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ブログ版 シュプリッターエコー

田辺眞人さんに神戸・ロドニー賞

2008-12-16 15:26:15 | 都市
 神戸には「ロドニー賞」という不可思議な賞があります。
 ふつう賞というと、国とか自治体とか大きな企業がつくる財団とか、そのような権威のある機関が設けるものですが、「ロドニー賞」というのは権威というものとはまったく無縁な賞なのです。
 神戸の市民が神戸の街をおもしろくしてくれた人に「ありがとう」と心を込めて贈る賞です。
 正賞は地元の六甲山から採れた美しい御影石(花崗岩)の彫刻(抽象)です。

 18回目を数える今年は歴史学者の田辺眞人(まこと)さんに贈られました。
 神戸・元町の神戸凮月堂ホールで授賞式と田辺さんの記念講演が行われました。

 田辺さんは歴史学や比較文化論の分野で幅広い活動を繰り広げている学者(園田学園女子大教授)ですが、なかでも神戸の地域史に関しては生き字引のような人で、しかも驚くべきは、その膨大な知識が強靭(きょうじん)な構造をかたちづくっていることです。
 「神戸」のイメージを根底から変えてきた研究者として、多くの神戸っ子の尊敬のまとになっているのです。

 たとえば、源平の合戦のなかで語られる有名なトピックに「ひよどり越えの逆落とし」というのがあります。
 一ノ谷の合戦で義経が用いた奇襲戦法ですが、ただ現在の地図で見ると「ひよどり越え」は六甲山の奥にあたる神戸市北区にあり、一方「一ノ谷」は須磨区の海辺にあって、おそらくは10キロくらいは開いているこの距離をどう解釈したらいいか、長い間、神戸の市民を悩ませてきたのです。

 けれど田辺さんの新説は明解でした。
 源平合戦の当時、今の神戸市域のいろんな場所で源氏と平氏の衝突が起こるのですが、当時の人びとはその合戦のすべてを一ノ谷の戦いとして理解していたというのです。
 ある象徴的な一点を指し示すことで、その周辺の広大な地域も併せて語るということは、言われてみればよくあることです。
 細部を凝視しながら、しかし全体をも展望する歴史学者のみごとな解でした。

 それまでの市民の悩みは、しぜん現在のワク(地図)にとらわれて思考していた、その“常識”のせいでした。

 さて、ロドニー賞の「ロドニー」とは、神戸の開港時(1868年)に、その開港を祝うために訪れたイギリス艦隊の旗艦の名です。
 祝砲をドカンと撃って、そのころの神戸の町(村?)の人びとをびっくりさせたわけですが、来年もまた神戸の目をドカンと覚ましてくれた人にこの賞は贈られます。
 ちなみにあの大震災(1995年)の直後には、当時のブルーウェーブで大活躍を見せてくれたイチロー選手(現大リーガー)に贈られました。