生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2009年11月1日(日) 鶴見~新子安散歩イベント主催(その1)

2009年11月02日 | 都外散歩イベント主催
実は8月下旬よりmixiで散歩コミュをひそかに運営している。2ヶ月以上たった今日になって初めて散歩イベントを開催できた(9月にイベントを企画したが、参加者が集まらずボツになった)。
行き先はJR京浜東北線沿線の鶴見~新子安沿線で、目玉は鶴見のシンボル總持寺とビールの試飲ができるキリン横浜ビアビレッジ。
参加者は私も含め募集定員の10名が集まった。初めての主催で大変緊張したが、無事イベントが終わったのでほっとした。
11/29(日)に「日野紅葉・親水散歩」と題した、東京日野市の高幡不動や百草園の紅葉を愛で、浅川や黒川清流公園等の水辺の散策を楽しむイベントを開催するので、興味のある方はどうぞ。

(写真は断りがないものについては下見時に撮影したもの)

■ベルロードつるみ
ベルの音色が聞こえる、昭和28年にできた旧東海道沿いに並ぶ商店街。実際に行ってみるとベルの音色が聞こえず。



■潮鶴橋水際緑道 
潮見橋から潮鶴橋までの鶴見川の両岸を散歩道として整備。当日は工事のため立ち入り禁止になっていた。


■国道駅 
昭和5年(1930)に開設したJR鶴見線の駅で、時が昭和で止まってしまったような雰囲気が印象的。駅名は、京浜第一国道と交差させて建てられたことから。
鶴見線は全長わずか9.7kmの路線で、朝夕のラッシュ時以外は1時間に3本程度の運行、休日はさらに少ない。大正15年(1926)に貨物線として開始、昭和5年(1930)に旅客輸送を開始、京浜工業地帯の発展と共に大勢の通勤客を運んだ。


国道駅の表示。右手に入ると駅へ。


高架下の通路には時代に取り残された空間が・・・通路の両脇には店舗が並んでいるが営業している形跡なし。


改札。無人駅で改札は自動化されていない。スイカ使用可能。


時刻表。土日祝日の昼間は1時間に2本。横浜市内の駅とは思えない。


通路に入っている不動産屋の看板。営業しているように見えない。いつ作ったのだろう・・・


■總持寺
曹洞宗大本山の一つ(もう一つは福井市の永平寺)。鎌倉時代の元亨元年(1321)に石川県に創建されたが、明治31年(1898)火災で焼失により明治44年(1911)に鶴見に移転。昭和40年(1965)に本山最大の建造物の大祖堂が、同44年(1969)には三門が竣成、文字どおり七堂伽藍が備わり今日みる鶴見の象徴的存在となる。境内には昭和の大スターだった俳優・石原裕次郎の墓がある。



三松関。大正9年(1920)建立の総門。国登録文化財(50年を経過した歴史的建造物のうち、一定の評価を得たものを文化財として緩やかな規制をするもの)。總持寺の建造物のうち16件が該当(以下の建造物のうち三門、大祖堂を除いたものが国登録文化財に該当)。


三門。昭和44年(1969)建立の鉄筋コンクリート造りの門。


香積台。大正9年(1920)建立。法要・参拝などの受付や売店・休憩所がある。


金鶏門。大正4年(1915)ごろ建立。門の左右には廊下がある。


百間廊下。大正4年(1915)ごろ建立。修行僧が雑巾がけをしていた。雑巾がけも修行の一つ。


待鳳館。昭和32年(1957)に東京・千駄ヶ谷の尾張徳川家旧書院を移築。迎賓館として使われる。


紫雲臺。大正4年(1915)建立の書院。


大祖堂。昭和40年(1965)建立の開山堂と法堂を兼ねた建物。畳千畳敷きの広さの巨大な建物で、後で訪れる子安台公園からも見えた。


仏殿。大正4年(1915)建立。「大雄宝殿(だいゆうほうでん)」とも呼ぶ。


放光堂。安政年間(1854-1860)に山形・鶴岡の総穏寺本堂として建立されたが、明治44年に移築。


鐘鼓楼。大正4年(1915)建立。ここに設置した梵鐘や木板などの打楽器の合奏で日常生活の合図をする。


向唐門。大正14年(1925)建立。特別な行事に開門。


石原裕次郎の墓。昭和62年に逝去。享年52歳。


(その2に続く)


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