某SNSで「7日間ブックカバーチャレンジ」のバトンが回ってきました。
これは、
「読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿するというもの。①本についての説明はナシで表紙画像だけアップ ②その都度1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする。」
…というもので、①の規定通りに行けばさらっと終わるものを、しかしそれなりに思い入れのある本をカバー写真だけで済ませるわけにはいかないものです。
とかやってたら、5月13日にはじめて、まだ4冊分しか投稿できていないという。
しかも②の規定は完全無視。
1冊目をここに転載させていただく次第です。
はて、何を…と考え込みそうになってしまいましたが、あまり考えずに選ぶことにします。
昨去年の年末に没頭した小説です。
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ボフミル・フラバル『わたしは英国王に給仕した』
阿部賢一 訳、河出書房新社
チェコの作家フラバルの1971年の作品。
勤めの帰りに図書館へ寄って、本棚にあるときはパラパラと数ページ読む、誰かが借り出しているときは別の本を持って席へ、というような付き合い方をしていた本です。
ところが、ある時点から猛烈に引き込まれ、一気に集中して読んでしまいました。
読んだという丁寧なものでもなく、本当に貪ったという感覚。
しばらくは何だか精神的に不安定になって、周囲にも若干迷惑をかけてしまったような。
結局、手もとに置いておきたくて、あとで古本を注文した次第です。
「これからする話を聞いてほしいんだ」ではじまり「満足してくれたかい? 今日はこのあたりでおしまいだよ」の言葉で終わる5つの章からなる小説。
ストーリーをかいつまんで話しても、この作品の魅力をうまく伝えられる自信がありません。
おそろしく大雑把に言えば、ユーモラスに描かれたホテルの給仕人の一代記。
そんなのタイトルを見れば想像がつきます。
だけど、よく言われるように、次から次へとあらわれる奇想天外なエピソードというものがこの作品の魅力の核心なのだとしたら…それはそれですごいことですが、それはまたそれだけのことで…
俄然この物語に引き込まれたのは、当時のチェコスロバキアがナチス・ドイツによる併合・解体の時代を迎えるあたりから。
歴史が、エピソードとしてではなく、巨大なかたまりとして、にゅっと現われてくる。そう、エピソードとしてではなく。
そこからはもう、本を手放せない。
高校の頃、ジョン・アーヴィングを続けて読んだ時期がありました。
「プロットの復権」なんて言葉があって。
いちばん好きな『ウォーターメソッドマン』が、『わたしは英国王に給仕した』とほぼ同じ1972年。
その後『ガープの世界』『ホテル・ニューハンプシャー』と力強い作品が続き、しかし『サイダーハウス・ルール』に来るともう、エピソードのためのエピソード、プロットのためのプロット、その息苦しさに、21世紀になる前につき合うのをやめてしまいました。
アーヴィングは繰り返しウィーンを描きます。
フラバルを読んで、あるいはアーヴィングは歴史を欲していたのだろうかと思います。
『ウォーターメソッドマン』は、主人公の友人メリルが、戦車が沈んでいると言って飛び込んだあの夜のドナウ川の雰囲気を忘れがたく記憶に刻んでいます。
ですが、アーヴィング作品の、あの娼婦たちの都市ウィーンは、結局のところエピソードの域を出るものではないでしょう。
あれほど愛し、執拗に描いたウィーンだのに、歴史は「部外者」に何と冷たいことかと。
ただ、フラバルも決して翻訳が多くはなく分からないのですが、もしかしたら『わたしは英国王に給仕した』が(自分にとって)唯一特別に特別な作品だった、ということもあるかもしれません。
その後『剃髪式』を読みましたが、『英国王』ほど没頭することはありませんでした。
そしていま『時の止まった小さな町』を借りていますが、なかなか読み進みません。(5.13投稿)
これは、
「読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿するというもの。①本についての説明はナシで表紙画像だけアップ ②その都度1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする。」
…というもので、①の規定通りに行けばさらっと終わるものを、しかしそれなりに思い入れのある本をカバー写真だけで済ませるわけにはいかないものです。
とかやってたら、5月13日にはじめて、まだ4冊分しか投稿できていないという。
しかも②の規定は完全無視。
1冊目をここに転載させていただく次第です。
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7日間ブックカバーチャレンジ①
はて、何を…と考え込みそうになってしまいましたが、あまり考えずに選ぶことにします。
昨去年の年末に没頭した小説です。

ボフミル・フラバル『わたしは英国王に給仕した』
阿部賢一 訳、河出書房新社
チェコの作家フラバルの1971年の作品。
勤めの帰りに図書館へ寄って、本棚にあるときはパラパラと数ページ読む、誰かが借り出しているときは別の本を持って席へ、というような付き合い方をしていた本です。
ところが、ある時点から猛烈に引き込まれ、一気に集中して読んでしまいました。
読んだという丁寧なものでもなく、本当に貪ったという感覚。
しばらくは何だか精神的に不安定になって、周囲にも若干迷惑をかけてしまったような。
結局、手もとに置いておきたくて、あとで古本を注文した次第です。
「これからする話を聞いてほしいんだ」ではじまり「満足してくれたかい? 今日はこのあたりでおしまいだよ」の言葉で終わる5つの章からなる小説。
ストーリーをかいつまんで話しても、この作品の魅力をうまく伝えられる自信がありません。
おそろしく大雑把に言えば、ユーモラスに描かれたホテルの給仕人の一代記。
そんなのタイトルを見れば想像がつきます。
だけど、よく言われるように、次から次へとあらわれる奇想天外なエピソードというものがこの作品の魅力の核心なのだとしたら…それはそれですごいことですが、それはまたそれだけのことで…
俄然この物語に引き込まれたのは、当時のチェコスロバキアがナチス・ドイツによる併合・解体の時代を迎えるあたりから。
歴史が、エピソードとしてではなく、巨大なかたまりとして、にゅっと現われてくる。そう、エピソードとしてではなく。
そこからはもう、本を手放せない。
高校の頃、ジョン・アーヴィングを続けて読んだ時期がありました。
「プロットの復権」なんて言葉があって。
いちばん好きな『ウォーターメソッドマン』が、『わたしは英国王に給仕した』とほぼ同じ1972年。
その後『ガープの世界』『ホテル・ニューハンプシャー』と力強い作品が続き、しかし『サイダーハウス・ルール』に来るともう、エピソードのためのエピソード、プロットのためのプロット、その息苦しさに、21世紀になる前につき合うのをやめてしまいました。
アーヴィングは繰り返しウィーンを描きます。
フラバルを読んで、あるいはアーヴィングは歴史を欲していたのだろうかと思います。
『ウォーターメソッドマン』は、主人公の友人メリルが、戦車が沈んでいると言って飛び込んだあの夜のドナウ川の雰囲気を忘れがたく記憶に刻んでいます。
ですが、アーヴィング作品の、あの娼婦たちの都市ウィーンは、結局のところエピソードの域を出るものではないでしょう。
あれほど愛し、執拗に描いたウィーンだのに、歴史は「部外者」に何と冷たいことかと。
ただ、フラバルも決して翻訳が多くはなく分からないのですが、もしかしたら『わたしは英国王に給仕した』が(自分にとって)唯一特別に特別な作品だった、ということもあるかもしれません。
その後『剃髪式』を読みましたが、『英国王』ほど没頭することはありませんでした。
そしていま『時の止まった小さな町』を借りていますが、なかなか読み進みません。(5.13投稿)
(takashi.y)
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