教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

部活動の外部化をめぐる文化的・歴史的課題

2021年06月13日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 中高教員の労働改革において、部活動の問題はとても大きいです。現在、部活動は学習指導要領に定められた特別活動ではありません。クラブ活動にあたるという可能性はかつてはありましたが、クラブ活動は2008・9年告示の中学校・高等学校学習指導要領から削除されました。現在は、特別活動的な意義のある活動であることは確かですが、学校が自主的に行っている教育活動にすぎません。実際に中高教員の労働時間を大幅に圧迫しているだけに、「減らす改革」において真っ先に検討の俎上にあげられる活動です。財務省が教育予算増額を拒否する理由の一つにも、部活動という教育課程外の活動に時間を割いて教員増員を要求することが筋が通らないというのがあると言われています。
 しかし、部活動に熱心な教員は実際に多く、管理職にも、生徒や保護者、地域住民にも熱心な人々が多くいます。部活動を題材とした作品も多く、一般の人々にも人気が高いものです。いま、部活動の外部化が求められていますが、社会全体を巻き込んで議論しないと、この問題は解決しません。 部活動を日本社会全体の問題とするには、日本文化の問題として検討する必要があると思います。つまり、日本独特の歴史的問題として扱うことです。そうすると、戦後日本、特に高度成長期以降の中高の荒れに対する部活動の位置づけを取り上げるのはもちろん大事ですが、ここではもっと長期的な視点を指摘しておきたいと思います。
 辻本雅史『「学び」の復権―模倣と習熟』(角川書店、1999年。※岩波現代文庫に復刊)は、部活動は、江戸時代の手習塾(寺子屋)やお稽古塾の伝統に連なる、「わざ」や人間としての基本的能力を身につけるための学習文化を継承したものであると述べています。また、さらに重要なこととして、このような伝統的な学習文化は近代の学校文化とはまったく異質なものであると指摘しています。辻本氏はその異質さから現代の学校制度を見直すべきと主張していました。部活動が日本社会に今なお生き続ける伝統文化に連なる学習活動だとすれば、単純な部活動廃止論は日本文化の否定論になりかねません。部活動の国民的支持がこのような「日本人らしさ」ともいうべき学習文化とのつながりにあるとすれば、部活動廃止論はあまりに分が悪い立場にあると思われます。また、部活動の外部化論は、日本社会における学校制度のあり方を本質的に見直すような大きな議論につながらなければ有効なものにはなりません。
  部活動は近代学校制度が日本に定着する過程で現れたもので、近代学校制度の日本化の結果であると考えられます。そうだとすれば、部活動の外部化は、日本の近代学校制度のあり方を再検討した上でなければ十分に実現されないといえます。私は部活動は外部化すべきと思っていますが、ことはそう簡単なことではなさそうです。部活動の文化的・歴史的研究が一層必要です。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 教員制度改革の方向性 | トップ | 学校制度における部活動の異... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

教育研究メモ」カテゴリの最新記事