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テレビで仏像を訊ねる番組を見ていたら、面白いことに気付いた。
本来、仏教に仏像は無い。
釈尊(釈迦)は「法」を説いたのであって「偶像崇拝」は禁じた。
時代を経るにつれ、また仏教が世界に広がっていくにつれ土着の文化、風習と融合して仏像崇拝、偶像崇拝が広まっていった。
しかし仏教は本来「法」を根本とするので、仏像崇拝、偶像崇拝は、本来の仏教とは関係が無いともいえる。
仏像崇拝、偶像崇拝が広まることによって、仏教が形式化し、儀式仏教、葬式仏教、観光仏教となり、釈尊本来の「衆生救済」という仏教の精神が失われていった。
これはキリスト教における教会の堕落と同じ経過ともいえる。
当然のことながら釈迦が弟子達の葬儀を執り行ったという記録は残っていない。
したがって仏教の本来の精神からすると、仏像の類は文化遺産、美術遺産として見るべきもので、崇拝の対象ではない。
もちろん仏像に祈りたい人、崇拝したい人があれば、それは当然ながら自由だ。
ところで、ヒンドゥーの神々を見ると、空を飛び、戦闘を繰り広げ、さながら宇宙戦争のように見える。
古代史研究家の中にはヒンドゥーの神々は、古代に地球に来訪した宇宙人だと見る人達も多い。
宇宙船に乗って核戦争を繰り広げているように見えるからだ。
それを思い出したものだから、仏像の異様な姿を見ていたら、これも宇宙人に違いないと思うところがあった。
十一面観音像などは頭に全方位を見渡せるセンサーを付けたヘルメットを被った宇宙人にように見える。
十二神将などはまさに、さまざまな超能力兵器を携えた宇宙人そのものだ。
千手観音などはカニのような形態の異星人ではないかと思えるフシがある。
もちろん千の手ですべての衆生を救うという意義を表しているんだろうが。
「胎蔵界曼荼羅」などを見るとまさに宇宙人の世界、異星人の世界に見える。
近年は「古代の神々」は宇宙人であるという説を唱える研究者が多い。
そういった目で仏像をよくよく眺めてみると、中には異星人と見えるものもあるように思える。