五月の風がほほをなでる。
正月以来の飯縄山(いいづなやま)。
この山に正月に登った。
双耳峰の両方にある地蔵様の前掛けを取り替えるのが恒例になっているが、雪で隠れて本峰の地蔵様が見つけられず、春に宿題として残されていた。
この前峰には飯縄神社がある。絶好の展望台。本峰より数メートル低い。
少し雪が残った稜線を辿れば本峰。
晴れた五月の空。
なんて美しい五月
なんて美しいパリ
赤い血を流し 泥にまみれながら
この五月のパリに 人は生きてゆく
なんて美しい五月
なんて美しいパリ
風よ吹いておくれ
もっとはげしく吹け
青空のかなたへ
我らを連れゆけ
なんて美しい五月
なんて美しいパリ
年老いた過去は 今みにくくおびえ
自由の叫びの中で 何かが始まる
なんて美しい五月
なんて美しいパリ
ほこりをかぶった 古い銃は捨て
パリの街は今 再び生まれる
なんて美しい五月
なんて美しいパリ
歌え自由の歌を とどけ空のかなたへ
この五月のパリに 人は生きてゆく
(美しき五月のパリ)
この歌が心の中に響き渡る。
民衆の自由を求めるこの歌が今もこの国には必要だ。
日本200名山に選定されている。
「どうした、元気ねえぞ(ないぞ)!」
この何気ない一言が大きな波紋を引き起こすことになった。
元気ねえぞ!事件の発端だ。
グレートトラバース、日本200名山一筆書きの飯縄山編。
多くのギャラリーが待つ飯縄山頂に山のスーパースター、田中陽希(敬称略)がたどり着いた。
たくさんの歓声と拍手。
一緒に写真を撮ってくれとねだる女性たちの群れ。
そうしたひと時の中で、この言葉が田中の心に突き刺さった。
群衆から離れ、カメラに向かってボソッと言った。
「そりゃ僕だって疲れますよ。(人間だもの)」
この事件以降、田中はファンとの距離を置くことになる。
人当たりが良くいつもにこやかな好青年といったイメージの田中と求道者としての田中が両立しなくなった瞬間だ。
長い時間この事件を引きずったが、やがて一層成長した姿で姿を現した。
穂高から涸沢に下る途中、上ってくる田中に偶然会った。気さくに写真撮影に応じてくれた。
「また会うかもしれませんね」とにこやかに言った。
彼は穂高から重太郎新道を下って上高地、涸沢まで。
僕らは涸沢から上高地。
事実、僕らが明神で休んでいると彼はさっそうと現れ、売店に入り、店の人と話をして瞬く間に去っていった。
僕は追っかけはしたくない人間だが、偶然に出会うのはすごく嬉しい。
全国放映され、心無い言葉とも取られがちだが、地元の人間として少し釈明したい。
信州でも、特に北信の言葉はかなりキツイらしい。
単なる激励の言葉に過ぎない。多分他意はない。
それまでの行程を見ると、極限に近いまでに追い込んだ田中の体力が、それを受け止めることができなかっただけに過ぎない。
それが全国放映され、それを言った方もトラウマになったに違いないと僕は思っている。
言葉というものは難しい。言う側と受け取る側のズレは事件を生む。家庭の中でも日々実感している。
まあ、多様性許容が昨今の要請だ。違う人間だから、違って当たり前。分かり合える普段の努力が欠かせない。
俗世間のもろもろを忘れさせてくれる、高妻、乙妻。さすがに修験道の山。
正月にやり残したミッション。
ビフォー、アフター。
手前、黒姫山。
奥、妙高山
左、火打山。
名山の宝庫だ。
遠くに行かなくても、近くにこんな山々がある幸せ。
しみじみと感じている。
(五月九日登頂)