教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

三絃演奏で地域貢献―黒田節の記憶

2008年09月07日 15時46分07秒 | Weblog
 今日は久しぶりに三絃(三味線)演奏家になりました。
 というのは、住んでいる地域の敬老会に行って演奏してきた、というわけです。1週間早い敬老の日のため、地域に住む77才以上の方々を祝う会でした。思っていた以上に立派で、この地域選出の某衆議院議員や市長なども直接出てくるような会でした。
 私はといえば、この会の出し物のひとつとして、友人と二人で三絃の演奏を披露しました。広島大学に入学して以来、同じ所に住み続けて11年目。10年ほど前から一緒に三絃を弾いている友人が同地域に住んでいまして、一緒に出ようと誘われたので出演することになったものです。我々以外の出し物は、民謡・舞踊・チンドンヤ・日舞など5演目ありました。
 私はずっとアパート暮らしですので、地域とふれあう機会など無きに均しいです。しかし、11年も同じ所に住んでいると、実家が別にあるとはいえ、何らかの形で地域に貢献したくなります。あんがい自分を根無し草のように感じていて、おちつく場所が欲しいのかもしれません。来年どこに行くかわからない身ですので、最初で最後になる可能性が高い中、せめてもの「恩返し」をしたいと思い、練習時間の少ない中、演奏を引き受けました。
 演奏したのは、友人がCDから耳コピした「黒田節(津軽三味線風味)」、および吉崎克彦「群」(6章のみ)、杵屋正邦「三絃二重奏曲第1番」の3曲でした。地域のお年寄りに敬意を払い、地域に感謝するという気持ちも盛り上がり、かつ演奏自体も大きな失敗なく弾くことができました。先の春先にあった友人の結婚式以来、久しぶりに気持ちよく演奏できたと思います。
 「黒田節」については、もとは雅楽の旋律にのせた福岡の民謡で、昭和17(1942)年にレコード化されたため、広く普及した曲だそうです。そうはいっても、どれほどメジャーなのかイメージできなかったので、「この曲を知っているお年寄りは多いから」という理由で選曲されたとき、半信半疑でした。しかし、私は気づかなかったのですが、本日の演奏中、口ずさむお年寄りもいたそうです。その話をきいて、知っているお年寄りが多いってホントなんだ、と気づかされた次第でした。
 いや、音楽の記憶はすごいもんですね。50年後、我々がほろっと口ずさむことができる曲は何なんでしょうか。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 道徳教育の「教科」化について | トップ | 明治師範教育の牽引者―野尻精一 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事