「口語短歌・水曜サロンの会」(その55) 短歌の投稿を歓迎します!!
☆☆☆ 明るく、楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。 ☆☆☆
☆☆☆ 短歌の投稿と共に、投稿歌の歌評、感想、ご意見等もお寄せください。☆☆☆
「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている皆様の詠まれた
短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。
短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、自由に短歌を
投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと思っています。
皆様の短歌の投稿と、歌評、ご意見等をお寄せ頂ければ幸いです。
【サロンの運営について】
運営等につきましては、末尾に記させて頂きますので宜しくお願い致します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/fc/997fe4de0bc9f042b72b449c9101d4ca.jpg)
「未だ咲く 酔芙蓉」
「ブログ友の投稿短歌 交流コーナー」
【詞書】1980年代の原田泰治の9月時分の作品を見ながら口語短歌を詠んで見ました。
☆蓮の花 朝もやに咲き 神秘的 レンコン堀りの 労苦はいずこ
☆乳母車 スヤスヤ眠る 赤ちゃんを 思わずみかけ 顔がほころぶ
☆秋の使者 飛び交うトンボ 銀色に 羽を輝かせ 泳ぐ青空
浅間山明鏡止水(knsw0805)さん
【解説】
「原田泰治の世界」をそのままに表現した、温かで素朴な雰囲気が歌に表現されて
いて良く分かる歌と思います。
一首目の蓮の花から「レンコン堀りの 労苦」に想いが及ぶのは流石と思います。
なお、三首目の「飛び交う」「泳ぐ」に、トンボの動作の重なりが少し気になり
ますので、添削させて頂きました。いかがでしょうか。
【ご参考】
★銀色に輝やく羽根を広げつつ トンボは秋を招くかに飛ぶ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/79/e3aa77f4241eefd6440ad6abc8e41d85.jpg)
「羽根を休める シオカラトンボ」
【詞書】
わが家のように年甲斐もなく小屋を作ろうとしている人もいるのに人はさまざま
である。が、夫も小屋が完成したら目的がなくなって来なくなるかもしれないと
言っている。
☆コロナ禍の余暇を注ぎ込み高齢の夫の建てる能勢町の小屋
☆楽しみて建てるこの小屋できたれば来る目的がなくなると夫
☆従いてきて森林浴をする妻は誹謗中傷の穢れを拭ふ
1948219suisenさん
【解説】
私たちにとっては「余暇」をどう有意義に使うかで、第二の人生とも言われる
リタイヤ後の日々が、充実し納得のいくものになっていくものと考えます。
ご夫婦で能勢町に通い、小屋づくりと、それを見守り森林浴をしながら書を読む、
そんなご夫婦の在り方も充実した「幸せ」の一つの形態かも知れません。
その日々の一齣が過不足なく詠まれたお歌は幸せそのものとも感じます。森林浴は
免疫力を高めるのみでなく、諸々の「穢れ」も拭ってくれるものと思います。
【詞書】原始の森には帰れない もののけ姫を和楽器で聴いて
☆太古の神々を殺し
人は・・・
欲望だけのこの世界に生きる
自閑(jikan314)さん
【短歌説明】自閑(jikan314)さんご自身の説明です。
ジブリ映画のもののけ姫の短歌第二段です。
もののけ姫は、和楽器奏者の琴線に触れたらしく、多くの奏者が、カバーして
おります。
和楽器の古典だけでなく、最近の曲を演奏しているのを聴くと、新しさ、
和楽器の素晴らしさを感じます。
もののけ姫では、人は、猪神を殺し、シシ神(でいだらぼっち)を殺し、
木霊、犬神と太古の森から住まう神々を、その欲望のままに滅ぼして行きます。
