今朝から雪がずっと降っています。積もった雪は常にとけかけていてベシャベシャです。今冬の山陰では、ほとんど雪が降らなかったので、3月にドカッと降るんじゃないかと思っていましたが、やっぱりきましたね。今回で済めばいいのですが。
さて、調子は相変わらずよくありませんが、少しずつ、短大紀要用の4月1日〆切の「論文」執筆に集中し始めました。幼児教育に関するものなので、教材研究も兼ねています。テーマは、「明治後期の保育者論」。あまりに範囲が広いので、あとで副題をつけます。先行研究をまとめながら代表的な保育思想家の保育者論を整理し、基本資料をつかって少しでも何か言えたらいいかな、という程度のものです。「研究ノート」なので、あまり期待しないでください(笑)。無事入稿できれば(笑)、6月に刊行予定です。
この「論文」を書くきっかけは、今の職場と仕事との関連から、幼児教育に関するものを何か書かなければいけないので、もともと興味があった教育者論や教師論との関連から「保育者論」で何かまとめようと思ったことです。教材研究をしている上で、これはよいと思う「保育者論」のテキストに出会えなかったのも関係しているかもしれません。
まとめている途中で思ったこと。倉橋惣三はやはり面白い。興味をそそります。中村五六も、東基吉も、和田実も、それぞれ興味深いですが、なかでも倉橋は面白い。今でも研究者・保育者の関心を集めるだけあるな、と本当に実感しています。「子ども中心」とは今でもよく使いますが、倉橋の言葉に触れるとその意味をさらに深く考えさせられます。真の子ども理解とは、今をひたすらに生きる子どもを捉えることであり、保育者の基本的あり方とは、まずはその子どもたちと共に生きることである…。倉橋の思想に触れると、こんなことを考えさせてくれます。
そして、「子ども」を「被教育者」と読み替え、「保育者」を「教育者」と読み替えてみる。大学教員をも含みこんだ教育者としてのあり方を述べているようにも思うこのごろ。今の勤務校に来る前の自分には、こんな風に読み替えることはできなかったように思います。
さて、調子は相変わらずよくありませんが、少しずつ、短大紀要用の4月1日〆切の「論文」執筆に集中し始めました。幼児教育に関するものなので、教材研究も兼ねています。テーマは、「明治後期の保育者論」。あまりに範囲が広いので、あとで副題をつけます。先行研究をまとめながら代表的な保育思想家の保育者論を整理し、基本資料をつかって少しでも何か言えたらいいかな、という程度のものです。「研究ノート」なので、あまり期待しないでください(笑)。無事入稿できれば(笑)、6月に刊行予定です。
この「論文」を書くきっかけは、今の職場と仕事との関連から、幼児教育に関するものを何か書かなければいけないので、もともと興味があった教育者論や教師論との関連から「保育者論」で何かまとめようと思ったことです。教材研究をしている上で、これはよいと思う「保育者論」のテキストに出会えなかったのも関係しているかもしれません。
まとめている途中で思ったこと。倉橋惣三はやはり面白い。興味をそそります。中村五六も、東基吉も、和田実も、それぞれ興味深いですが、なかでも倉橋は面白い。今でも研究者・保育者の関心を集めるだけあるな、と本当に実感しています。「子ども中心」とは今でもよく使いますが、倉橋の言葉に触れるとその意味をさらに深く考えさせられます。真の子ども理解とは、今をひたすらに生きる子どもを捉えることであり、保育者の基本的あり方とは、まずはその子どもたちと共に生きることである…。倉橋の思想に触れると、こんなことを考えさせてくれます。
そして、「子ども」を「被教育者」と読み替え、「保育者」を「教育者」と読み替えてみる。大学教員をも含みこんだ教育者としてのあり方を述べているようにも思うこのごろ。今の勤務校に来る前の自分には、こんな風に読み替えることはできなかったように思います。
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