昨夜はホーキングが語る宇宙論を観た。
テーマは「創造主」
以前にも一度みたことがあるような気がしたが。
何度観ても面白いので。
まず、宇宙の創造に必要な3要素。
これは、物質とエネルギーと空間。
現在の世界、現在の宇宙が存在するためには「因果律」が必要であり、その為には「時間」が必要。
世界・宇宙を作ったのが「創造主」だと仮定する。
我々の宇宙は「ビッグバン」により、素粒子より小さい点から急激に膨張した。
そしてビッグバンと共に「時間」が流れ始めた。
したがってビッグバン以前は世界・宇宙は「無」であり「時間」も存在しなかった。
ここでホーキングは「時間」が存在しなかったので「創造主」が宇宙を「創造」する時間もなかった。
したがって「創造主」は存在しない。すなわち「神」も存在しないと結論付ける。もちろん「天国」も「あの世」もない。
これは非常に明快な論理だ。自分も全くそう思う。
「創造主」も「神」も存在しない・・・これはホーキングの結論であり、現代人の科学的共通認識だろうと思う。
しかし、古代からの情緒的感性による「信仰」「宗教」を否定するものではない。
「信教は自由」であり「思想・信条の自由」は人類の根本原理である「自由、平等の理念」であるからだ。
こういった「創造主」「神」の存在の考察と並行して、「存在」の考察がある。
これは非常に面白い。
物質・エネルギー・空間の3要素により宇宙は形成される。
その為に必要なのは「数学と因果律」である。
それを作ったのが「神」「創造主」だとすると。では「神・創造主」を作ったのは何者か・・・となる。さらにそれを作った「存在」とは、と「無限の問い」が繰り返されて結論は出ない。
「存在」とはそういうものだ。
これは地球の一点から初めて「地球の端はどこか」と問うのと似ている。
地球は球体だから「端は無い」
これと似ているのが時間の流れにおける「今」の存在と「自我・自己」の存在だ。
時間の流れにおける「今」も「自我・自己」も共に、はっきり「存在」するが「有る」とも「無い」ともいえないものである。
まさに「存在」としかいえないものである。
これらの考察と非常に似ていると思えるのが「量子力学」における「空間」の捉え方だ。
それによると「無」の空間は「素粒子」が生まれては消える、エネルギーに満ちた「場」とのことだ。
これを「有」「無」の概念でいうと「有」であり「無」である「存在」ということになる。
したがって、アインシュタイン、ホーキング、量子論、存在論・・・を総合すると一つの結論が得られる。
すなわち、宇宙、世界、空間、時間、自我・自己は「有であり無である」あるいは「有でもなく無でもない」存在ということになる。