日本国憲法が規定する「政教分離の原則」を日本人は正確に知っていないような気がしてならない。
「政教分離の原則」は「思想信条の自由、表現の自由、信教の自由」に深く関連している。
アメリカ建国の父の一人で独立宣言起草者の一人、ジェファーソンは精神の自由を最大の人権として重視した。
通常の州会議事堂にはチャペルが併設されている。
しかしアメリカ建国の父ジェファーソンの出身州の集会議事堂にチャペルは無い。
そこまで徹底してジェファーソンは精神の自由、ことに信教の自由を尊重した。
さて日本においては「思想・信条の自由、信教の自由」が事実の上で実現したのは太平洋戦争後、日本国憲法が制定されてからである。
太平洋戦争終結まで、国家神道による政教一致により、大日本帝国臣民には、思想・信条の自由と信教の自由はなかった。
神道と政治権力との政教一致の悪夢を二度と招かないように、国家権力が特定の宗教と結びつかないように規定したのが「政教分離」の原則だ。
現在の政治家が公人として靖国神社を特別扱いする行為は「政教一致」の規定に抵触する恐れがあると考えられる。
一票の格差と同様「違憲」の可能性が高いのではないかと考えられるのだ。
日本人は「政教分離」を正しく理解していないように思われる。
「政教分離」とは、宗教者が政治参加することを否定しているものではない。
キリスト教、仏教、神道・・・その他、政治家がどんな宗教を持とうと、それは「信教の自由」で保障されている。
それは個人の精神の自由であり「政教一致」とはいわない。
政教一致とは、国家権力が特定の宗教と結びつくことであり、それを許さないために国家権力に規制を加えるのが「政教分離」ということなのだ。
したがって日本政府が靖国神社を特別扱いすること、これが「政教一致」にあたる疑いがある。
諸外国が政府要人の靖国神社参拝に神経質になるのは、日本における「国家神道」の復活、軍国主義化に懸念をもっているからだ。
つまり諸外国のほうが日本国憲法の「政教一致」をよく理解しているといえる。
逆にいえば、日本の政治家と日本人のほうが「日本国憲法」をよく理解していないと言えると思う。