現代は「教育」そのものが大きく変化しているように見える。
文科系科目を廃止して歴史の変わりに、理科系、数学などの科目を増やすというような、まったく「教育」に無知な文部科学省の提案も見られた。
いかに教育者に「哲学」がないかを露呈したものと言えるだろう。
「子供の教育」は時代、文明、国家によって、その要請から様々に迷走してきたのが実情だろう。
軍事国家での子供の教育、特定のイデオロギー国家での教育・・・そういったものが世界を混乱に巻き込んできたのが人類の教育の歴史であるともいえる。
「子供の教育」の目的とは根本的には「子供を善くする」ためであると考えられる。
しかし現代にいたっても、全く達成されていないばかりか、世界はますます混乱が拡散しているように見える。
ことほどさように「子供の教育」が難しいということであると思われる。
それでは、なぜ「子供を善くする」教育が難しいかと考えてみると。
これが、そう単純なことではないことがわかる。
ごく要点をまとめると「子供、あるいは人間とは」という問題と「善い」とはどういうことかという、とてつもない問題を含んでいるからだ。
これは全く「哲学的問題」となる。
したがって、現代の教育が迷走し、混迷している原因は「哲学」の不在「教育哲学」の不在が根底にあるのだろうと推測される。
ひらたく言ってしまえば現代人と現代の教育現場での「哲学の不在」であろうと推測される。
小学校でプログラミングが必修科目になると発表があった。
現代社会を生き抜くにはプログラミングを習得することは、読み書き、算数を学ぶこと以上に必要だろうと思う。
しかし、こうした技術文明、科学文明の現代であるからこそ「人間とは」「善い」とはを問いかける「哲学」が最大に必要であろうと思う。
「哲学」なんか生活に何の役にも立たないという学者、科学者、政治家こそ、人類の進歩に何の役にも立たない人種であろうと思う。