教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

資料調査・PD申請書・教員史像

2006年04月18日 23時32分21秒 | 教育研究メモ
 今日は遅くも早くもない寝起きです。11時頃に登校しました。
 まず研究室の電球が切れてしまったので、それを交換してもらいに事務室へ。その帰りに、在学証明書と学割を発行しました。在学証明書は、日本教育学会が学生会員制度を設置したそうなので、そのために必要なのです。学割は、実は23日から北九州各県と山口へ、資料調査へ行くので必要なのです。九州各府県の県立・市立図書館と国立大学附属図書館のOPACで事前に調べ、福岡・佐賀・大分・山口の順で調査へ行くことにしました。古い戦前の資料は未整理の機関も多いので(ましてやWeb-OPACに反映させているところは稀少だと思う)、しっかり調べればもしかしたら書庫の奥から出てくるかもしれませんが… まあそこまでは、やはりその地域に住んでいないとできませんので今回は特に考えてません。ちなみに調査対象は、もちろんご当地の教育会雑誌。意外というか想定内というか、やっぱりしっかり収集・所蔵している県とそうでない県とにわかれていました。文書館や教職員組合なんかが持っている場合もあるみたいなので、時間があったら調べてみたいけど… とりあえず時間も限られているし、今回行く予定の県は、図書館を中心に、一日かけて調査するにふさわしい県・場所を厳選しました。
 昼からは、学振PD申請のための研究計画を書く作業。「研究の背景」、「研究目的・内容」、「研究の特色・独創的な点」を書きました。「研究目的・内容」の部分がやたら書くところが多くて、2,000字近く書いたにもかかわらず、半分近くまだ余白が残っている状態。数年前にPDに採用された先輩の申請書類を参考までに見くらべると、今の申請書の「研究目的・内容」は1.5倍ぐらいあるんじゃないか? まだ研究もしていないのに、年度末の研究報告書よりも書く量が多いっていうのはどうかと思うぞ~ そんなこんなで、完成したとはあんまり思えないのですが、とりあえず書いていないのは残り「年次計画」のみ。
 夕方からは、後輩と『日本近代教育史事典』(平凡社、1971年)の読書会。今日は「教員及び教員団体」。戦後の概説に、「戦後の教員・教員団体の動きはこのように政府・文部省・自民党等と日教組等との対立抗争の歴史ということができる」(同書、211頁)とあったのが、一番気になりました。ここには、政府対教員という図式が見えます。私は、この図式は戦後の教員史だけに適用されている図式ではないのではないかと思います。この事典の概説はかなりバランスを考えて記述されているような気がしますが、私が教員史を勉強してきた中で感じたのは、一般的にこの図式は教員史研究のとらえ方として有力なものだったのではないかという印象でした。戦前の教員たちの中に、反政府的な運動を行った人たちや超国家主義的な人たちもいたでしょうが、そのような教員たちはやはり一部であって、大半の教員たちは、どちらともいえない境界線上の存在だったのではないかと思います。政府対教員という図式を戦前の教員史の図式として採用するのは、一つの歴史像を形成するとは思いますが、私はそれをよしとは思えません。最近の研究の流れもそちらの方向へ移行しつつあると思います。やっぱり私は、同時代の事実・思想に基づいて、同時代に立って歴史像を形成したい。そうでなければ、現代人の「偏見」によって過去をゆがめてしまい、それが故に、過去の蓄積の結果である現代の見方もゆがんでしまうのではないかと思います。
コメント (2)
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