先日、長野市の権堂という繁華街にある映画館に「聖の青春」という映画を見に行った。
この映画は将棋の天才、羽生善治のライバルとして将棋に青春のすべてをかけた村山聖の生き方を描いたものだ。
ネフローゼ、膀胱癌を患いながら壮絶に生きた、そして29歳の若さで逝った彼のことはリアルタイムで知っている。
将棋も僕の趣味の一つだったからである。
この映画を一緒に見に行ったかみさんは、さっそく女性の為の将棋教室という本を買ってきた。
僕が易しい3手詰めの詰将棋の問題を将棋盤に並べ、かみさんは何時間も駒をあちこち動かしている。
60の手習いとはよく言ったものだ。
この時、権堂の古本屋の店先でふと、一冊の本が目に留まった。
題名は「雑草小舎便り」。
このブログの題名は「白樺小舎便り」なので、一瞬目にしただけで「ん?」と反応した。
似たようなことを考える人もいるものだ。
さっそく買い求めて読んでみた。
著者は遠藤ケイという人で、「都会を捨て、自給自足ー南房総の雑木林に丸太小屋を建て、豊かな自然のなかに家族四人が生活する。山菜採り、魚獲り、動物たちとの触れあい...。つい実験してみたくなる爽やかな画文集。という紹介が裏表紙にある。
写真を見ると、ひげもじゃの「熊さん」と呼んだ方がふさわしい感じなのだが、ものの考え方や、感じ方が僕とよく似ていることに驚いた。
そもそも、僕の白樺小舎便りは20年ほど前、家庭新聞として身近な人たちに配るために発刊したものだ。
庭に白樺の樹があったし、山小屋を擬して白樺小屋便りという名前を考えてみたが、どうもしっくりこなかった。
そこで、小屋を小舎に変えた。これはまったく感性というしかない。
新聞という形では130号まで発刊した。
現在も時たま発刊している。
だが、時代の流れというのだろうか、ブログという形での表現に移った。
雑草小舎便りの奥付を見ると昭和57年改題となっているので、三十数年前だ。
真似をしたわけではないが、僕の方が後になる。
今では当たり前になってしまったけれど、当時はパソコンで縦書きの新聞を作るのは専門のソフトがないとかなり難しかった。
クリアファイルに挟んだ白樺小舎便りの130号分は、この二十年余りの我が家の歴史そのものだ。
主力がブログに移ってしまった今でも、紙に印刷した「白樺小舎便りは」、こちらの方が正統だと思っている。
11月だというのに雪が降って、僕は、自分で作ったログハウスのこもって、自分で作ったロケットストーブでカレーを煮ながらこれを書いている。