関西文化の日二日目に適塾と国立国際美術館に行ったのには理由があった。
以前記事にした大阪発見まちあるきツアーの「手塚治虫と大阪」マップを参考にした
半日観光ツアーを計画したのだ。
適塾には手塚治虫の曾祖父手塚良庵(のちに手塚良仙と改名)が
359番目の門下生として入門したそうだ。
福沢諭吉の『福翁自伝』に手塚良庵に関する記述があり、
それをヒントにして描かれたのが『陽だまりの樹』なんだとか。
適塾の次は淀屋橋のたもとにある石原時計店へ行った。
よく知った場所だが入ったことは一度もない。
日曜は休みなのか開店してなかったのが残念だった。
現社長の石原実さんは手塚治虫と池田師範付属小学校の同級生だったとか。
四ツ橋にあった電気科学館には手塚治虫を誘ってよく行ったそうだ。
電気科学館には日本初のプラネタリウムがあったという。
そのツァイスII型プラネタリウムは現在、
中之島の大阪市立科学館のサイエンスシアターで展示保存されているそうだ。
大阪市立科学館は国立国際美術館の隣にある。
「手塚治虫と大阪」マップではこのあと徒歩で朝日新聞社ビルディングへ
向かうことになっているのだが、僕は大江橋から京阪中之島線に乗車したというわけ。
朝日新聞社に隣接していた大阪朝日会館で毎年正月三日に漫画映画大会をやっていて、
それを観に行くのが手塚治虫の少年時代の恒例行事だったとか。大阪朝日会館は昭和37年に閉館。
その文化事業はフェスティバルホールに引き継がれたのだという。
「手塚治虫と大阪」マップのルートからは外れるけれど
コースには堂島アバンザもある。毎日新聞社本社ビル跡ということだ。
大阪大学医学部付属医学専門部在学中に、四コマ漫画「マアチャンの日記帳」でデビュー。
掲載されたのが毎日新聞社発行の『少国民新聞』(のちの『毎日小学生新聞関西版』)。
手塚治虫は毎朝中之島にあった大阪大学医学部への通学途中に
毎日新聞社本社に原稿を届けていたとか。
大阪府立大学医学部は移転したが以前はダイビルの前にあった。
現在、毎日新聞社本社は移転し、当地には毎日新聞大阪本社社屋の正面玄関部が
モニュメントとして復元保存されているだけ。
●大阪発見まちあるきツアー「手塚治虫と大阪」
http://www2.ocn.ne.jp/~norimi/tezukamap.pdf
・「手塚治虫と大阪」マップのルート
尼崎町除痘館跡 →適塾→石原時計店→朝日新聞社ビルディング
→大阪大学医学部跡地→大阪市立科学館
以前記事にした大阪発見まちあるきツアーの「手塚治虫と大阪」マップを参考にした
半日観光ツアーを計画したのだ。
適塾には手塚治虫の曾祖父手塚良庵(のちに手塚良仙と改名)が
359番目の門下生として入門したそうだ。
福沢諭吉の『福翁自伝』に手塚良庵に関する記述があり、
それをヒントにして描かれたのが『陽だまりの樹』なんだとか。
適塾の次は淀屋橋のたもとにある石原時計店へ行った。
よく知った場所だが入ったことは一度もない。
日曜は休みなのか開店してなかったのが残念だった。
現社長の石原実さんは手塚治虫と池田師範付属小学校の同級生だったとか。
四ツ橋にあった電気科学館には手塚治虫を誘ってよく行ったそうだ。
電気科学館には日本初のプラネタリウムがあったという。
そのツァイスII型プラネタリウムは現在、
中之島の大阪市立科学館のサイエンスシアターで展示保存されているそうだ。
大阪市立科学館は国立国際美術館の隣にある。
「手塚治虫と大阪」マップではこのあと徒歩で朝日新聞社ビルディングへ
向かうことになっているのだが、僕は大江橋から京阪中之島線に乗車したというわけ。
朝日新聞社に隣接していた大阪朝日会館で毎年正月三日に漫画映画大会をやっていて、
それを観に行くのが手塚治虫の少年時代の恒例行事だったとか。大阪朝日会館は昭和37年に閉館。
その文化事業はフェスティバルホールに引き継がれたのだという。
「手塚治虫と大阪」マップのルートからは外れるけれど
コースには堂島アバンザもある。毎日新聞社本社ビル跡ということだ。
大阪大学医学部付属医学専門部在学中に、四コマ漫画「マアチャンの日記帳」でデビュー。
掲載されたのが毎日新聞社発行の『少国民新聞』(のちの『毎日小学生新聞関西版』)。
手塚治虫は毎朝中之島にあった大阪大学医学部への通学途中に
毎日新聞社本社に原稿を届けていたとか。
大阪府立大学医学部は移転したが以前はダイビルの前にあった。
現在、毎日新聞社本社は移転し、当地には毎日新聞大阪本社社屋の正面玄関部が
モニュメントとして復元保存されているだけ。
●大阪発見まちあるきツアー「手塚治虫と大阪」
http://www2.ocn.ne.jp/~norimi/tezukamap.pdf
・「手塚治虫と大阪」マップのルート
尼崎町除痘館跡 →適塾→石原時計店→朝日新聞社ビルディング
→大阪大学医学部跡地→大阪市立科学館