映画『ノー・ディレクション・ホーム』(第一部)

2006年03月23日 | Bob Dylan

「本当の自分の家を探して旅をしているようなものだ」
ボブ・ディランは半生を振り返りそう言って映画ははじまります。回想するディラン。場面は吹雪のミネソタ州北部の鉱山町ヒビングになります。ロックンロール音楽に触れ、ジェームス・ディーンに憧れる少年期をここで過し、ミネアポリス大学に入学した頃からフォーク・ミュージックに傾倒していきます。ディランの初期の歌声を録音した友人のトニー・グローヴァーや、ディランに貴重なフォーク・ソングのレコードをごっそり盗まれたポール・ネルソンの証言が紹介されます。

やがてニューヨークに出て、グリニッヂ・ヴィレッジで活動するようになります。ここで登場するのはアレン・ギンズバーグ、ディランに騙されて嘘の経歴を作らされたフォークロア・センターのイジー・ヤング、噂の彼女スージー・ロトロ、ヴィレッジの音楽仲間マリア・マルダー、自伝にも登場したデイヴ・ヴァン・ロンクなど。ディランの演奏シーンが出てきます。

ウディ・ガスリーから多大な影響を受け音楽的に成長したディラン。ミネアポリスに帰郷した時、その変身ぶりに誰もが驚いたといいます。ロバート・ジョンソンのように「悪魔に魂を売ったのさ」とうそぶくディラン。

やがてコロンビア・レコードのプロデューサー、ジョン・ハモンドと契約を交わしレコード・デビュー。デビュー・アルバムはしかし自作が少なかったので出来としては不満だと話しています。2枚目『フリー・ホイーリン・ボブ・ディラン』に収録された「はげしい雨が降る」を聴いたギンズバーグは感銘を受けたと証言。

そしてディランのマネージャーにアルバート・グロスマンが就いた時から快進撃がはじまります。グロスマンは自分が手がけていたピーター,ポール&マリーにディランが書いた「風に吹かれて」を歌わせます。これが時代の潮流と合いヒットします。

この頃、恋仲だったといわれるジョーン・バエズの証言もあります。ディランは汚いかっこうしていたので、ホテルに宿泊を拒否されたことがあったそうです。ジョーン・バエズは差別だと怒りホテルに抗議、その夜の体験をディランはすぐに歌にしたというのです。それが「船が入ってくる時」だそうです。

1963年には2年間休催されていたニューポート・フォーク・フェスティバルが再開されディランが初出演。ジョニー・キャッシュとの出会いがあったそうです。ディランはこのフェスで「風に吹かれて」を歌い喝采を浴びます。時代の寵児として迎い入れられた瞬間でした。

ここで第一部は終わり。自伝を読んでると割りに知ってる部分が多くて、やや退屈な場面もありました。でも、関係者の証言は貴重でした。特にアレン・ギンズバーグ。一体いつ撮影したのでしょう。もう亡くなってから随分と経つんじゃないでしょうか。聞くところによると映画の完成まで3年半ぐらいかかったといいます。もともと締め切りのない仕事だったそうですが。アレン・ギンズバーグは「チベットの僧のことわざにある。自分を超える弟子を持たないものは師ではない」と語ります。ディランは物凄いスピードであらゆるものを追い越していったんですね。この映画は1962年3月のレコード・デビューから1966年7月のオートバイ事故まで。僅か4年と4ヶ月のあいだのドキュメントです。
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