ただ、最後に大木の上に1体の木霊が現れて、頭を動かし、カラカラと音を立てる
場面で終わるシーンが何か救われるような気がしました。
下記URLに、和楽器演奏とコーラスグループの演奏を貼付しておりますので、
それぞれを御覧ください。
https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/38fba03f3303266184378fd772fee7e2
【投稿外コメント】
彼岸花と揚羽蝶の写真有り難うございます。小生のイメージでは、この時期の、
彼岸花と揚羽蝶だったのですが、中々良い写真が無く、お写真を拝見したとたん、
「そうそう、この優雅な花と蝶だよなあ😃」と感激しました。
【解説】
映画「もののけ姫」はスタジオジブリ作品の中でも、独特な雰囲気と物語性で、
大ヒットを記録した映画でもありますね。
「人間の自然との共存」がこの映画のテーマであったと思いますが、この実現の
難しさを改めて問いかけながら、なおその「共存」に向けて手を携えて進めとの
メッセージも込められていたと感じています。
背景とともに、映画音楽の素晴らしさもこの映画の魅力だったと感じました。
詠歌の「人は・・・
欲望だけのこの世界に生きる」は、厳しい現実認識ですが、それでも
「生きろ」が、「もののけ姫」のキャッチコピーだったと思います。
私たちは、この映画の問いかけと、メッセージを受け止めながら「この世界」を
自らの歩幅で、淡々と歩んでいけたらと思っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/1f/e666379c66aeb349aab232e1bb9b0322.jpg)
「燃える曼殊沙華」
【詞書】彼岸花は真っ赤に燃えるように咲く美しくも不思議な花です。ふと疑問に
思うのが彼岸花と曼珠沙華の使い方です。彼岸花はやはり秋の訪れを誘う淋しさ、
曼珠沙華は華やかさや艶っぽさも感じられますが、ご教示よろしくお願いします。
☆哀しみをともに抱くや彼岸花 墓へとつづく赤い道なり
☆寂しさを両手で包む彼岸花 生家の墓所をひとり詣でる
☆豊作の畔の遠近見渡せば緋の帯を敷く曼珠沙華見ゆ
紬さん
【解説】
彼岸花・曼珠沙華に寄せた三首のお歌は、いずれも花の雰囲気を良くとらえ情趣深く
詠っていると感じます。
二首目の「寂しさを両手で包む彼岸花」は、彼岸花の蕊の形状や、花の纏う雰囲気を
正確にとらえ表現の冴えを感じます。また、この上の句で俳句としても成り立つ優れた
表現と考えます。
なお、彼岸花の別名「曼珠沙華」ですが、ネットで調べてみましたがサンスクリット
語で「天界に咲く花」(manjusaka)とのことです。おめでたい事が起こる兆しに
赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典から来ているようです。
従って、詠歌で用いる場合は夕庵さんも詠んでおられるように、華やかな情景を詠む
場合は「曼珠沙華」を用いてよろしいのではないでしょうか。
☆陽をまとい くれない燃ゆる曼殊沙華 いのちの際の華やぎも秘め
ポエット・M
【解説】
曼殊沙華が荒れ野の一角を埋め尽くすように咲いていました。すでに燃え尽きる
ように朽ちつつある花の脇で、未だ凛として紅の蕊を広げる花がありました。
まさに命の際を咲き切る花の想いと、その妖艶さに惹かれ即興で詠んでみました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/ea/ed3e6411e33857110c804af6b8d0a13a.jpg)
「群れ咲く 曼殊沙華」
「五行詩 ―痛みの変奏曲― 」鑑賞 嵯峨哀花著 (56)
14.痛みの変奏曲(2)
哀しむものは幸いです。
(山上の垂訓)
麓にて
鳴く山場との
声さえも
聞くや聞かずや
嵯峨に咲く花
わが神よ
ああわが神よ
我が霊魂(れい)は
深き淵より
汝を呼べり
今ぞ知る
君が墓標と
我が涙
神の痛みの
オブジェなりとは!
