仕事の内容を書けないので、ほぼ毎回「大日本教育会・帝国教育会の群像」(略して「群像」)の話題ばかりになるこの頃。
数日ぶりに「群像」の記事を追加。今日は「中島泰蔵」という人物。彼は、明治大正期の実験心理学者です。会員であった期間はハッキリしてないのですが、帝国教育会の高等学術講義会で心理学を講じ、かつ帝国教育会編『公徳養成』の起稿者としての役割を果たした人物です(『公徳養成』については、白石崇人「明治期帝国教育会における道徳教育研究活動」中国四国教育学会第58回大会レジュメ、2006年11月を参照のこと。※このレジュメは、ネット上のある場所に期間限定でPDFを公開しております)。「群像」の記事を書き始める時はそれほど気にしていなかった人物なのですが、まとめてみると印象が一変しました。今ではとても興味深いなと感じています。
中島の専門は心理学なのですが、『公徳養成』を起稿した当時、慶應義塾で教育学の講師もしていました。後には倫理学の講師をすることもあったようです。つまり、中島は単に心理学者として捉えられない専門性を持っていたようです。そもそも、明治期の東京帝国大学の教育学は、哲学の一部でしかありませんでした。同じように、心理学も倫理学も哲学の一部でした。教育学も心理学も倫理学も、今ほど専門分化していなかったのです。心理学を専門とする中島が、教育学を講じられたともいえます。ただ、『公徳養成』の起稿者が誰でも良いわけはありません(文部省諮問から端を発した全国連合教育会の依頼が背景にある程の事業ですから)。わざわざ中島を選んだ、というところにミソがあるのかもしれません。
中島が『公徳養成』の起稿者に選ばれた理由は、資料不足および私の専門的知識不足(とくに心理学)のため、詳しくはまだよくわかりません。ただ、アメリカで心理学を修め、帝大教授・元良勇次郎の下で研究を積み重ね、慶応で教育学を講じていたという彼の履歴が関係していたのは大きいでしょう。心理学に通じているだけでなく、教育学も教えられる程の知識があることを、中島の履歴は示しているからです。また、直前に開かれていた高等学術講義会で講じていた「近世心理学」の内容も、その選考材料だったのかもしれません。その内容は『教育公報』にも別に著作にもなっていないのでハッキリしません。ただ、従来の心理学の性格が哲学的・倫理学的心理学と説明されているように、「近世心理学」もまたそのような内容だったのではないかと思われます。さらに言えば、それまでの教育学は、心理学的教育学とすら呼ばれるほど、心理学の成果をそのまま内容の大半とする場合もありました。それらを総合して考えると、新しい社会的道徳を養成する理論・方法をまとめる役割を、心理学・教育学に通じた中島に求めた理由もわからないでもありません。
まとまらない考えをぶちまけてみました。『公徳養成』の分析で何か言うには、まだまだ資料と研究が足りないなぁ。
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