教師の質向上について、この数年間くすぶり続けている論点に、「教師には社会人(人生)経験が必要だ」というものがあります。今回はこの論点について、少し考えてみましょう。
教師に「常識」がない。子どもたちは将来様々な職業に就くのに、その指導をする教師には「社会」で働いた経験がなく、職業のことを知らない。だから、新卒後、「社会人」経験を数年してから教師になった方がよい。こんな感じの教師論(とくに一般人によるもの)を、最近よく見かけます。
私は、教師に「社会人」経験(教師以外の職業経験)が必要だ、という結論には一定程度賛成です。しかし、上記のような方法論には反対です。
私は、新卒後に教師以外の職業経験をした方がよいとは必ずしも思いません。そういう人がいてもよい、とは思います。しかし、すべての教師がそうであるべき、という論には反対です。教師には必要な専門性があります。それは学校社会・教師社会における教師生活の中でしか身につけられないものです(養成校ではその準備(入門)しかできません)。とくに、新卒の教師に必要なのは、1年間を通してナマの子どもたちに応じながら教科指導(計画・実践・評価・改善のサイクル)をするという、教科指導の初期的な経験です。これは他の職業経験では絶対に身につきません。
教師以外の職業経験が活きてくるのは、その次の段階です。すなわち、教科指導の初期的課題を乗り越えて(なんとか実践的な教科指導ができるようになって)、さらに質を高める段階です。教師以外の職業経験は、教材研究・授業展開の幅を拡げ、教科指導の質を高めるでしょう。より「おもしろい」「役に立つ」授業ができるようになるのです。
また、教師以外の職業経験は、とくに進路指導の質向上には不可欠です。新卒教師の進路指導は、ベテラン教師の進路指導とはひと味違う特徴があります。すなわち、若い教師は子どもの気持ちに共感しやすいため、子どもに応じた進路指導になりやすいのです(もちろんそれには教師に共感能力が必要ですが)。それはそれで大事な進路指導のやり方です。そういう経験をすることは必要です。「社会人」経験が必要であるとすれば、それは新卒の時点よりも、年齢とともに子どもからの共感が滞り始め、進路指導のやり方が定型化しかけた教職生活数年後の時点ではないでしょうか。
新卒教師の人生経験は、養成校時代に十分すればよいことです。そのためにも、養成校のカリキュラムはもう少し余裕のある設計、または様々な経験ができる設計にするべきです。教職課程の改善は、時間数を増やせばできるわけではないと考えます。
したがって、教師に教師以外の職業経験が必要だというのならば、新卒後教師生活に入らずに数年「社会人」経験をするのではなく、数年間教師生活をすごしてから研修の形で「社会人」経験をするのがよいと思います。実はこれは、現行制度で行われていることです。
そもそも、最初のような教師批判は、教師側の事情をまったく知らない/無視していることは明らかです。
教師にない「常識」とは何でしょうか。教師にもちゃんと常識はあります。教師の世界、学校の世界の常識(すなわち教師文化・学校文化)はあるのです。それが他の世界の「常識」とずれていると問題になるのです。ないのではなく、ずれている場合があるから問題なのです。この調整には教師個人の努力も必要ですが、個人でどうなることではありません。学校・超学校の教師集団は、自らの文化・常識を問い直し、他の職業世界との交流を行い、教師文化・学校文化を調整する体制を整え、実践する必要があります。
そもそも、教師に足りないという「社会」経験とは何でしょうか。教師にもちゃんと社会経験はあります。教師社会・学校社会の経験はあるのです。教師社会・学校社会以外の経験が足りない、というのならその通りです。教師は教師社会・学校社会で主に生活しているのですから、足りないのが当たり前です。むしろ教師社会・学校社会における経験が足りない教師は、教師として十分な働きをすることはできません。教師社会・学校社会の経験も必要なのです。問題は、教師社会・学校社会の経験のみが実践的判断の指標となり、判断が客観性を失って硬直化してしまったり、進路指導の場面において導くべき職業の世界のことを知らないために有効な見通しをもつことができなかったりすることにあります。
このように、教師の「社会人」経験は、たださせればよいというものではありません。やるのならば、実践の判断基準や進路指導の内容・方法上の「改善方法」としてやらなければならないのです。であるならば、新卒段階ではなく、教職生活数年後(5年目くらい?)の教科指導研修の高次段階、または進路指導研修の中に取り入れていく必要があります。それはすでに現行研修制度で採られているところです。「教師には社会人経験が必要だ」という教師論の実現は、現行研修制度の徹底(地方によってやっていないなら改善)によって行われるべきものだと思われます。
こう論じてくると、研修制度について一般に知られていないことが見当違いの批判を生み出しているような気が、なんだかしてきました。養成制度中心の論議の弊害ではないかとも思います。やはり、教職生活全体を通じた教師の成長を軸にした、教師論の確立が必要ですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます