玄徳道

道を語るブログです。

大いなる坤道、地球神

2012-05-25 22:03:59 | 地道
最近、仕事で失敗しました。下請けさんがミスをしてしまい、私は取引先に謝りに行きました。ははは、ボロクソニ怒られました。うちの社長まで呼び出しをくらい、私は、取引先と社長に謝るのみです。
下請けさんの仕事のきつさを知ってるだけに下請けさんを責めることはしません。だけど、ボロクソニ怒られたのはさすがに凹みます。人は、怒鳴られるとやはり、精神が変調します。トンチンカンな私がさらに迷走し危なく更なるクレームを起こすところでした。ふぅぅ。
だけど、不思議と怒られ、ストレスが発生すると私は周りに優しくなります。なんでかは知りませんが。
道を歩み、道を修めようとする人間は、他人に如何に罵られ、侮蔑を受けようとも、相手を呪ったり悪感情を持ってはいけません。一念は三千世界を汚しも清めもするからです。ストレスが発生し溜まろうとも、私には先天坐があります。坐は、心を浄化します。私は、いつも、ここで至聖先天老祖に感謝します。「坐を伝授してくれてありがとう。」

職場や学校、主婦の場も人間関係がある以上、多かれ少なかれストレスがありますね。ストレスは病の因です。それを解消する道があれば人は、簡単に幸せに成れます。

我らが地球は人が耐えられぬ程、日々ストレスを受けています。様々な悪想念を、公害汚染を受ける地球にも当然痛みがあります。そのほとんどが人類がもたらせる因業です。
地球の痛みの波動を受けた方は解かると思いますが、人たるものにその痛みは、耐えられません。耐えようがない痛みが地球を覆っているのです。
伊勢白山道氏は、地球が太陽にSOSを送っていると述べていますが、私それでも耐えている地球を感じています。
人が生み出す様々な刧障をも地球神は耐えています。それは子供を産む陣痛であるかのように見守り全てを受け入れるつもりでひたすら耐えています。母なる地球の愛とは偉大です。これこそ、無償の愛です。道を修める人はこれを知らねばなりません。

地球の痛みを緩和するには人心の安寧が不可欠です。坐や瞑想による坐軸、中心軸の固定(堅実)は地球軸に安定をもたらします。
何故なら我々が坐で回光する気は先天の炁と合化し、我々を浄化します。体内でさらに精製された炁は根源の回帰します。光は根源へと周るのです。つまり母なる地球にも光は至るのです。

地球神は柔順中正であります。坤道の至美至大はここに象徴されます。今、地球の愛を感じ取れる人間は如何ほどいられるのでしょうか。

「至れるかな坤元、万物資りて生ず。すなわち順(したが)て天を承く。」

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適当道

2012-05-25 06:20:01 | 人倫
適当とは、当(まさに)に適することです。いい加減な行動ではないです。
神気を確信し、覚神に至る道に、四つの法があります。
坐り自らの真奥を探す旅、これを瞑想、坐禅と称します。
自己の気の流れを感得し、自然の気の流れをつかんだり気を放出して人を癒したりします。気功法又は、仙道と称します。
自己の心を無心にして、神と直に接する行法を行います。神憑りの法、又は、鎮魂法、帰神法と述べます。
無為自然のままに、物や人、環境に支配されず、悠々自適に過ごします。これを惟神と申します。

瞑想や坐禅は、自己のみを見続けて阿頼耶識に囚われると深奥のカルマに侵されることもあります。
気の流れを人為の強制で支配しようとするとよって反発するエネルギーが即座に生まれます。これを亢魔と呼びます。
精神を統一し、審神の学を為し、自らに神を降臨させようとしても神は気高い心に感応するが、誰もがもつ低俗な心にも魔が即座に感応し高次の神気を維持出来ません。
無為自然の適当であれば自らを高めようとする努力はしません。

適切に日常生活と瞑想の中で自己を観ればカルマに囚われず、高次の自身知ることが出来ます。
適当に気の運行をなし、慈愛の心で気を適切に処理すれば亢魔の動きは和らぎます。強制の無い気は体の隅々に廻り踵で呼吸をする仙人と成ります。ちなみに先天坐も極まっていきますと肺呼吸を超え体全体で呼吸する胎息と成ります。
神憑りの欲望を捨て適切に鎮魂の道を歩めば無意識の意識が神気と交わり、自然に神との一体意識が生まれます。

当(正)に適する心を持てば全てを統括し、根源神に回帰する道となるのです。

適の道は亀の歩みの如く進歩するけど急がないということです。緩慢であるが確実に根源に帰還するのです。自然は忙しくありません。

「世の中は目が回るほど変遷します。しかし、道には忙しさはありません。あるがままに、なすがままに、穏やかで優しいのです。あわてず、騒がず、のんびり、適当に生きましょう。」

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感謝道

2012-05-23 21:39:21 | 人倫
感じる言葉を瞬時に討つ如くに述べる。これを感謝と申します。
神社や仏閣にお参りしましたら、何気なく、「神様ありがとう。」「仏様ありがとう。」と思う気持ちですね。ふとした時に父や母が大切に育ててくれた事を思い出し、「父ちゃん、母ちゃんありがとう。」と言う気持ちです。ここに利害や損得を考えだすと感謝では無くなります。
感謝は思いやりを感化され述べる真心の言霊です。思いやりは愛であり仁道であります。即ち、感謝とは思いやりから発射される真言(まこと)なのです。
眼に見えぬ大自然、精霊、神様に「生かしていただいて、ありがとうございます。」と言う言葉が出るのであれば素晴らしいですね。しかし、伊勢白山道リーマン氏が述べるように最強の祝詞であると思い、これを述べれば、仁の心から離れてしまいます。
何を以って最強なのでしょうか。神様に奏上する祝詞に最強も最低もありません。そして、神様は最強も最低も求めてはいません。

