四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
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「天翔ける師へ」

2022年02月19日 13時56分01秒 | 短歌

 (注) 
  この稿はかつて私の所属する短歌会の歌誌に寄稿したものです。
  最近ブログ友の皆さんの挽歌や、追慕の短歌に触発され、かなり前の
  記事で恐縮ですが、私の「振り返り」も籠めて掲載したいと思います。



     「陽だまりに咲き初める 河津桜」

 平成九年の師走は、私の生涯にとって決して忘れることの出来ない悲しい月となりました。慈父とも、生涯の師とも仰ぐ野村泰三先生の突然の訃報に触れ、打ちのめされた思いをかかえ、未だ曳きずりながら今日に至っております。

 先生との邂逅は、伯母の紹介で「短歌周辺」に同人として参加し、鎌倉歌会に出席させて
戴いた昭和57年3月の頃のことだったと記憶しております。その会で先生の説かれた「社会とともに、社会に即した歌を」と言う言葉が、今でも鮮明に蘇って参ります。
 鎌倉建長寺、円覚寺、瑞泉寺、鶴が岡八幡宮等への吟行、歌会さらには、故吉野秀雄氏を
偲ぶ会へのお供等々を通して、短歌のめざすべき道、踏まえなければならない心のありようを、具体的な事例を通して教えられた思いが致します。



 先生とは昭和58年10月から、構想立案に始まり、昭和60年2月の足掛け3年に渡り、「パソコンを用いた短歌の試作」と言う、当時としては「狂気のさた」とも言える野心的なシステム開発を、担わせて戴きました。この開発は私の興味もあり、先生の会社のコンピュータを使用させて頂き、休祭日に仕事を離れてに個人的に取り組みました。

 どの文献を調べても日本語の電子的合成を旨とする、短歌の試作には否定的な見解のみで、不可能なことの証明ばかりが目に付きました。今でこそAI技術を用いた自然文の合成、翻訳等をかなりの精度で行うシステムができていますが、この当時は暗中模索の中でまさに試行錯誤の連続でした。
 当時はAI技術も未だ確立されていない時代でしたので、進化を見せつつあるニューロ技術からのヒントを取り込みつつ、短歌の素材となる五音、七音の語彙で基礎となるデーベースを構築し、新たに入力した言葉と、季節、生活、花、歴史等の変数を加味・混合し、パソコンの確率算定機能を駆使して、自然文の合成を行うという初歩的なロジックのシステムでした。

 この開発に伴うプログラム作成には、仕事の合間の休日等を用いて実質三か月ほどを費やしました。この経緯と結果は、私の短歌の師でもありました野村泰三氏「(株)ヤクルト本社(役員)」との共著論文として、月刊誌「短歌現代」(一九八五年二月号)に発表させて頂きました。歌壇からは少なからぬ好意的な反応もあったものの、大半は激しい批判の嵐に見舞われました。
 曰く「コンピュータなどを使って、伝統のある短歌を制作するとは何事か・・・等々」。
結果的には第二弾のシステム開発は、諸々の経緯の中で断念せざるを得ませんでしたが…。
このシステムの仕様等に付きましては、「短歌現代」に掲載されておりますので、著作権等の機微情報に触れる部分もあり、詳細はそちらに譲りたいと思います。



 ただこの開発の過程で花壇の潮流を踏まえ、ともすると躊躇い勝ちとなる私に、先生の説かれた「伝統とは革新と創造、さらには飛躍の繰り返しの中で築かれ創られていくものであり、新たな革新的創造の無い世界は衰退するのみである。まして短歌は若い世代の息吹を、あらゆる試みを通じて吹き込まねば21世紀には生き残れないだろう」との言葉。
これには使命感にも似た先生の思いが込められ、大いに啓発され励みになったことが、昨日のことのように思い出されます。

 また、「短歌周辺」を主宰された冷水茂太師が急逝された後、昭和62年8月にかけて「菁菁」創刊をお手伝いさせて戴き、その後十余年を越える歳月を共に歩ませて戴きました。その歩みの中で「綜合詩歌」誌鑑賞の執筆等を通し、先生の薫陶を身近で受ける幸運に浴して参りました。その間、土岐善麿師の思想であり、哲学でもある「市井に暮らす人々。その生命に寄せる限りない愛しみ」を自らの血肉とした先生の温もりと、慧眼に触れ、さらにその偉大さに圧倒される思いを抱いて参りました。



 いま、天翔ける先生の存在を思うとき、先生の目指された道の、ほんの入り口にも達していない己を知り、愕然とした思いに囚われています。
先生の説かれた「短歌一条の道」の教えを胸に、「人の生きる糧となる、社会と共にある歌」を求めて一歩一歩、弛まず研鑚して行くことが、先生のお心に叶う大道だと考えています。
詠草は野村先生への挽歌をと思い今の心境を詠ってみました。未だ、あまりに生々しく纏まりませんが…。



     「観音崎から房総半島を望む 半島の頂の白亜の像は 富津観音像です」

    なに求め師は旅立つや雲の果て この地で仰ぐ弟子(こ)らをのこして
    果て知らぬこの淋しさよ 翔ける師の影さえ踏めずこの地に立てる
    師と酌みしさかずき残る居酒屋で 今宵は一人盃をかさねる

                     初稿掲載: 平成10年1月15日

コメント (13)
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