教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

現職の初心として

2024年04月17日 19時51分00秒 | Weblog
 先日から、予約投稿機能で連続して投稿しております。テキスト化を見据えての授業準備の一環ですので、お気づき等あれば、それぞれの記事にコメントしてもらえるとうれしいです(今後の課題にします、と答えるしかない場合もあるやもしれませんがご寛恕ください)。

 さて、ちょっと閑話休題。
 広島大学に着任して一番ありがたいと思ったことは、研究が職場での業績として重視されることです。私大にいたこれまでの15年間でも、研究業績は評価されてきましたが、それとは別次元に入ったな、と思いました。私の働いていた地方私大では、学内・学科内分掌や実習業務、実習指導、広報活動などにどれだけ従事したか、が重視されてきました。広大でももちろんそれらは重視され、評価されますが、それだけでは働き続けることはできず、新しい研究業績を発表し続けなければなりません。研究するのが苦しい人や習慣づいていない人にとっては「地獄」かもしれませんが、研究が習慣づいていてしかもやりたくて仕方ない私のような人間にとっては「天国」だな、と思います。これから様々な状況変化の中でどう感じるかわかりませんが、とりあえず現状ではそのように思っています。このような環境・条件を整えてくださっている先輩方と大学には感謝しかありません。
 また、これは広大大学院の特徴だと思いますが、教育学研究者志望の大学院生を育てるところですので、自分の研究を院生指導や授業に直接間接に生かすことが可能であり、結果が出ればそれをも業績として評価される仕組みがあります。自分の研究の有用性を身近に実感できるので、とてもありがたい仕組みです。もちろん自己満足ではいけないので、履修生やゼミ生と対話(観察)しながら、どんな風に自分の学術研究と教材研究を展開し、その結果を活用していくか考えて続けていきたいです。こういうことが仕事として評価される可能性があると思うと、幸せな立場に立たせてもらえたな、と実感します。
 さらに、教員養成にも直結する現場(科目)も持たせてもらえており、教職課程担当教員の養成にも関わらせてもらえています。つまり、日本教育史研究者としての仕事、教育学者としての仕事、「先生の先生」としての仕事、そして「先生の先生」を育てる仕事という、自分のしたかった仕事をすべてさせてもらえ、それらがすべて職場で評価していただける。本当にありがたい職場に採用していただいたな、と実感しています。

 ここに、学会の仕事や、学外の仕事、校内・組織内分掌が重くなってきたとき、どういう気持ちになるかわかりませんが、すべて私自身がやりたい仕事につながっていくはずなので、なるべく楽観的に考えようと思います。
 私の現役生活はあと最大20年となりました。だんだんと、「終わり」を意識して仕事する必要性を感じるようになっています。とりあえず、初心を忘れないようにするため、書き留めておきます。
コメント
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