PRINCOの今日のパチパチ
Sidosso Princoちゃんの思わず拍手パチパチ記録
 



あれだけ宣伝してりゃそりゃあ気になりますわ、ってことで『かぐや姫の物語』を観に行きました。パチパチ!
てっきり、かぐや姫が何で月を追放されたのか、とか、月に戻ってからどうやって過ごしたのか、のように『竹取物語』になんかを付け足した映画かと思っていたら、じぇんじぇん違いました。正直びっくりするくらい、いいアニメ映画でした。アニメは本当に日本の誇りだなーと思います。とにかく里山の風景がきれい!外来種が一切入っていない頃の、野山の草花や木々、生き物たち。

以下ネタバレ部分は白文字で書いていますので反転させてください。

原作にそったアニメで、竹取の翁が竹林でかぐや姫を拾い、美しい姫に成長して、いろんな人に求婚されるも袖にして、ついには帝が求婚するも、月へと帰っていく。おしまい。
というお話です。原作に足したのは成長していく過程での生き物や村人たちとの交流です。山フジやコブシなんかの日本古来の花々にとにかく癒されます。
最後に月の世界の住人(阿弥陀二十五菩薩来迎みたいなの)が迎えに来るときに流れる音楽があまりに能天気で「なんじゃこりゃ、エレクトリカルパレードかい!?久石譲め…」と思ったのですが、良く考えてみれば、姫や翁、媼にとってはあまりに悲しい別れでも、迎えに来るものたちにとっては「いやあ、お帰り!よかったね~」という場面ですから、なるほどな、と。なんだかお葬式を思わせます。
あといつも思うんだけど、今回出てきたパタリロ顔の侍女のような愛くるしいキャラクターとか要らないんですけど。なんかグッズを作るために無理無理出演させているような。もっともああいうキャラがいないと小さい子には辛いのかなー



素晴らしい(?)求婚者が大勢あらわれて、教育係や父親がわりの翁が「やったやった!」と喜んでも、ハンディなアゴの天下人があらわれても、姫は一向に乗り気にならない。現代の結婚事情を見るようでした。
以前、お話しした女性がこう言ってました。
「結婚に求めるものって条件じゃないんです」
しかし今も昔も、親や周囲の大人は条件でしか、相手を薦めることができない。結局、お金持ちだとか、身分が高いとか、そんな条件は誰も求めてないんだよなーと。
かぐや姫も、現代女性も、相手に求めるものはフィーリングの一致。物じゃなく人として見て欲しいと…。

もっとも、恋愛と結婚は違う、人より物という考えの方もいらっしゃるんですけどね(^^;)



写真~
昨日の夜は凄い風雨でした。掃除しなきゃと思いつつ、散った落ち葉もいいものだよな、と。しばらくは乾燥乾燥(^^)




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昨日は森のベジカフェが終了後、おおたかの森嬢とお運びのTさんと、三年番茶でティータイム。パチパチ!

お互いの子どもが同じ幼稚園に通っていた、という繋がりですので自然と『かぜのこようちえん』の話に。

「そういえばさー、腕時計あったよねー」
「あはは、あった、あった!」

かぜのこようちえんでは、年長さんになると、お誕生日に腕時計がもらえるのです。しかももらった腕時計は好きな時に幼稚園につけて行って構わないのです!
年少さんや年中さんは、自分も年長になったら腕時計がもらえるんだと、わくわくしてその時を待つのです。
ちなみに、腕時計とは幅の広いゴムに、丸く切ったフェルトが貼ってあるだけ。時間はいつも3時(^^;)
「でもさー、みんな、もらうと超得意げなんだよね^^」

また、幼稚園では、帰るときに園長先生がたまにお手紙をくれます。誰にあげるかは決まっていません。一度に3人くらいにくれることもあります。順番にくれる訳ではなく、何回ももらえる子もいるし、なかなかもらえない子もいます。
「世の中は不公平だって、初めて気付くよねー。それまでは、兄弟が3人だったら、必ず一つずつ合計3個もらうのが当たり前に育ってきてるもんね」
そして、大勢の中で自分がお手紙をもらった、ということで、一生懸命に返事を書くのです。

何がベストかなんて答えは誰にも分かりません。だけど、口先で話すだけでなく、30数年に亘り、常に現場で実践してきた加藤園長先生の行動には非常に説得力があるのです。
(かぜのこようちえんには先生が3人しかいませんから、園長といっても常に現場にいるのです。ちなみに残りの2人の先生は、ともに元幼稚園教諭で、子どもはみんなかぜのこOBOG、というのも面白いと思います)

子育て論議は、非常にデリケートな話題です。それまで、学業優秀で就職も結婚も順調にいっていた人ほど、頑なで、他人に指示されたくない話題なんだなーと感じます。我々、つまずいてばかりの人生で良かったねと(おいおい^^;)
不安なのはよくないけど、自信あり過ぎもよくない。何事においても中道の精神を保っていたいものです。
うちも、上の子は高校生になりましたが、未だに、あの頃の思い出話を、一緒に笑いあえる家族以外の人たちがいるというのは、それだけでありがたいと思ってます。
蒸かしイモを食べながら、そんなことをしみじみと感じる長い長い秋の午後でした。


写真~
円東寺のもみじ。なかなか真っ赤っ赤にはなりません。夏の間の手入れとかが必要なのかなー。

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