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世界のニュースを見ていたら、日本政府の靖国神社参拝に対する姿勢に手厳しい論評をしていた。
「私的な参拝」といっても政府高官や一国の首相に「私人」と「公人」の線引きがあるのか、という論評は面白かった。
一国の首相や閣僚までが「公私混同」するところが、「島国根性」であり国際的視野の狭さだと思った。
官房長官や首相は、ここぞとばかり「信教の自由」を持ち出して、公人の靖国参拝の言い訳をしているが。なんかおかしい。
公人だからこそ「信教の自由」を尊重して「靖国参拝」を控えるべきが道理と思うのだ。
なぜなら「靖国神社」は一般の神社や宗教とは際立って異質なものであるからだ。
日本軍国主義と「国家神道」のシンボルであるからだ。
太平洋戦争における特攻隊、万歳突撃、玉砕のシンボルであるからだ。
230万人もの日本国民を玉砕、特攻の死へ追いやった日本軍国主義の精神的支柱である「国家神道」のシンボルであるからだ。
海外メディアはそこを報道し、海外に事業展開する日本企業もそこを残念がっている。
「靖国参拝」という時代遅れのナショナリズムに固執する日本の政治家達は、海外進出する日本企業と国際関係にどれほどの損失を与えるか、考えたことがあるのだろうか。
日本の政治家、政府閣僚に求めたいのは、偏狭なナショナリズムではなく、グローバルな国際感覚であると思っている。