教育史研究と邦楽作曲の生活

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なぜ教育史を学ぶか?1―教育史教育とは何か?

2019年02月20日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 昨年末から一度も投稿できない状態が続いています。論文もそうですが、成績、校務、その他の締切が…… とはいえ、足繁く見に来て下さっている方に申し訳ないので、すでに手元にある原稿を何日かに分けてご披露します。これなら時間がなくても予約投稿でできるから大丈夫!(^_^;)

 これからご披露するのは、所属大学の専門科目「教育史」のためにまとめた授業用テキストの原稿です。第1回目にやるのですが、これがなかなか学生の反応が良くて、このあとの講義をめちゃくちゃ頑張ってくれるようになりました。ノート提出をさせているのですが、私が予想していないくらい、たくさんの考察の跡のある充実したノートを提出してくる学生も大勢いて、本当に驚嘆・感動しています。
 原稿は、教育史教育の意義を考察した論文です。教育史の有用性については数年前から教育史学会で問題になっていますが、私なりの今のところの答えの一つです。(なお、さらに続きとしてこの3月に論文が出ます) なお、出典は白石崇人『[再訂版]資料から考える教育史』広島文教女子大学、2018年です。みなさんが確認できるのは、改訂前のもので、『資料から考える教職原理』広島文教女子大学、2017年の第6章に掲載しています。また、白石崇人「教員養成における教育史教育」広島文教女子大学高等教育研究センター編『広島文教女子大学高等教育研究』第2号、2016年3月、29~48頁を土台にして執筆したものです。

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なぜ教育史を学ぶか?

 本章では、なぜ教育史を学ぶかについて、近年の教育史教育論から明らかにする。ただし、教育史教育論はまだまだ研究が進んでいない。本章は、最近の論調をまとめたものなので、参考にしながら、自分はなぜ教育史を学ぶか考えてみてほしい。

1.教育史教育とは何か?

 一般に、教育史教育というと、教育に関する歴史的事実を年代順に記憶すること、と考えがちである。しかし、このような意味での教育史教育は、その本当の意義を発揮することはできない。教育史教育とは、教育の歴史的事実を年代順に暗記することではない。この点は最初に明記しておく。では、そうでない教育史教育とは何か。まず教育史そのものの意義を確認しておきたい。
 教育史は、教育に関する歴史的事実の体系である。この事実体系は、何年に何があったというだけでなく、この出来事がこの出来事を生み出したという因果関係とその意義とを明らかにする。過去は現在の原因である。過去の経緯を理解できると、現在の出来事が何の理由もなく存在する当たり前のことではなく、今後も変化するかもしれない流動的な存在であることに気づく。教育史は過去の経緯を明らかにし、現在の教育のあり方を相対化する。相対化することによって、現在のあり方は批判可能になる。批判とは、単なる否定や非難ではなく、結論に行き着くよりよい答えを求める行為である。過去(歴史)は、現在を相対化することによって、未来について自由に考える可能性を拓く。
 教育史は、過去の教育の成功を明らかにする。そして、教育する時やその条件整備の際に、守っていくべき理念や手順などを見極める材料を提供する。あるいは、教育史は、過去の失敗を明らかにし、教訓を示す。それは、類似の教育課題に取り組む際に配慮すべき留意点を見つけ出す材料になる。また、教育史は、教師や国民に、現在や将来の教育のあり方に関する決断や合意について、根拠を与え、的確さや説得力を与える材料になる。
 また、教育史は、過去において特定の思想や学説、方法、制度などが成立した歴史的文脈を明らかにする。その結果、現在に生きる我々は、特定の思想・方法等の歴史性に気づく。ある教育方法は特定の時代背景の中で作られたものであり、そのままの形では現在の時代背景の中では十分に役割を果たすことはできないことに気づく。このことに気づくことによって、我々は、現在や将来に合った教育を構想することができる。教育史は、過去の成功や教訓をそのまま現在に適用するような短絡的な「輸入」や、物事の形骸化を防ぐ。あるいは、現在の歴史的文脈に注目を促し、現在・将来の教育に対する慎重・適切な思考と態度を生み出す。
 そして、教育史は、将来のあり方を考える態度を形成し、そのための材料を提供する。教育史は、教師に、教育問題の経緯から問い直すような本質的な教育研究・教材研究を進める立場を用意し、既存のやり方から解放されて、よりよい実践を自由に追究する可能性を拓く。また、教師に限らず、国民一般にとっても教育史には大きな意義がある。教育史は、職業・進路選択や子育て、生涯学習、教育政策への参加などに関する歴史的事実を含む。教育史は、国民にこれらに関する批判的立場を用意し、進路選択や子育て、生涯学習、政策参加などをより主体的に進めていく足がかりを作って、より自由に国家社会の形成に参加する可能性を拓くのである。
 日本の教員養成における教育史教育は、戦前から行われてきた。しかし、今、教員養成における教育史教育の位置は根本から問われている。1970年代以降、日本の教員養成政策では、それまでの教師の一般教養形成を重視する傾向が弱まり、実践的指導力を育成する傾向が強化されてきた。このような流れの中で、教育職員免許法施行規則が何度も改正され、教職課程に教育史単独の科目を設定するかどうか各大学に委ねられるようになった。教員養成の時間・単位数には限りがあり、養成段階で取り上げるべき問題も山積している。このような状況の中で、教育史単独の科目は、大学の教職課程において低い優先順位におかれ、削除されてしまうところも少なくない。今、教育史は、実践的指導力を育成する「大学における教員養成」原則の下で、いかに教育されるべきか問われている。教員採用試験における教育史関係の問題は、教育哲学・思想関係の問題と同様に、思想家の名前や著作、法令名などの細かい知識を暗記しているかどうか問うものが目立つ。仮に教育史教育が暗記教育でよいとすれば、それこそ大学で教育する必要性が問われてしまう。教育史教育の問題は、教育史学者の存在意義に関わるだけでなく、大学における教員養成のあり方に関わる重要な問題である。
 教育史教育とは、教師・国民に対して教育に関する批判的・主体的・教訓的・相対的立場を形成する意識的・体系的行為である。それは、年代順の事実を暗記することでは実現できない。教育史が現在の問題の原因・経緯であることに気づかせ、現在を相対化し、未来を見通すことにつなげることが必要である。このとき学習者が最も働かせるべき能力は、暗記能力ではない。因果関係を理解する論理的能力であり、経緯を踏まえて将来を構想しようとする想像力である。教育史を学ぶときは、想像力をしっかり働かせながら論理的に考えることが重要である。

【出典】
白石崇人『[再訂版]資料から考える教育史』広島文教女子大学、2018年、5~6頁。
※白石崇人『資料から考える教職原理』広島文教女子大学、2017年、41~42頁(第6章)も内容はほぼ同じ。誤字脱字を直した。
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