。
 それは千年余にわたって、連綿と人々の心に刻まれてきた魂の碑(いしぶみ)とも言えます。
人々の哀しみに寄り添い、密やかな勇気と想いとをその行間に滲ませた短歌は、表現の巧拙を越えて
人々の琴線に触れ、人間への賛歌を奏でてきました。
 これらは、かつて大江健三郎氏がノーベル平和賞受賞記念講演の際に述べられた「芸術の治癒力」
「時代に傷ついた魂の癒し」を、大げさでなく短歌も少なからず担えることを私たちに語りかけてきます。

 なお、大江氏が「閉じた言葉」として批判的に例示された「月の歌人」明恵上人の和歌には、
歌を学ぶ一人として弁護の余地を残したい思います。生命への畏れを、澄明かつ静謐な詩的空間の内に
表出した上人の和歌。
 生きとし生ける者に注ぐ、慈愛に満ちたまなざしと共に「歌をもって天地を動かす」気迫を内に秘めた歌。
それでいて涼やかな調べと共に、深い余韻を感じさせる歌の持つ奥深さと凄さを、上人の和歌から
学んだ者の一人として…。

 短歌は人々がどんな悲惨な状況に置かれようとも、否、状況が悲惨ならなおさらに慟哭と隣り合わせで、
生命への愛おしさを擁くように紡ぎだされてきました。歌群を貫く志と、生命への熱い想いを、
かの大戦下の短歌に、また1995年1月の阪神淡路大震災下の短歌に、さらに2011年3月
東日本大震災後に、各メディアに投稿されたおびただしい歌群に見ることができました。

 これらの短歌は何れも「傷ついた魂の癒し」を深く、重々しく、心に沁み入るように詠っています。
愛するものを失った男達が、また女たちが慟哭の夜を重ねてなお、湧き上がってくる思を鎮めるために、
自らの心に重ねるようにして詠んだ短歌。それは、正に魂鎮めであり「傷ついた魂の癒し」でもありました。

 「詠まずにはいられない」状況が紡がせた歌群は、その臨場感と迫力とにより「一瞬の今」を写し、
歴史の赤裸々な写生者としても立ちあがってきます。それは抒情性の文学と言われる短歌の持つ、
もう一つの側面を形作っています。
 千年を越える伝統の中で磨かれ、試され、継承されてきた短歌。この短詩形文学は、圧倒的多数者である
市井の歌人の手に委ねられたことにより、歴史の証言者、記録者としての地歩を築き、さらには民族の
詩精神とともに、その美意識をも育む礎を築いてきました。

 一面焦土と化した神戸の街。敬愛し親友とも呼べる友をこの震災で失いました。

  ☆生き残るものの奢りか寂しさは 叫び呑みこみ 君の忌に立つ 

 1995年1月17日の発生から、二十六年。今はコロナ禍で訪ねることが叶いませんが、
復興著しい神戸の街の片隅には、炎暑をものともせずに、底紅をにじませた白い「宗旦むくげ」が、
楚々として咲いていることと思います。
 一日花の儚さをまといながらも健気に咲くその花の矜持に、神戸の街の復興を担った人々の思いが、
さらに東北の地で、オリンピックの歓喜を聴きながらも、未だなお復興を担う多くの人々の胸奥に
秘められた熱い思いが、重なって見えます。       了

   「宗旦むくげの花」
コメント (17)
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