1月23日(日) くもり。
兵庫県立美術館で18日から開催されてる森村泰昌展覧会「なにものかへのレクイエム」を見に行った。この日は森村泰昌のトーク・イベントが行われるということだったので、整理券が配布される時間に会場到着するつもりで出かけた。
■特別展「森村泰昌 なにものかへのレクイエム - 戦場の頂上の芸術」
コレクション展III 小企画「その他」のチカラ。森村泰昌の小宇宙
トーク・イベント「自作を語る/レクイエム、それから」
2011年1月18日(火) - 4月10日(日) 兵庫県立美術館
http://www.artm.pref.hyogo.jp/
ネタばれになるのでひかえめに。
1970年11月25日に三島由紀夫が盾の会を率い、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自衛隊のクーデター決起を訴えた演説をモチーフにした写真と映像による作品がメインの第一章「烈火の季節」。ほかには1960年10月12に日比谷公会堂で行われた三党党首立会演説会において、日本社会党委員長の浅沼稲次郎が17歳の右翼の学生に刺殺された一瞬をモチーフにした写真作品などがある。
トーク・イベントの中で森村は、自分の人生の中において歴史的な一日となった最初の日は三島由紀夫が割腹自殺した1970年11月25日だと話した。「二十世紀の男たち」がテーマの「なにものかへのレクイエム - 戦場の頂上の芸術」は、だからそこからはじめたのだと。三島に扮した森村の演説は日本の芸術を憂い決起を促す内容となっている。
作品はどれも森村の批評がある。個人的に胸を打ったのは第二章「荒ぶる神々の黄昏」の映像作品「独裁者を笑え/スキゾフレニック」。ヒットラーとチャップリンの『独裁者』をモチーフにしている。この中で「笑い」が重要なのだという森村の批評があった。
今回の個展 「なにものかへのレクイエム - 戦場の頂上の芸術」では新たに第三章「創造の劇場」と第四章「1945・戦場の頂上の旗」が公開された完全版。2010年度の毎日芸術賞を授賞したそうだ。
トーク・イベントの最後は最新作「海の幸・戦場の頂上の旗」の解説と上映。森村泰昌が掲げた旗の色の意味が興味深かった。「あなたなら何色の旗を掲げますか?」という問いに、僕の答えはまだない。
帰りは寄り道をして三宮へ。時間は午後5時を過ぎていた。
今年も震災のあった1月17日は(関西では)新聞もテレビもトップで震災関連のニュースだった。僕も毎年それであの日のことを思い出す。 もう十六年前の話だ。1995年1月15日は成人の日だった。もう記憶もあやふやだけれど僕はクルマに乗って三宮へ行ったはずだ。ケータイもないし、パソコンも持ってなかった。何の記録も残ってない。あの日の気持ちに戻って写真を撮った。
そごうの前から三宮センター街を臨む。
神戸国際会館。
たくさんの人でにぎわってた。人気の公演の開演前だった。僕には関係なさそうなので素通りだ。
神戸市役所の前を通って東遊園地へ。公園の向こうにはタワーマンションが完成してた。
時間が止まったままの時計。
男の子たちがその前でスケボーをしてた。なんと平和な光景だなと思った。
十六年前の僕は元町の高架下にも行ったはずだ。何か買ったのかもしれない。まだヴァージンメガストアがあって、よくCDを買っていた。確か三宮にはイエロー・ジャケットとかいう輸入盤を扱うレコード店があったはず。中古レコード店もいくつか知っていた。そうだ、ハーバーランドの西武百貨店は1994年の年末をもって閉店したんだ。1994年の春、西武に入ってたWAVEで、僕はカート・コバーンの訃報に触れた。
僕の記憶の中では三宮を訪れた四十八時間内にあの大きな揺れがあった。テレビで瓦礫になった三宮の街を見て愕然とした。震災から復興して何年か経って気がついたのだが、僕のよく知っていた店はほとんど姿を消していた。クルマを停めていた駐車場は家電店の客用パーキングだったが二度と復活することはなかった。そんな話は誰ともしない。
外国人旧居留地のあたりには古い建物が残ってる。
三井住友銀行。
旧居留地38番館。
神戸大丸のカフェラで人生を思った。