生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2010年6月6日 水元公園散歩イベント主催(その1)

2010年06月07日 | 都内散歩イベント主催
この日は、東京都葛飾区の水元公園とその周辺を散策した。今回の目玉は水元公園の花菖蒲。訪れた時期が早かったせいか開花していたのは半分以下だったが、きれいな花菖蒲を楽しめたのでよかった。この日の天気は晴れで暑いくらいだったが、青空の下、緑と水のきれいな公園を歩くのはとても気持ちがよかった。

参加者は管理人も含め9名で、男性が3名、女性が6名(参加者の皆様、ありがとうございました)。初参加の方は3名だった。

【コース】
金町駅に集合→金町駅でバス乗車、高洲バス停で下車→ゴンパチ池→オニバス池→葛飾区金魚展示場→水元さくら堤→松浦の鐘→しばられ地蔵→はなしょうぶ園→香取神社→教育資料館→ポプラ並木→メタセコイヤの森→バードサンクチュアリー→グリーンプラザ→中央広場→せせらぎ広場→水元かわせみの里→閘門橋→大場川バス停でバス乗車、金町駅で下車→金町駅で解散

(花の写真は当日に撮影。それ以外の写真の大部分は下見時に撮影。写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示)


■水元公園
昭和40年(1965)に開園した、87.9ヘクタールの都立公園。小合溜(こあいだめ。享保年間(1716~1735)に徳川吉宗の命により造られた遊水地で、江戸の町を洪水から守り、田畑に水を供給した)に沿って造られた都内で唯一水郷の景観をもった公園。園内には小合溜から引かれた大小の水路が走り、水辺を好むポプラやメタセコイヤ、ハンノキ等が生育し、ハナショウブ、スイレン、コウホネ等の水生植物が植えられている。


小合溜。周辺をフェンスで囲わないのがよい。水の中に落ちたら自己責任だが。














印象派の風景画のような写真になってしまった。




■旧水産試験場
昭和10年(1935)設置。戦後は貴重なタンパク源のコイやフナの増殖・養殖、金魚の品種改良などを行ってきたが、平成9年(1997)港区へ移転。現在はアサザやオニバス、ハス等の水生植物の保存展示や金魚の展示に利用されている。




■ごんぱち池
旧水産試験場にある都内で唯一のアサザの自生地。アサザは6月中旬~8月に黄色い花を咲かせる多年生の水草で、絶滅が心配される希少な植物。


一般公開時期以外には立ち入りできないため、フェンスの外から撮影。


■オニバス池
旧水産試験場にある都内で唯一のオニバス自生地。オニバスも絶滅が心配される希少な植物で東京都の天然記念物。7月上旬~9月上旬に開花。


一般公開時期以外には立ち入りできないため、フェンスの外から撮影。


■葛飾区金魚展示場
旧水産試験場にある金魚の展示場。江戸前金魚と呼ばれる江戸茜・江戸錦など24種類約1,000匹の金魚を飼育・展示。






■水元さくら堤
享保年間(1716~1735)に徳川吉宗の命により築かれた江戸川の外堤防(二次堤)。堤の全長は約3.5kmあり、ソメイヨシノ、山桜、八重桜など約750本の桜の木々が植えられている。




■松浦の鐘
旧下小合村の領主松浦河内守が宝暦7年(1757)旧下小合村龍蔵寺に寄進した梵鐘で、明治初年に龍蔵寺廃寺後、旧領民の希望により村に寄付され、洪水や火災など非常時の早鐘として使用された。




■しばられ地蔵
大岡政談で有名となった地蔵で、荒縄を巻いて願をかけると願いが叶うと伝えられる。年1回大晦日に、縄解きの行事が行われる。しばられ地蔵のある南蔵院は貞和4年(1348)創建の天台宗の寺院で、昭和4年(1929)墨田区吾妻橋から地蔵と共に現在地に移転された。




しばられ地蔵。数多くの荒縄でぐるぐる巻きにされていて苦しそう。


境内に大きな藤棚がある。


下見の時には藤が花盛りだった。


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2010年5月30日 生田緑地散歩イベント主催(その3)

2010年06月04日 | 都外散歩イベント主催
(その2はこちら


■日本民家園(続き)


野原家住宅。建築年代は18世紀後期。越中五箇山の利賀集落から移築。合掌造り。梁は傾斜地で成長した根元の曲がった大木を使用。屋根裏の広い空間は、養蚕や食糧・燃料を蓄える場所として使用。


野原家住宅の内部。


山下家住宅。建築年代は19世紀前半。飛騨白川郷より移築した合掌造り。もと川崎市内の観光料亭として活用していたものを再移築。1階はそば屋、2階には収集した生活用具類を展示。


作田家住宅。建築年代は17世紀後半。国指定重要文化財。九十九里浜の地引き網漁の網元の家で棟を別にする分棟型民家。棟と棟との間には大きな丸太を2つに割って作った雨樋が設けられている。


作田家住宅の内部。


太田家住宅。茨城県笠間市より移築。国指定重要文化財。建築年代は17世紀後半。作田家住宅とは異なった形の分棟型民家。


太田家住宅ではボランティアの方が囲炉裏で火を焚いていた。


沖永良部の高倉。鹿児島県の沖永良部島より移築。建築年代は19世紀後半。太い4本柱の上部に穀物を収納する場所を設け、ネズミ等の進入を防ぐ造りとなっている。


北村家住宅。神奈川県秦野市より移築。国指定重要文化財。建築年は貞享4(1687)。解体移築の際、材木から貞享4年(1687年)の墨書年号が発見された貴重な民家。


北村家住宅の広間。床が竹すのこでできている。足つぼが刺激されそう(笑)?