とめどなく
流るる涙
いかんとも
しがたくなりて
ロマ書を閉じぬ
「我が内に
神よ御業を
成し給え」
祈れば遠く
教会の鐘
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/fc/eca913074f9c73c8982a29ac9301d8cb.jpg)
「秋明菊」
【短歌入門・質問・提案コーナー】
この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでの
ヒント、質問、諸々の疑問点、さらにご意見等について触れていきたいと思います。
皆様からのご提案、歌評、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せ頂ければ
幸いです。
なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、
反論、ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
それが学びに繋がれば嬉しい限りです。
【サロン参加者からのコメント】
suisenさんから「短歌の仮名遣いと文体について」についての稿を頂きましたので
各位のご参考として掲載させて頂きました。各位からもご意見頂ければ幸いです。
短歌の仮名遣いと文体についての私の考えは既に述べました。関心ある方は以前の記事を
参照していただければ幸いです。 suisenさん
このサロンでは現代仮名遣い、口語を標榜されていますので、それに従うのが参加者の
望まれる姿勢のあり方かもしれません。
が、私自身は長年、歴史的仮名遣い、文語で歌を作ってまいりましたので、今更、
現代仮名遣い、口語体では詠いにくいという個人的事情がございます。
それでこのサロンの主旨に反した歴史的仮名遣い、文語体の歌を出詠させて頂いています。
私は、これは洋服を着るか着物を着るかのような好みの問題もあると考えます。
どちらが良い、どちらが良くないと簡単に決められる問題でもないと思います。
良い歌は口語体、現代仮名遣いの歌にもありますし、文語体、歴史的仮名遣いの歌にも
あります。それより問題は詠われる内容だと思います。上手、下手は二の次です。
上手、下手で言えば、新古今集などは貴族の洗練された歌の寄せ集めですから上手な
歌の揃った歌集と言えるかもしれません。
が、あまりにもテクニックを求めすぎたため心の伴わない歌集になった嫌いもあります。
正岡子規はそれを問題にしたのですね。
それから言えば、万葉集には庶民の悲喜こもごもの感情が詠われた歌も含まれています
から泥臭い歌集とも言えるかもしれません。
どちらの歌集が優れているかと言われても、甲乙つけがたいと思います。
私は技巧を凝らした新古今集の歌も好きですが、万葉集の荒削りな歌も好きです。
が、いずれの歌集の歌でも、いかに心が詠われているか、私はそれを問題にしたいと
思います。
心を詠うと言っても、直接、うれしい、かなしいと詠っても心は伝わりません。
こころを伝えるには手触りが必要になります。
その手触りを演出するのが、自然の景であったり花や人物の描写であったりするのが、
優れた歌の条件になると思います。
それから、歌の新しさ、古さについても、これは文体によらないということが言えると
思います。
新仮名遣い、口語体で詠われていましても内容に既視感があれば古い歌ということに
なりますし、旧仮名遣い、文語体で詠われていても、これまで誰も詠ったことのない
着眼の歌であれば、これは新しい歌ということができると思います。
歌で一番大事なことは個性だと考えます。個性とは、すなわち新しい着眼の歌と
言い換えることもできるかもしれません。
私は、歌というものをこのように捉えています。
が、実際に私がそのように詠えているかと言われますと、否でございます。
それだけ短歌というものは奥の深いものでございまして、私も四半世紀を歌に捧げて
参りましたが、未だに初心者の域をでません。
ですから、以上のことは、自戒を込めて書かせていただきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/8e/ee19ae982474f8bf1a3b9807c24db5a8.jpg)
「秋桜」
【運営にあたって】 注)文頭から移しました。
(1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
なお、変更がある場合は、その都度ご連絡致します。
(2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
