大多喜にはお城まつりをはじめ、通過も含めると年に数度はきているけど、肝心の大多喜城には入ったことがなかったので、養老渓谷からの帰り道に寄ってみた。
本多忠勝が入城後に3層4階の天守を持つ近世城郭にしたらしいが、途中で荒廃したり火事にあったりで、今建っている天守は昭和50年に建築されたもの。中は県立博物館になっていて、11月3日の文化の日、入園料が無料とのこと、ラッキー。
天守の前には、大正のはじめ大原と大多喜の間を結んでいた人車軌道の復元車両が置かれていた。連休中にイベントがあるらしい。
海岸近い大原から山の中の大多喜までこの車両を押して坂道を上るというのはかなりの重労働だと思う、それに乗り心地も悪いだろうし…。
階段を上って展示物を見物、写真撮影は個人の利用に限っては自由らしい。昔の町並み写真など興味深い展示も多かった、中でも面白かったのが町のジオラマ。
最近のデジカメでジオラマモードで撮ると、たしかにこんな写真になるよね。
茅葺き屋根が並んだ江戸時代の街道と城下町。さぞかし美しい風景だったのではと夢想する。
お城の構造がよくわかる。石垣はなかったのか、家臣の住居はどの辺りなのだろう、現在の町並みとの比較は…、いつまでも見ていられる。
鉄筋コンクリートで再建された天守閣でも町のシンボル、町の人のアイデンティティに大いに影響を与えているんだろうな、と思う。
本多忠勝が入城後に3層4階の天守を持つ近世城郭にしたらしいが、途中で荒廃したり火事にあったりで、今建っている天守は昭和50年に建築されたもの。中は県立博物館になっていて、11月3日の文化の日、入園料が無料とのこと、ラッキー。
天守の前には、大正のはじめ大原と大多喜の間を結んでいた人車軌道の復元車両が置かれていた。連休中にイベントがあるらしい。
海岸近い大原から山の中の大多喜までこの車両を押して坂道を上るというのはかなりの重労働だと思う、それに乗り心地も悪いだろうし…。
階段を上って展示物を見物、写真撮影は個人の利用に限っては自由らしい。昔の町並み写真など興味深い展示も多かった、中でも面白かったのが町のジオラマ。
最近のデジカメでジオラマモードで撮ると、たしかにこんな写真になるよね。
茅葺き屋根が並んだ江戸時代の街道と城下町。さぞかし美しい風景だったのではと夢想する。
お城の構造がよくわかる。石垣はなかったのか、家臣の住居はどの辺りなのだろう、現在の町並みとの比較は…、いつまでも見ていられる。
鉄筋コンクリートで再建された天守閣でも町のシンボル、町の人のアイデンティティに大いに影響を与えているんだろうな、と思う。