わが家のベランダの前に電線がかかってましてね、この電線がカラスの会議場の一部なんです。
一部だというのは、ほかに前のマンションの屋上の手すりだとか、古い給水塔だとか、携帯電話の中継塔だとか、それらも全部が会議場で、町ぢゅうのカラスが来たのかと思うくらい年に数回、ここにダークスーツの紳士淑女が集まってカアカア、ガアガア、ギャアギャアとやるんです。
いつもは一日で終わるんですが、今回はきょうで三日連続。
察するに、どうやらカラスの国にも、カンザブロウか、カンクロウか、カンジュウロウか、カンさんというのがいて、そいつを首相の席から追い落とすために論議が沸騰しているようなのです。
うるさいんです、カラスの国のカン騒動。
でも、カラスの国にはマスコミというのがないようですから、まだマシですかね。
ぼくらの国ではこれに浅薄なマスコミのドタバタも混じりますからねえ。
きょうの朝日新聞なんかひどいものです。
菅ヤメロ、菅ヤメロ。
社説もけっこう感情的でしたが、編集委員さんのご主張なんか、もう、絶叫調。
「もはや限界を超えた」という一文で始まるんですから。
新聞記者が絶叫するとね、読むほうはシラケますよね。
もちろんちゃんと核心を突いていれば、まあ、読み終えて時間のムダだったとまでは思いませんけど。
ただ、このままでは政治が進まないから、ヤメロ、ヤメロ。
何が根本の問題でこうなっているか、そこのところがきわめて薄い。
核心はやっぱり核でしょう。
核反応。
原発災害。
菅追い落としの背後に“原発隠し”があることは、ちょっと政治を見ている人ならば、もう先刻承知のことでしょう。
菅―枝野のコンビは、まあ、十分といえないながらも、原発災害の現状を国民の目に明かすことに努力を重ねてきた。
前の自民党政権だったら、絶対にこうはなっていない。
東京電力はじめ、電力業界、そしてそれを支える産業界を守るために、国民に知られて不都合な事実は隠しまくったにちがいない。
菅―枝野のこの“やりすぎ”が経済界には不満なんです。
経団連の会長さんなんか、もう超論理というべきか、ナリフリかまわずというべきか、殿ご乱心のようなことをおっしゃってたじゃないですか。
「菅首相がやめなければ、子供の教育に悪い」
、
カラスのカンさんの追い落とし劇の理由はいまひとつわかりませんが、わたしたちの菅騒動の本当の理由はますますはっきりしてきました。
原発災害を今の調子で国民の前に見せていこうとする菅―枝野ラインと、それを弱め、あわよくば災害を隠そうとする経済界および経済界と結びついた政治屋たちとの対立。
菅さんにはむろんたよりないところもありますが、いま名前があがっているだれが次期首相になっても原発災害は国民の目から隠される方向に進むでしょう。
菅さん、枝野さん、まわりからどれほどゴチャゴチャ言われても、ねばれ。
とことん粘って、脱原発への道すじをつけてほしい。
それが歴史の未来であることは、やがて歴史があかすでしょう。
こんなふうに見ている国民も少なくないことを、知っておいてもらいたい。
菅政権が終わって、原発対策が後退するようになれば、ぼくらはきょうの朝日新聞の朝刊をもう一回読みなおすことにいたしましょう。
1911年6月21日の朝日新聞朝刊です。
一部だというのは、ほかに前のマンションの屋上の手すりだとか、古い給水塔だとか、携帯電話の中継塔だとか、それらも全部が会議場で、町ぢゅうのカラスが来たのかと思うくらい年に数回、ここにダークスーツの紳士淑女が集まってカアカア、ガアガア、ギャアギャアとやるんです。
いつもは一日で終わるんですが、今回はきょうで三日連続。
察するに、どうやらカラスの国にも、カンザブロウか、カンクロウか、カンジュウロウか、カンさんというのがいて、そいつを首相の席から追い落とすために論議が沸騰しているようなのです。
うるさいんです、カラスの国のカン騒動。
でも、カラスの国にはマスコミというのがないようですから、まだマシですかね。
ぼくらの国ではこれに浅薄なマスコミのドタバタも混じりますからねえ。
きょうの朝日新聞なんかひどいものです。
菅ヤメロ、菅ヤメロ。
社説もけっこう感情的でしたが、編集委員さんのご主張なんか、もう、絶叫調。
「もはや限界を超えた」という一文で始まるんですから。
新聞記者が絶叫するとね、読むほうはシラケますよね。
もちろんちゃんと核心を突いていれば、まあ、読み終えて時間のムダだったとまでは思いませんけど。
ただ、このままでは政治が進まないから、ヤメロ、ヤメロ。
何が根本の問題でこうなっているか、そこのところがきわめて薄い。
核心はやっぱり核でしょう。
核反応。
原発災害。
菅追い落としの背後に“原発隠し”があることは、ちょっと政治を見ている人ならば、もう先刻承知のことでしょう。
菅―枝野のコンビは、まあ、十分といえないながらも、原発災害の現状を国民の目に明かすことに努力を重ねてきた。
前の自民党政権だったら、絶対にこうはなっていない。
東京電力はじめ、電力業界、そしてそれを支える産業界を守るために、国民に知られて不都合な事実は隠しまくったにちがいない。
菅―枝野のこの“やりすぎ”が経済界には不満なんです。
経団連の会長さんなんか、もう超論理というべきか、ナリフリかまわずというべきか、殿ご乱心のようなことをおっしゃってたじゃないですか。
「菅首相がやめなければ、子供の教育に悪い」
、
カラスのカンさんの追い落とし劇の理由はいまひとつわかりませんが、わたしたちの菅騒動の本当の理由はますますはっきりしてきました。
原発災害を今の調子で国民の前に見せていこうとする菅―枝野ラインと、それを弱め、あわよくば災害を隠そうとする経済界および経済界と結びついた政治屋たちとの対立。
菅さんにはむろんたよりないところもありますが、いま名前があがっているだれが次期首相になっても原発災害は国民の目から隠される方向に進むでしょう。
菅さん、枝野さん、まわりからどれほどゴチャゴチャ言われても、ねばれ。
とことん粘って、脱原発への道すじをつけてほしい。
それが歴史の未来であることは、やがて歴史があかすでしょう。
こんなふうに見ている国民も少なくないことを、知っておいてもらいたい。
菅政権が終わって、原発対策が後退するようになれば、ぼくらはきょうの朝日新聞の朝刊をもう一回読みなおすことにいたしましょう。
1911年6月21日の朝日新聞朝刊です。