昨日の続きです。パチパチ!
時がたって、享保8年(1723)6月24日に染谷兵右ヱ門さんという方が、圓月自観信士の供養のために地蔵菩薩の石立像を建立します。
「地蔵菩薩は、幼くして亡くなった赤子やわらべをお救いくださる仏さまじゃぞよ」
と円東寺の和尚から聞いていた嫁衆は、
「六道能化の地蔵菩薩と言って、寺の入り口には六種のお地蔵様をお祀りするらしいっぺ。せっかくだから、あと5体のお地蔵様を建てて、六地蔵にしようでねえの。えいえいおー」
と発願します。こうして、2年後の享保十乙巳年(1725)三月吉日、市野谷の女仲23名がお金を出し合って、地蔵菩薩五体を建立し、晴れて六地蔵となりました。そして、そのお地蔵さんとともに、十九夜講(別名・子安講)で出産と育児の安全を願ってきた如意輪観音様をあたかも中尊として、一つ屋根の下にお祀りしました。
昔は、子どもが成人するまで育つのは今と比べ物にならないくらい難しく、円東寺の過去帳を見ても、亡くなった子どもの戒名がたくさん書かれています。23名の女性たちは、お地蔵さんと観音さまに手を合わせ、亡くなった赤ちゃんや子どもたちの成仏を祈り、村に暮らす子どもたちの笑顔と健康を願ったことでしょう。
物語終わり。とっぴんぱらりのぷう。
令和の時代に、350年から300年前に祈った方たちの篤い思いが、目に見える形で残っていることを大変ありがたく思います。
さて、そこで考えました。
もっと地域の方たちに、このお地蔵さんたちへ親しみをもってもらいたい、それにはどうしたら、、、、
ああ、そうだ!お地蔵さんと手を合わせ祈る方々とを、これまでもずっと繋いでいたものがあるじゃないか!
昔から、亡くなった赤ちゃんや子どもを想い、お地蔵さんにおもちゃの風車やガラガラを供えたり、帽子やよだれ掛けが奉納されてきました。
という訳で、円東寺では手作りのよだれかけ(スタイ、あぶちゃん、びろかけ、おかけ、あてんこ、まいまい、etc.)の奉納を積極的に受け付けます。
詳細は、円東寺までお電話やメールでどうぞ。
写真~
円東寺地蔵堂、躯体ができました!
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