(その1はこちら)
■ばら苑~生田緑地
ばら苑から生田緑地方面に伸びる遊歩道。
生田緑地に向かう途中の民家で見つけたブラシの木。
緑地内のメタセコイヤの林。
奥の池。
岡本太郎美術館のシンボル、母の塔。美術館のカフェで食事をした。
ミュージアムショップにあった、埴輪や土偶、土器のミニチュアが入っているガチャガチャのサンプル。
ガチャガチャを購入。出てきたのは武人の土偶のミニチュアだった。
■青少年科学館
生田緑地の自然の特徴をわかりやすく解説。現在改築工事に伴う仮設プラネタリウム設置のため展示室を閉鎖中。
野外に展示されているSL。
同じく野外に展示されている客車。
客車の中。
■プラネタリウム
青少年科学館の施設。毎月プログラムを替え一般投影と学校団体投影を行っている。平成16年(2004)より、多摩区出身のプラネタリウムクリエーター大平貴之さんが開発した、410万個の星を写し出す投影機メガスターIIが導入された。
仮設プラネタリウムは座席数が少なく、入場券が品切れになっていたので入場できなかった。
■日本民家園
古民家の野外博物館。東日本の代表的な古民家をはじめ、水車小屋・船頭小屋・農村歌舞伎舞台など25棟の文化財建造物を展示。園内には国指定重要文化財7件、国指定重要有形民俗文化財1件も含まれる。園路には道祖神・庚申塔などの石造物、民家内に農具などの生活用具も展示され、ボランティアによる囲炉裏での火焚きと床上公開も実施。
原家住宅。川崎市中原区小杉陣屋町から移築した総ケヤキ造りの豪壮な2階建ての民家。明治24年(1911)から22年の歳月をかけて大正2年(1933)に完成した。
奥座敷。
鈴木家住宅。福島市より移築。建築年代は19世紀初頭。奥州街道の八丁目宿にあった馬宿。市に向かう馬とその馬方が泊まる宿屋で、土間に内馬屋を設け、そこには12頭の馬がつながれた。
佐地家の門・供待。名古屋市より移築。建築年代は19世紀初頭。尾張藩250石取りの武家屋敷の入り口部分。門の形式は切妻屋根の棟門、供待は主人のお供がその帰りを待つ控え場所であるとともに門番部屋ともなっている。
三澤家住宅。長野県伊那市より移築。建築年代は19世紀中期。伊那街道の伊那部宿にあった薬屋。屋根は石置きの板葺き、江戸時代には組頭役を代々務めていた家柄であるため、門構えと前庭付きの式台が許された民家。
三澤家住宅の内部。
水車小屋。長野市より移築。建築年代は19世紀中頃。車輪の直径3.6mの水車小屋で、木製の歯車装置によって、製粉・精米・藁打ちができる。
江迎家住宅。富山県南砺市より移築。建築年代は18世紀初頭。国指定重要文化財。富山県と岐阜県との境に位置する越中五箇山の合掌造り。豪雪地帯であることから柱や梁の材料が太く、また屋根の勾配が急傾斜である。
(日本民家園はその3へ続く)
↓宮崎県で口蹄疫被害義援金を募集中です。ぜひご協力を。
■ばら苑~生田緑地
ばら苑から生田緑地方面に伸びる遊歩道。
生田緑地に向かう途中の民家で見つけたブラシの木。
緑地内のメタセコイヤの林。
奥の池。
岡本太郎美術館のシンボル、母の塔。美術館のカフェで食事をした。
ミュージアムショップにあった、埴輪や土偶、土器のミニチュアが入っているガチャガチャのサンプル。
ガチャガチャを購入。出てきたのは武人の土偶のミニチュアだった。
■青少年科学館
生田緑地の自然の特徴をわかりやすく解説。現在改築工事に伴う仮設プラネタリウム設置のため展示室を閉鎖中。
野外に展示されているSL。
同じく野外に展示されている客車。
客車の中。
■プラネタリウム
青少年科学館の施設。毎月プログラムを替え一般投影と学校団体投影を行っている。平成16年(2004)より、多摩区出身のプラネタリウムクリエーター大平貴之さんが開発した、410万個の星を写し出す投影機メガスターIIが導入された。
仮設プラネタリウムは座席数が少なく、入場券が品切れになっていたので入場できなかった。
■日本民家園
古民家の野外博物館。東日本の代表的な古民家をはじめ、水車小屋・船頭小屋・農村歌舞伎舞台など25棟の文化財建造物を展示。園内には国指定重要文化財7件、国指定重要有形民俗文化財1件も含まれる。園路には道祖神・庚申塔などの石造物、民家内に農具などの生活用具も展示され、ボランティアによる囲炉裏での火焚きと床上公開も実施。
原家住宅。川崎市中原区小杉陣屋町から移築した総ケヤキ造りの豪壮な2階建ての民家。明治24年(1911)から22年の歳月をかけて大正2年(1933)に完成した。
奥座敷。
鈴木家住宅。福島市より移築。建築年代は19世紀初頭。奥州街道の八丁目宿にあった馬宿。市に向かう馬とその馬方が泊まる宿屋で、土間に内馬屋を設け、そこには12頭の馬がつながれた。
佐地家の門・供待。名古屋市より移築。建築年代は19世紀初頭。尾張藩250石取りの武家屋敷の入り口部分。門の形式は切妻屋根の棟門、供待は主人のお供がその帰りを待つ控え場所であるとともに門番部屋ともなっている。
三澤家住宅。長野県伊那市より移築。建築年代は19世紀中期。伊那街道の伊那部宿にあった薬屋。屋根は石置きの板葺き、江戸時代には組頭役を代々務めていた家柄であるため、門構えと前庭付きの式台が許された民家。
三澤家住宅の内部。
水車小屋。長野市より移築。建築年代は19世紀中頃。車輪の直径3.6mの水車小屋で、木製の歯車装置によって、製粉・精米・藁打ちができる。
江迎家住宅。富山県南砺市より移築。建築年代は18世紀初頭。国指定重要文化財。富山県と岐阜県との境に位置する越中五箇山の合掌造り。豪雪地帯であることから柱や梁の材料が太く、また屋根の勾配が急傾斜である。
(日本民家園はその3へ続く)
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