(3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
(4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
(5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
(6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
(7) 掲載された短歌の著作権は、投稿者に帰属します。
(8) 最近心無い「スパムメール」等がコメント欄に届いています。
誠に心苦しいのですが、今後コメントは「許可制」にさせて頂きます。
(9) 投稿に当たっては、ご自身のブログのアドレス(url)も記入願います。
ニックネームのみでIDのない方、あるいは匿名の投稿は内容により掲載
できない場合もありますのでご了承願います。
了
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/69/7501fd014ba869856f24846851760f7c.jpg)
「白花曼殊沙華」
☆☆☆ 明るく、楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。 ☆☆☆
☆☆☆ 短歌の投稿と共に、投稿歌の歌評、感想、ご意見等もお寄せください。☆☆☆
「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている皆様の詠まれた
短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。
短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、自由に短歌を
投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと思っています。
皆様の短歌の投稿と、歌評、ご意見等をお寄せ頂ければ幸いです。
【サロンの運営について】
運営等につきましては、末尾に記させて頂きますので宜しくお願い致します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/fc/997fe4de0bc9f042b72b449c9101d4ca.jpg)
「未だ咲く 酔芙蓉」
「ブログ友の投稿短歌 交流コーナー」
【詞書】1980年代の原田泰治の9月時分の作品を見ながら口語短歌を詠んで見ました。
☆蓮の花 朝もやに咲き 神秘的 レンコン堀りの 労苦はいずこ
☆乳母車 スヤスヤ眠る 赤ちゃんを 思わずみかけ 顔がほころぶ
☆秋の使者 飛び交うトンボ 銀色に 羽を輝かせ 泳ぐ青空
浅間山明鏡止水(knsw0805)さん
【解説】
「原田泰治の世界」をそのままに表現した、温かで素朴な雰囲気が歌に表現されて
いて良く分かる歌と思います。
一首目の蓮の花から「レンコン堀りの 労苦」に想いが及ぶのは流石と思います。
なお、三首目の「飛び交う」「泳ぐ」に、トンボの動作の重なりが少し気になり
ますので、添削させて頂きました。いかがでしょうか。
【ご参考】
★銀色に輝やく羽根を広げつつ トンボは秋を招くかに飛ぶ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/79/e3aa77f4241eefd6440ad6abc8e41d85.jpg)
「羽根を休める シオカラトンボ」
【詞書】
わが家のように年甲斐もなく小屋を作ろうとしている人もいるのに人はさまざま
である。が、夫も小屋が完成したら目的がなくなって来なくなるかもしれないと
言っている。
☆コロナ禍の余暇を注ぎ込み高齢の夫の建てる能勢町の小屋
☆楽しみて建てるこの小屋できたれば来る目的がなくなると夫
☆従いてきて森林浴をする妻は誹謗中傷の穢れを拭ふ
1948219suisenさん
【解説】
私たちにとっては「余暇」をどう有意義に使うかで、第二の人生とも言われる
リタイヤ後の日々が、充実し納得のいくものになっていくものと考えます。
ご夫婦で能勢町に通い、小屋づくりと、それを見守り森林浴をしながら書を読む、
そんなご夫婦の在り方も充実した「幸せ」の一つの形態かも知れません。
その日々の一齣が過不足なく詠まれたお歌は幸せそのものとも感じます。森林浴は
免疫力を高めるのみでなく、諸々の「穢れ」も拭ってくれるものと思います。
【詞書】原始の森には帰れない もののけ姫を和楽器で聴いて
