多分、甲州街道を歩き始めたのは2,017年の年末か2018年の年始めの頃。
北国街道を手始めに、中山道、東海道を歩き終えた後だ。
信州の下諏訪から日本橋を目指して歩き続け、甲州の山梨、相模の神奈川、そして前回小仏峠を越えて高尾駅まで到達した。
今回は高尾駅から府中まで二十数キロ。日本橋までの五十キロの約半分。
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下諏訪の駅前に車を停め、各駅停車6:21発高尾行に乗る。
歩き続けた街道筋を見ながら、あんなことがあったな、こんなこともあったなと、懐かしさがこみ上げる。
前回は6月、その前はもう3年半も前。水害や、コロナ騒ぎで思うように出かけられなかった。
高尾には9:23分の到着予定だったが、人身事故があったとかで、大月の辺りから停車する時間が長くなった。
到着は10時少し前。気持ちの整理と出発の心の準備のため、隣のカフェに入った。
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江戸とはいえ、「本当の江戸は山手線の中でゲスよ」と春風亭柳喬が言うように高尾の辺りは都会の砂漠感はない。
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マンホールのふたが、町ごとに違って興味深い。
途中、ファミレスに入ったが、昼時で順番待ちをしている人がいたのですぐに出た。
日野自動車やコニカミノルタの大きな工場がある通りで、多分他にも食事処はあるだろうと、歩き続けた。まだ、10キロも歩いていない。
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小さな蕎麦屋(うどんもある)があったので迷わず入る。
ワシらにはファミレスより蕎麦屋が似合う。
さすがにこの辺りには旧甲州街道の面影のようなものは少ない。
それに、当方の興味も遺跡にはさほどない。
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このようなものも稀にある。
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川には潤いがある。
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この多摩川を渡れば立川市。
モノレールが走って行った。
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川の浅瀬で鳥たちが会議をしていた。
この街道筋は自転車に乗った人が多い。
特に子供を屋根付きの椅子に乗せたママたちが何人もさっそうと走っていた。保育園や幼稚園への送り迎えなのだろう。
「この町では、車に轢かれるよりも自転車に轢かれそう」
カミさんが言った。
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夕暮れがせまり、車にライトが付いた。
府中が終わり、調布市の看板が出てきた。
左折する。旧甲州街道から20号線の通りに出る。
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今夜の宿、武蔵野の森。
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狭いが、和室だ。
最上階の10階に2部屋だけある。
ワシら老人には、畳にふとんが良い。
ベッドでは寛げない。
トイレと浴室が一緒なんて信じられない。
今回は別々だ。
10回からの夜景は湿った空気の中で心に染みた。
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夕食は四川料理店のマーボー豆腐。
美味しかったが、疲れすぎたカミさんは食べられなかった。
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翌朝、6時出発。
西武線の白糸台からJRの武蔵境駅に。
ここでやらかした。
JR線乗り換えという自動改札があったので、切符を入れるとストップバーが飛び出して行く手を遮られてしまった。
「???」
訳が分からず右往左往していると、通りかかった人が「JRじゃない切符を入れたのでは?」と教えてくれた。親切に感謝。ほとんどの人が定期やSuicaで通っていく。
この時間帯、通勤や通学の人で、戦場のような有様。
「どうしたらいいんだ?」途方に暮れた。その時、偶然運転手らしき人が通りかかったので、事情を話す。
西武線の窓口に連れて行き、係員に説明してくれた。
「いったん外に出て、JRの切符を買い別のの改札から入ってください」とのこと。
自分が田舎者だと、思い知らされたのだった。
その後も、悪戦苦闘は続くのだった。
みどりの窓口で、特急あずさの切符と乗車券を買おうとしたら、券売機で買ってくださいと、けんもほろろ。
この券売機もさっぱりわからない上に、後ろに人が並ぶ。
「わからないのでお先にどうぞ」を二回繰り返す。
「うちではパソコンを使いこなしているのに、どうしてここではだめなの!」
カミさんの声が飛ぶ。
何とか切符を買った。
あずさに乗るのは立川駅から。そこまでは各駅停車で行くのだが、通勤通学ラッシュがすごい。
立川駅に着いたが、トイレや改札がどこにあるのかも、全くわからない。人の激流の中で立ち止まっていることもできない。
JRの看板は、『駅のことを全く知らない人が、自分が困らないように設置する』を基本にするべきだ。
昨年、「あずさは今後すべての車両が座席指定になります」というポスターを見た。
『座席指定という事は、乗る電車も座席も決まっているのだな」と思った。
だが、券売機で買った切符にはどのあずさに乗るかも座席番号も見つからない。
「いったいどうなっているのだ?」
券売機での買い方が悪かったのだろうか。いまだによくわからない。
駅員に聞くと、何時発でもよいので赤いランプの付いた席に座ってくださいとのこと。
赤いランプは一つの車両に三つくらいしかなかった。
帰りの車両も人身事故とかで、少し遅れた。
都会では日常茶飯事なのだな。
甲州街道の旅で、時々憧れの目で見ていたあずさにとうとう乗ることができた。あのあずさ5号だ。
乗っていると、風景がほとんど見えないまま車窓を流れていく。
どうやら、俺は特急向きにできていない。
「特急とか、新幹線はあこがれながら外から眺めるものだ」
そのことに気が付いてしまった。
18切符で旅をしていた時貧乏旅行だと思っていたが、それは最高の贅沢だったんだ。
旅の最終章は断固各駅停車旅だ。
固く心に誓った。
10月12日 高尾駅~ホテル府中の森 27.16km 7:08:13