教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

『日本近代教育百年史』の歴史的意義

2008年06月09日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 最近、仕事の傍ら、国立教育研究所編『日本近代教育百年史』第1巻・教育政策1(教育研究振興会、1974年)を専ら通読しています。『日本近代教育百年史』は、それぞれ1千数百ページの全10巻(教育政策2巻・学校教育4巻・社会教育2巻・実業教育2巻)で構成された、今でも大変に評価の高い日本教育通史です。これは、昭和38(1963)年に始まった学制頒布百年記念の共同研究を出発点とし、文部省編『学制百年史』(帝国地方行政学会、1972年)編纂の動向を背景としながら、新興国家に参考とすべく近代日本教育を総合的・徹底的に精査することを求めた世界銀行の後押しを得て、国立教育研究所(現・国立教育政策研究所)を舞台に、80名を超える研究者を組織して編纂されたものです。
 私の狭い知識で見たところでは、稲垣忠彦『明治教授理論史研究』(1966年)、深谷昌志『良妻賢母主義の教育』(1966年)、海後宗臣編『井上毅の教育政策』(1968年)、神田修『明治憲法下の教育行政の研究』(1970年)、牧昌見『日本教員資格制度史研究』(1971年)、野間教育研究所編『学校観の史的研究』(1972年)などで、鮮明に主張されていた研究成果が散見されます。海後宗臣編『臨時教育会議の研究』(1960年)も、強い影響を与えているのではないでしょうか。阿部彰『文政審議会の研究』(1975年)などは、並行して行われていた研究だと思います。これらの著者は、それぞれ『日本近代教育百年史』の執筆者でもあります。共同研究の開始時期などを参照して考えると、『日本近代教育百年史』は、1960年代から1970年代初頭までの当時最先端の研究内容が織り込まれた通史であったと思われます。また、逆に『日本近代教育百年史』の編纂作業がこれらの最先端の研究を推し進めたのかもしれないな、とも妄想します。
 歴史研究の高度化はいい通史を基礎として進められる、と私は思います。通史の役割のひとつは、研究の進展によって細分化・複雑化する研究成果を整理し、後続の研究者が参照しやすくすることだと思います。そういう意味では、『日本近代教育百年史』は通史の役割をしっかりと果たしてきた(いる?)のではないでしょうか。例えば、同編著では昭和戦前期・戦中期の内容が弱かったのですが、そこは寺崎昌男編『総力戦体制と教育』(1987年)によって批判・補完されていったように思います。また、同編著の教科書史は文部行政の立場からの叙述に偏っていましたが、そこは梶山雅史『近代日本教科書史研究』(1988年)によって教育界からの広い視点から批判・補完されていったように思います。
 『日本近代教育百年史』編纂の基礎となった研究または同編著の批判・補完を行った研究は、上に挙げた他にも当然あるはずです。とくに1960年代以前の教育政策史・制度史研究については、私の勉強不足のため位置づけ切れないなと思いました。そのため、私は同編著を正確に評価できません。この研究はこう位置づくだろうなぁと、日本教育史研究の先輩方に是非とも教えて欲しいところです。ということで、ここでは、『日本近代教育百年史』は日本教育史研究史における金字塔であろう、と感想を言う程度でひとまずお茶をにごしておきましょう。
コメント (2)
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