☆太古の神々を殺し
人は・・・
欲望だけのこの世界に生きる
自閑(jikan314)さん
【短歌説明】自閑(jikan314)さんご自身の説明です。
ジブリ映画のもののけ姫の短歌第二段です。
もののけ姫は、和楽器奏者の琴線に触れたらしく、多くの奏者が、カバーして
おります。
和楽器の古典だけでなく、最近の曲を演奏しているのを聴くと、新しさ、
和楽器の素晴らしさを感じます。
もののけ姫では、人は、猪神を殺し、シシ神(でいだらぼっち)を殺し、
木霊、犬神と太古の森から住まう神々を、その欲望のままに滅ぼして行きます。
ただ、最後に大木の上に1体の木霊が現れて、頭を動かし、カラカラと音を立てる
場面で終わるシーンが何か救われるような気がしました。
下記URLに、和楽器演奏とコーラスグループの演奏を貼付しておりますので、
それぞれを御覧ください。
https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/38fba03f3303266184378fd772fee7e2
【投稿外コメント】
彼岸花と揚羽蝶の写真有り難うございます。小生のイメージでは、この時期の、
彼岸花と揚羽蝶だったのですが、中々良い写真が無く、お写真を拝見したとたん、
「そうそう、この優雅な花と蝶だよなあ😃」と感激しました。
【解説】
映画「もののけ姫」はスタジオジブリ作品の中でも、独特な雰囲気と物語性で、
大ヒットを記録した映画でもありますね。
「人間の自然との共存」がこの映画のテーマであったと思いますが、この実現の
難しさを改めて問いかけながら、なおその「共存」に向けて手を携えて進めとの
メッセージも込められていたと感じています。
背景とともに、映画音楽の素晴らしさもこの映画の魅力だったと感じました。
詠歌の「人は・・・
欲望だけのこの世界に生きる」は、厳しい現実認識ですが、それでも
「生きろ」が、「もののけ姫」のキャッチコピーだったと思います。
私たちは、この映画の問いかけと、メッセージを受け止めながら「この世界」を
自らの歩幅で、淡々と歩んでいけたらと思っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/1f/e666379c66aeb349aab232e1bb9b0322.jpg)
「燃える曼殊沙華」
【詞書】彼岸花は真っ赤に燃えるように咲く美しくも不思議な花です。ふと疑問に
思うのが彼岸花と曼珠沙華の使い方です。彼岸花はやはり秋の訪れを誘う淋しさ、
曼珠沙華は華やかさや艶っぽさも感じられますが、ご教示よろしくお願いします。
☆哀しみをともに抱くや彼岸花 墓へとつづく赤い道なり
☆寂しさを両手で包む彼岸花 生家の墓所をひとり詣でる
☆豊作の畔の遠近見渡せば緋の帯を敷く曼珠沙華見ゆ
紬さん
【解説】
彼岸花・曼珠沙華に寄せた三首のお歌は、いずれも花の雰囲気を良くとらえ情趣深く
詠っていると感じます。
二首目の「寂しさを両手で包む彼岸花」は、彼岸花の蕊の形状や、花の纏う雰囲気を
正確にとらえ表現の冴えを感じます。また、この上の句で俳句としても成り立つ優れた
表現と考えます。
なお、彼岸花の別名「曼珠沙華」ですが、ネットで調べてみましたがサンスクリット
語で「天界に咲く花」(manjusaka)とのことです。おめでたい事が起こる兆しに
赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典から来ているようです。
従って、詠歌で用いる場合は夕庵さんも詠んでおられるように、華やかな情景を詠む
場合は「曼珠沙華」を用いてよろしいのではないでしょうか。
☆陽をまとい くれない燃ゆる曼殊沙華 いのちの際の華やぎも秘め
ポエット・M
【解説】
曼殊沙華が荒れ野の一角を埋め尽くすように咲いていました。すでに燃え尽きる
ように朽ちつつある花の脇で、未だ凛として紅の蕊を広げる花がありました。
まさに命の際を咲き切る花の想いと、その妖艶さに惹かれ即興で詠んでみました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/ea/ed3e6411e33857110c804af6b8d0a13a.jpg)
「群れ咲く 曼殊沙華」
「五行詩 ―痛みの変奏曲― 」鑑賞 嵯峨哀花著 (56)
14.痛みの変奏曲(2)
哀しむものは幸いです。
(山上の垂訓)
麓にて
鳴く山場との
声さえも
聞くや聞かずや
嵯峨に咲く花
わが神よ
ああわが神よ
我が霊魂(れい)は
深き淵より
汝を呼べり
今ぞ知る
君が墓標と
我が涙
神の痛みの
オブジェなりとは!