伊藤家住宅。川崎市麻生区より移築。国指定重要文化財。建築年代は17世紀末~18世紀初頭。入り母屋造りの農家。正面の格子窓をシシマドと呼び、狼や猪などの獣を防ぐためのものだといわれる。


伊藤家住宅の居間。こちらも竹すのこの床。


蚕影山祠堂。川崎市麻生区より移築。建築年代は文久3年(1863)。養蚕の神を祀るお堂。


菅原家住宅。山形県鶴岡市より移築。建築年代は18世紀末。屋根の途中にハッポウと呼ぶ曲線の高窓がある。豪雪地帯の建物らしく内部へ直接に入れないように入り口にアマヤを設けている。


船越の舞台。国指定重要有形民俗文化財。建築年は安政4年(1857年)。志摩半島の漁村にあり、歌舞伎芝居などを演じていた舞台。正面に花道、両袖に出語り、そして直径18尺(5.45メートル)の回り舞台を備える。回り舞台を回転させる装置は奈落に配置されている。




■伝統工芸館
伝統芸の藍染めを体験できる施設。ハンカチ染め(予約不要)や、初級講習会(要予約)等が行え、のれんやハンカチ等も販売。





枡形山展望台に向かう。


道の両脇は緑で覆われている。


■枡形山展望台
生田緑地の中で一番高い枡形山(標高84m)に設置された展望台で、富士山や丹沢山地、東京都心等の眺望が楽しめる。


展望台。


展望台から北側を眺める。木が生い茂っているため他の方角の眺望はあまりよくない。



長者穴古墳群に向かう。


■長者穴古墳群
集団の家族墓や一族の墓と考えられいる古墳で、7世紀中頃から後半にかけて築造。


古墳に近寄りすぎて撮影したため、古墳というより動物の鼻の穴に見えてしまう(苦笑)。


■今日の顔ハメ看板


登戸駅にて。


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2010年5月30日 生田緑地散歩イベント主催(その2)

2010年06月02日 | 都外散歩イベント主催
(その1はこちら


■ばら苑~生田緑地


ばら苑から生田緑地方面に伸びる遊歩道。


生田緑地に向かう途中の民家で見つけたブラシの木。


緑地内のメタセコイヤの林。


奥の池。


岡本太郎美術館のシンボル、母の塔。美術館のカフェで食事をした。


ミュージアムショップにあった、埴輪や土偶、土器のミニチュアが入っているガチャガチャのサンプル。


ガチャガチャを購入。出てきたのは武人の土偶のミニチュアだった。


■青少年科学館
生田緑地の自然の特徴をわかりやすく解説。現在改築工事に伴う仮設プラネタリウム設置のため展示室を閉鎖中。


野外に展示されているSL。


同じく野外に展示されている客車。


客車の中。


■プラネタリウム
青少年科学館の施設。毎月プログラムを替え一般投影と学校団体投影を行っている。平成16年(2004)より、多摩区出身のプラネタリウムクリエーター大平貴之さんが開発した、410万個の星を写し出す投影機メガスターIIが導入された。
仮設プラネタリウムは座席数が少なく、入場券が品切れになっていたので入場できなかった。


■日本民家園
古民家の野外博物館。東日本の代表的な古民家をはじめ、水車小屋・船頭小屋・農村歌舞伎舞台など25棟の文化財建造物を展示。園内には国指定重要文化財7件、国指定重要有形民俗文化財1件も含まれる。園路には道祖神・庚申塔などの石造物、民家内に農具などの生活用具も展示され、ボランティアによる囲炉裏での火焚きと床上公開も実施。


原家住宅。川崎市中原区小杉陣屋町から移築した総ケヤキ造りの豪壮な2階建ての民家。明治24年(1911)から22年の歳月をかけて大正2年(1933)に完成した。


奥座敷。


鈴木家住宅。福島市より移築。建築年代は19世紀初頭。奥州街道の八丁目宿にあった馬宿。市に向かう馬とその馬方が泊まる宿屋で、土間に内馬屋を設け、そこには12頭の馬がつながれた。


佐地家の門・供待。名古屋市より移築。建築年代は19世紀初頭。尾張藩250石取りの武家屋敷の入り口部分。門の形式は切妻屋根の棟門、供待は主人のお供がその帰りを待つ控え場所であるとともに門番部屋ともなっている。


三澤家住宅。長野県伊那市より移築。建築年代は19世紀中期。伊那街道の伊那部宿にあった薬屋。屋根は石置きの板葺き、江戸時代には組頭役を代々務めていた家柄であるため、門構えと前庭付きの式台が許された民家。


三澤家住宅の内部。



水車小屋。長野市より移築。建築年代は19世紀中頃。車輪の直径3.6mの水車小屋で、木製の歯車装置によって、製粉・精米・藁打ちができる。


江迎家住宅。富山県南砺市より移築。建築年代は18世紀初頭。国指定重要文化財。富山県と岐阜県との境に位置する越中五箇山の合掌造り。豪雪地帯であることから柱や梁の材料が太く、また屋根の勾配が急傾斜である。


(日本民家園はその3へ続く)


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