かつて日本各地に『月待講』というものがありました。パチパチ!
以下、小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)より
【月待(つきまち)】
特定の月齢の夜、人々が集まって月の出るのを待ち、祀ること。十三夜、十五夜、十七夜、十九夜、二十三夜などが多いが、静岡県西部地方のように三日月を祀る所もある。毎月祀る例は少なく、正月、5月、9月の3回、あるいは正月、11月の一定の月を祀る所が多い。月待は、組とか小字を単位とすることが多く、年齢によるもの、性別によるもの、あるいは特定の職業者だけの信仰者によるものなど、さまざまである。日を1日ずらして、男子の二十三夜に対し、女子だけ二十二夜に集まり、安産祈願を行う所もある。長野県では7月22日を「ニヤマチ」といい、7人ずつそろってするものだという。月待には安産祈願、病気平癒祈願など人にかかわるものが多いのも、月の満ち欠けが生命力に深いかかわりをもつと信じていたからであろう。
~ここから先は私の想像も入ります~
江戸時代初め、今からおよそ350年前のことです。下総国葛飾郡小金領市野谷村(現在の流山市市野谷とおおたかの森西、南の一部)にも十九夜念佛講という月待講がありました。
やがて延宝5年(1677)、当時のメンバー50人が願主となり十九夜講のご本尊である如意輪観音菩薩様の石像を造立しました。
それからというもの如意輪観音様は村人、中でも出産と育児の安全を願う嫁衆(市野谷若妻会)からの信仰をあつめ、大切にお祀りされてきました。
時がたって、享保8年(1723)6月24日に染谷兵右ヱ門さんという方が、圓月自観信士の供養のために地蔵菩薩の石立像を建立します。そのときです。
ピンポーン
おや、こんな時間に誰か来たようだ、、、、
明日の其之弐へ続きます
写真~
円東寺地蔵堂、まもなく完成です!
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