とめどなく
流るる涙
いかんとも
しがたくなりて
ロマ書を閉じぬ
「我が内に
神よ御業を
成し給え」
祈れば遠く
教会の鐘
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/fc/eca913074f9c73c8982a29ac9301d8cb.jpg)
「秋明菊」
【短歌入門・質問・提案コーナー】
この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでの
ヒント、質問、諸々の疑問点、さらにご意見等について触れていきたいと思います。
皆様からのご提案、歌評、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せ頂ければ
幸いです。
なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、
反論、ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
それが学びに繋がれば嬉しい限りです。
【サロン参加者からのコメント】
suisenさんから「短歌の仮名遣いと文体について」についての稿を頂きましたので
各位のご参考として掲載させて頂きました。各位からもご意見頂ければ幸いです。
短歌の仮名遣いと文体についての私の考えは既に述べました。関心ある方は以前の記事を
参照していただければ幸いです。 suisenさん
このサロンでは現代仮名遣い、口語を標榜されていますので、それに従うのが参加者の
望まれる姿勢のあり方かもしれません。
が、私自身は長年、歴史的仮名遣い、文語で歌を作ってまいりましたので、今更、
現代仮名遣い、口語体では詠いにくいという個人的事情がございます。
それでこのサロンの主旨に反した歴史的仮名遣い、文語体の歌を出詠させて頂いています。
私は、これは洋服を着るか着物を着るかのような好みの問題もあると考えます。
どちらが良い、どちらが良くないと簡単に決められる問題でもないと思います。
良い歌は口語体、現代仮名遣いの歌にもありますし、文語体、歴史的仮名遣いの歌にも
あります。それより問題は詠われる内容だと思います。上手、下手は二の次です。
上手、下手で言えば、新古今集などは貴族の洗練された歌の寄せ集めですから上手な
歌の揃った歌集と言えるかもしれません。
が、あまりにもテクニックを求めすぎたため心の伴わない歌集になった嫌いもあります。
正岡子規はそれを問題にしたのですね。
それから言えば、万葉集には庶民の悲喜こもごもの感情が詠われた歌も含まれています
から泥臭い歌集とも言えるかもしれません。
どちらの歌集が優れているかと言われても、甲乙つけがたいと思います。
私は技巧を凝らした新古今集の歌も好きですが、万葉集の荒削りな歌も好きです。
が、いずれの歌集の歌でも、いかに心が詠われているか、私はそれを問題にしたいと
思います。
心を詠うと言っても、直接、うれしい、かなしいと詠っても心は伝わりません。
こころを伝えるには手触りが必要になります。
その手触りを演出するのが、自然の景であったり花や人物の描写であったりするのが、
優れた歌の条件になると思います。
それから、歌の新しさ、古さについても、これは文体によらないということが言えると
思います。
新仮名遣い、口語体で詠われていましても内容に既視感があれば古い歌ということに
なりますし、旧仮名遣い、文語体で詠われていても、これまで誰も詠ったことのない
着眼の歌であれば、これは新しい歌ということができると思います。
歌で一番大事なことは個性だと考えます。個性とは、すなわち新しい着眼の歌と
言い換えることもできるかもしれません。
私は、歌というものをこのように捉えています。
が、実際に私がそのように詠えているかと言われますと、否でございます。
それだけ短歌というものは奥の深いものでございまして、私も四半世紀を歌に捧げて
参りましたが、未だに初心者の域をでません。
ですから、以上のことは、自戒を込めて書かせていただきました。
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「秋桜」
【運営にあたって】 注)文頭から移しました。
(1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
なお、変更がある場合は、その都度ご連絡致します。
(2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
(3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
(4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
(5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
(6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
(7) 掲載された短歌の著作権は、投稿者に帰属します。
(8) 最近心無い「スパムメール」等がコメント欄に届いています。
誠に心苦しいのですが、今後コメントは「許可制」にさせて頂きます。
(9) 投稿に当たっては、ご自身のブログのアドレス(url)も記入願います。
ニックネームのみでIDのない方、あるいは匿名の投稿は内容により掲載
できない場合もありますのでご了承願います。
了
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「白花曼殊沙華」