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ブログ版 シュプリッターエコー

内なる神戸―米田定蔵・とみさわかよの2人展

2007-08-21 18:59:53 | 美術
 神戸を撮り続けているベテラン写真家の米田定蔵さんと中堅の剪画(せんが)作家のとみさわかよのさんが2人展「神戸・まちかどの光陰」を元町通4丁目のこうべまちづくり会館ギャラリーで開きました(8月16日~21日)。
 なににつけても、これでもか、これでもかと過剰な表現が目立つ昨今ですが、そんな表層的な流行や熱狂には距離を置いて、どれも堅実な、むしろストイック(禁欲的)といってもいい明快でハードな作品が並びました。

 写真についてはもうなにも前置きは要らないでしょうが、剪画についてはまだ少し説明が必要かもしれません。
 黒い紙にカッターナイフで切り込みを入れ、切り込んだところを白く抜いて、その白と黒の鋭いコントラストで表現を繰り広げていくのです。一般には切り絵といったほうがわかりいいとは思いますが、それをあえて剪画と呼ぶのは、芸術的な創造性をより強く意識して制作に取り組みたいと、そのような思いを込めてのことのようです。

 米田さんの写真は静かです。震災で倒壊したビルを撮っても静かです。神戸という都市は日本の近代化のトップランナーだっただけに、ヨーロッパから導入した様式建築の豪奢なストックがありましたが、多くが震災で失われることになりました。ファサードをギリシャ神殿のような美しい列柱で飾った新古典主義的な建物も、もう復活のすべもありません。神戸の景観を愛してきた市民には慟哭(どうこく)のきわみです。けれど、そんな場合でさえ、米田さんが写したその残骸と瓦礫(がれき)の山は静かです。感情を抑え、そこにあるものをあるがままに受け止める、そのカメラ哲学を貫徹しているからでしょう。人びとはその崩壊の冷徹な記録の前で、みずからの奥からあふれてくるみずからの悲しみに浸るのです。

 とみさわさんの剪画作品もまた同じように静かです。北野界隈の数々の異人館、繁華街へ下りていく急な坂道、街角の彫刻、元町の商店街…、それらがカッターナイフの鋭利な刃先でそこに再現されますが、油彩や岩絵具の風景画と根本的に違うのは、建物であれ、樹木であれ、道であれ、対象が常に一次元の一本の線に還元されて表現されるということです。色彩も黒か白の両極へ強く収れんしていきます。徹底的に引き算の世界です。余計な感情はどんどん削(そ)がれていくのです。現代美術はアクションペインティング、ハプニング、パフォーマンス、そして大掛かりなインスタレーションへと、表現の強度をひたすら増幅してきたような趣がありますが、これら激情の洪水のなかで、抑制された作品は爽快(そうかい)です。作家がみずからの感情を控えたそのぶん、見る人それぞれがみずからの“内なる神戸”をそこに映して、至福の時と出遭ったともいえるでしょう。