教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

明治師範教育の牽引者―野尻精一

2008年09月09日 22時10分11秒 | 教育研究メモ
 ちょっと間があいていましたが、「大日本教育会・帝国教育会の群像」を更新しました。
 今回は、「野尻精一」氏。明治34(1901)年の公徳養成に関する文部省諮問について、第3回全国連合教育会で文部省派遣員として趣旨説明をした人だったので、調べてみました。
 野尻精一といえば、明治教育史の研究者なら一度は見たことのある、超有名人(のはず)。明治20年代におけるヘルバルト主義教授理論の提唱者の一人であり、ハウスクネヒト門下の谷本富などとは別のヘルバルト主義教授法の普及ルートをつくった人。その華々しい業績のわりに、どういうわけか、あまり知られていない人のように思います。唐澤富太郎編『図説教育人物辞典』(ぎょうせい、1984年)にも独立した項目がなく、別の人の解説にほんの少し出てくるだけです。
 調べてみると、あぁやっぱりスゴイ人だな、という感想。なんといっても、初等教員養成機関の尋常師範学校では校長、中等教員養成機関の高等師範学校では教授であったと同時に、帝国大学文科大学でハウスクネヒトの後任として教育学を講じ、文検(尋常師範学校・尋常中学校・高等女学校教員検定試験)の学力試験委員として教員に求められる知識を規定していたという、明治20年代における凄まじい経歴。野尻は、初等教員検定試験と高等女学校・専門学校以外の教員養成分野の大部分をカバーしていたわけで、教員養成史上でも見逃せない人物でしょう。今日の記事にも、「明治師範教育の牽引者」と題してみましたが、あながち言い過ぎでもないように思います。
 明治30年代以降の文部省視学官や奈良女高師校長としての業績は、史料が手元になかったので書きませんでしたが、たぶんこちらの業績も小さいものではないでしょう。
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