人に親切にされたら素直に感謝しますね。これが愛の発射、仁であり真心です。

感謝を思念に代えることを感謝想起と述べます。これは、瞬時の感謝ではありません。それは思想で唱える、偽りなる感謝です。これにより災害を抑えたりすることはないです。魔を消したりも出来ません。
何故ならば、神様は感謝される事を望んでいません。感謝しようが、しまいが、神様は人を大事にされています。
反対に低級で神の如くに居座る邪霊は感謝されることをすごく望んでいます。幽界の存在は、人間の想念が好きなようです。
感謝の道は瞬時の真心です。強制が入れば阿諛、おべっかです。ここに感謝はありません。

感謝は、人の道として大事です。しかし、これに霊的意味を乗せると気が枯れます。穢れと即座に変わります。一念が三千世界に広がるのは真実なのです。純粋な感謝への思想に問題はありませんが自分が幸福になりたい、病気やけがをしたくない等と勝手に思うエゴイズム的な心で感謝想起をすれば幽界の存在は繁栄され幽界の消滅は永遠に無理です。
感謝道は、ありがたいと思う人の真心なのです。ここに不思議はありません。

「あり難しかたじけなしと拝(おろが)めば玉の涙はらはらと散る。」

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仏道

2012-05-22 22:29:45 | 宗教
釈迦族の王子であったゴータマは王族として享楽と誘惑の伴った生活の中で生きとし生きる者が免れない生・病・老・死の苦痛に気づき苦悩にさいなまれました。結果、地位も名誉も富も家すら捨て苦行生活に中に救済を求めました。「おおいなる放棄」を成し遂げたのです。そして、生きとし生きるもの全ての生命を救うべく発願されました。
厳格なる苦行の最中、ゴータマは意識を失い死亡したと思われた。彼の苦行仲間は身捨てて去り、息を吹き返した際に苦行では真理が得られぬことを悟りました。
ある時、菩提樹の下で瞑想していると大いなる覚醒が訪れました。苦悩とは、どこから来るのか、人が転生の輪に何故、囚われているのか、それらを克服すべき法を。ゴータマは、すべてを悟りし「仏陀」と成りました。
釈尊の教えは、後世の人により経典と成り、玄奘三蔵やその先達によりインドから中国の持ちかえられ、その後何世紀にも渡り信心を得て学ばれ、日本にも多大な影響を及ぼしました。

伊勢白山道リーマン氏はお経は釈迦の教えでは無い様に述べられています。それは真実です。しかし、生きとし生きる生命を救うという発願は、仏法を学ぶ人たちに受け継がれ釈迦意識と成ってお経に反映されています。これが偉大な功徳を顕わしているのも真実です。何故なら仏教思想の真如、実相世界、色即是空、不生不滅、は永遠の真理です。そして因果応報の法則は事実であるのですから。

涅槃への道は完璧な清浄と平穏状態の為し得た時に顕われます。法を学び歩み法界へと回帰するのです。この至上な悟りの道を歩む人を「仏陀の子」と称されるのです。

「われ、仏を得てよりこのかた 経たるところの諸の刧数は無量百千万 億載阿僧祇なり。常に法を説きて無数億の衆生を教化して 仏道に入らしむ それよりこのかた無量刧なり。」

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アセンションと道

2012-05-21 21:34:12 | 考察
三千世界一度に開く梅の花。出口ナオさんが帰神され世の建て替えをされるとおっしゃいましたね。130年前の話です。

大きな浄化現象と次元上昇が2012年に起きるそうです。それは新しい太陽系周期の始まりだと言われています。悪い想念で汚した地球を元に戻したり、個人個人の魂が磨かれ、物質世界から意識世界に入るそうです。伊勢白山道氏は有料先生のみが淘汰される様な事を述べています。マヤ暦でも終末とされています。
今日の金環日食もマヤ暦の終末思想の契機になるようなこともあるような情報もあります。

私は金環日食を見ました。仕事場から反射する窓ガラスに反射して映ってました。ちょうど雲が多くかかるとそれがサングラスの代わりになって奇麗に見えましたね。

人間は、不思議です。人類発祥してから奇異があるとそれを世の中などに重ねます。真理の探究者たちは、天文を見ながら世の中を観よう暦を学びます。しかしそれもまた道です。

弥勒の世が来るとも世界が滅びるとも申しますが予言は道では御座いません。

道を歩む人は、身を修めることを本とします。人の道とは仁道であり、思いやる道です。一念が三千世界を乱さぬように真実なる言葉と心をあらわす信道でもあります。ここに予言は必要ありません。信は神であり命です。ここで今を生きるているからです。
今を生きる人は、過去や未来にも囚われません。

新しい時代が来るとか、悪人に神罰が起きるとか、太陽霊光で鬱になりやすいとか霊能で観る世界と言うのは常に自己中心的です。特定の宗教や教えを信じれば助かると言うのでしょう。
人は決して半霊半身に等なりません。働き飯を食べ排泄して寝ます。悠久の輪廻の海を彷徨いつつ人として生まれ学び死にます。
お釈迦様の如く真実の実相世界、涅槃に至った者だけが輪廻の世界から脱却されます。

地球は全てを受け入れています。我々は、自分を救った後に、人や大地を済度されるべきです。自分に出来ることを無理せず成しましょう。
太陽は恒久であり、表面は無限なる働きで振動されています。しかし中心は静寂でありここで無限の先天の炁が蔵されています。
坐する時、先天の炁が中心丹田に蔵されると同じようです。

道を歩むのにアセンションはどうでもいいのです。「子曰く、道は人に遠からず。人の道を為して人に遠きは、もって道と為すべからず。」

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